17
また拾われた。
私は幸運の女神の生まれ変わりかなにかか。
ーーーいや、それはさすがに烏滸がましい。幸運の女神に愛された獣の好きな羽虫くらいにはもしかしたら気にかけていただいているのかもしれない。
兎にも角にも、再び獣の餌になることは免れたようだ。
私が眠っていたらしいベッドのそばのチェストに書き置きが置いてあった。
どうやら、セレス様は仕事に出かけたらしい。
家のものは好きに使って構わないと書いてあったけれど、そう言われてもさすがに主不在で自由にするのも気が引ける。
というか、この訳の分からない状況でぐうすか寝てられるとはさすが、元路地裏暮らしの平民。自分でも引くほどの図太さだ。
もう日は傾きだしている。有り得ない。寝すぎである。ハインツ侯爵家では日の出よりも先に目覚めるのが日課だったというのに。
「……さて、どうしたものか」
エドアルド様はお元気だろうか。
物凄くショックを受けられていた様子だったから、それだけが、本当に心配だ。
………いやいや、もう関係の無いこと。
私のことなどすっぱり、ばっさり忘れてしまうのがあの人の為だし、私も命ある限り生きていかなければならない。
忘れよう。
頬をパシリと叩いて部屋をぐるぐると回る。
あまり、生活感がない部屋だ。こじんまりとしてはいるが清潔でとてもすっきりしている。
セレス様はここにひとりで住んでいらっしゃるのだろうか。使用人は?
まさか、貴族のご子息が身の回りのことを自分であれこれしているのか。
……いやいや、そんなまさか。
エドアルド様は自分じゃ洗濯すらまともに出来ないし、卵すら焼けないというのに。……いやエドアルド様は今は関係なかった。
辺境伯の息子ということだから、実家は随分遠いんだろう。
あの、小生意気な少年が随分と成長したものだ。
とかなんとか、上から目線でそう思い、ふと窓の外を見る。
日はいつの間にか沈みかけている。
なんてことだ、なんにもせず一日を無駄にしてしまった。
かと言って、勝手に歩き回る訳にも行かないし。
……というか、あの日からいったいどれくらい経っているのだろう。
それすら分からない。
することがないからひたすらに部屋をぐるぐると回っていてどれだけ時間がたっただろうか。
突然ドタバタと物音がして、私はぴたりと足を止めた。
ふざけるな、とか、帰れ!とか、喧騒の合間に怒号が聞こえる。
ひとつはセレス様のもので間違いないだろう、そしてもうひとつは何故だかどこかで聞いたことのあるようなないような、男のものだった。
「……いいじゃん、俺とお前の仲だろ」
「ふざけないでください。貴方と僕の間にそういった親密なものは1ミリも無いはずです」
扉にしゃがみこみ、耳を押し当てて聞き耳を立てる。
「先輩の言うことは素直に聞くべきだよ、アシュレイ」
「後輩の家に無理やり押し入ろうとするのが騎士のやり方とは思えませんね、というか貴方、貴族でしょう、仮にも」
「うるせーな、だからなんだっていうんだよ」
「貴族のすることじゃないって言ってるんですよ、恥を知りなさい、恥を」
「ごちゃごちゃとうるさいんだって、いいじゃんちょっと、チラッとお前の好きな女を見るだけじゃん」
「貴方にだけは、絶対、絶対絶ッッ対に会わせたくないんですよ」
なんだろう、この、やけに甘ったるい軽薄そうな人の神経を逆撫でする特徴的な声……どこかで、というか、セレス様は、喧嘩を?いや、もしかして暴漢に押し入られようとしているのか。
物凄く小声で囁かれるように交わされる会話の合間の激しい喧騒は落ち着く様子を全く見せない。
それどころか徐々に近づいてくる気配がする。
確かにセレス様はにょきにょきと大きくなったとはいえ、顔立ちは美しい。
男前というよりは、端正な美人に当てはまる。ま、まさか、まさか、男に無理やり……!?
「セレス様!ご無事ですか!!」
意を決して扉を蹴破り廊下に転がりでると、その先で紺色の騎士の制服に身を包んだセレス様と、同じ制服の黒髪の男が揉み合っていた。
セレス様の掌と逆の腕の肘が押し付けられている顔面は、妙に既視感があるもので。
私は構えた格好のまま、ぽかんと目を見開いた。
「え……、あれ、…?」
こざっぱりと整えられた黒の髪に蜂蜜色のタレ目がちな瞳。
持って生まれた色は似通っているし、どちらも顔立ちは整っているのに、何故だか実の兄とは雰囲気がまるで違う。軟派な印象の男。
甘いマスクは如何にも女をひっかけていそうで、事実、ひっかけまくっている。
女遊びが激しいと周知の事実であるにも関わらず、なぜか、彼に近づく女性は増える一方であるし、彼の被害者は後を絶たない。
「え、…、おま、………ライリー?」
「あ、るふれど、様?」
セレス様に顔面を押しのけられていたのはハインツ侯爵家の次男にして、エドアルド様の実弟。
アルフレド・ハインツ様その人であった。
「「ええええええええ!?」」
ーーーーーーーーー
「ちょっと待てアシュレイ、俺は混乱している。
お前はやっぱり男が好きなのか?」
「チッ、だから会わせたくなかったんですよ」
こざっぱりとしたシンプルなリビングでソファに腰掛けたアルフレド様が頭を抱えた。
「いや、別に偏見はないよ!全然!いいと思う、けど、ライリーってお前……金髪のライリーってこのライリーかよ、どんな偶然だよ…というか兄貴が…」
向かいに座るセレス様が隣に申し訳程度に浅くかけた私をチラリと見遣る。
アルフレド様、私もです、私も混乱しています。
というか、この格好と、セレス様の言いようからしてアルフレド様は騎士だったのか。
全然知らなかった。興味もなかったけど。
王都で城の騎士って割とすごいのではないだろうか。この人で本当に大丈夫なのだろうか、国の未来が心配だ。
「アシュレイ、目を覚ませ。こいつは男だぞ、間違いない。
やけに綺麗な顔をしているしいい匂いもするが男だ」
「落ちましたね、先輩。女たらしの名が廃りますよ。
貴方が何故そこまで彼女を男と信じて疑わないのか、甚だ疑問ですが、彼女は正真正銘女性です。
というか、そのいい匂いってなんなんですか、本当にそのご自慢の顔面を変形させますよ」
アルフレド様にびしりと指をさされて自然と背が伸びる。
そこまで断言されるとは。
私はもしかして、自分で気が付いてないだけで本当は男だったのだろうか。なんか自信がなくなってきた。
だとしたら滑稽すぎるが。そしてセレス様のさらりと息をするように吐かれる暴言がすごい。
「恐ろしいことをそう淡々というな。先輩になんてこと言うんだお前は。
……だって俺と兄貴はこいつの裸を見た事があるからな!
言っておくがこいつは本当に男だぞ、膨らみもメリハリもあったもんじゃなかった。あれは男だ!」
「は!?」
勢いよく立ち上がったアルフレド様に食い気味で唸ったセレス様が、次いで立ち上がる。
がばりとこちらを睨むように見つめるセレス様に悲鳴をあげそうになった。
なんと言ってももの凄い形相であった。
やめてくれ、だから美形の怒り顔は迫力が凄まじいとあれほど……(言ってない)
「ライリー…」
「ああ、まあそんな事もありましたね。
でも、まだ14歳で拾われたばかりの頃ですし、裸を見られたと言っても着替えをした時の上半身だけじゃないですか」
「ら、ライリー!?」
「アホかよ。14歳っていったらもう立派な女だぞ。15、16で子供を産む娘だってざらだって言うのに、こいつの胸のひらべったさといったら……」
「最低ですね、アルフレド様」
「アルフレド先輩、まじで死んだらいいと思いますよ」
「は、なんで!」
私とセレス様がじとっとした暗い目を向けることが理解できないらしいアルフレド様が混乱している。
この人本当に最低だ。
確かに私は発育悪くてガリガリで胸も尻もないし、当時の紙切れ感たるや…と言った感じではあったが、一応女だ。
うん、そう、やっぱり女だ。
確かに拾われた当時、すっかり少年だと思われていたし、ゴミだめのような生活に慣れた私は特に恥ずかしげもなく、着替えを見られようとも気にはしていなかったけれど。
ついでにいえばエドアルド様もアルフレド様もまったく気にしてはいなかったけれど。
最近は少しだけ胸も膨らんできたような気がしないこともないのに…。
じろりとアルフレド様を睨みつける。
ここまで否定されるとなんか腹もたってくる。
この女たらしめ、女たらしのくせに。
「え、嘘、え、本当に?………というか、ライリーお前なんでこんな所に居るんだよ。
兄貴は?ハインツの屋敷は?兄貴が怒り狂ってるんじゃねえの…」
私を指さす手がぶるぶると震えてきたアルフレド様に、はぁっとため息をついた。
ぐるりとセレス様もこちらを注視してくる。
僕も、それは聞きたい、と言いたげな顔である。
「…ハインツ家の仕事は……辞めてきました。私が女だと言うことが公になりまして、エドアルド様は顔も見たくないと。
ハインツ侯爵ともあろうお方に私のような得体の知れない女が引っ付いていてはご迷惑にもなりましょう」
私の言葉にアルフレド様は顔を青くしてふるふる震えながら「嘘だろ…」と零した。
アルフレド様が好きすぎてエドアルド様が空気に…
まあ、ぼちぼち出てきます(多分)




