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「ちょ、ちょっ、ちょちょ!ライリー!!」



セレス様がわたわたと立ち上がり馬車の天井に頭をぶつけた。

けれど、気にした素振りは一切なく長い腕を伸ばしてくる。

余談だけれど、あんなに小さくて弱そうだったセレス様は随分とそれはにょきにょきと身長が伸びていた。

身長だけでなく肩幅もしっかりしたもので馬車の中で立ち上がると圧迫感さえある。



ガタガタという物音と、セレス様の悲鳴じみた声に再び馬車の外からノックの音がして馬車のスピードがいささか弱まる。


よし。

馬車から飛び降りた経験は皆無だが、どうにかなるだろう。

怪我はするだろうが、運が良ければ死なないかもしれない。




「バカっ、止めるな、問題ない!……って、ライリー!何をしてるんだよ」


「なにって、帰ります。助けていただいて?ありがとうございました」


「か、帰るって!どこに!」



どこに。

そう問われて、そういえば、どこに、と一瞬渋る。

ハインツ領には戻れない。

帰る家は孤児の私には無い。

セレス様がいったいどこまで私の事情を知っているのか、分からないが。

まあ、どこでだって生きていける。


そう納得して、馬車の扉を開きかけたところでセレス様に腕を取られた。

一瞬、悩んでしまったのがいけなかったのか。


ガタガタと激しい音を立てたが、御者はもう気にしないことにしたらしい。ノックの音は聞こえない。


眉を釣りあげて、すごい力で私を引っ張るセレス様が思いのほか逞しくて私はあからさまに怯んだ。



「この、バカっ!怪我したらどうするんだ!」


「平気です。私身体は丈夫ですので」


「アホっ!そういう問題じゃない!下手したら死ぬんだよ!」


「運が良ければ死にません」



現に、私は奇跡的な運の良さで今まで生きていて、そしてこんな良い生活をさせてもらってきた。

正直、多分、私は運もあると思うのだ。


「どこに向かっているのか分かりませんが、これ以上私はーー」



貴方の人生を狂わせたくない。

そう言いかけたところで、私の言葉は遮られた。


力強く腕をひかれ、存外に大きな身体にすっぽりと包み込まれる。

馬車の中だからセレス様の頭は天井にぶつかりっぱなしだし、身体も不自然に折れ曲がっているがそんなことは気にならないくらい、強く包み込まれてあまりの衝撃に心臓が止まりそうになった。




「この、バカっーー!、お前を、僕が、どんな思いで………」



ギュッと強く抱きしめられてそのまま、彼の膝ががくんと折れる。

初めだけ勢いよく、しかしすぐに掠れた声はあまりに悲痛で、私は目を見開いた。

セレス様に合わせて私もしゃがまされて、呆然としたまま、彼の腕の中に包まれていた。



「お前が居なくなって、僕がどんな気持ちだったか、分かるか?

お前を失ってから……もう、二度と会えないと、分かってから、気持ちに気づいた、僕の…」


「……せ、」


「お前をうちの者が知らぬ地に捨て置いたと、聞いた時の、僕の気持ちがっーー!

あんな痩せっぽっちの孤児の何も持たない子供が、見知らぬ地に捨て置かれて、生きていけるわけが無い!暗に、獣に食われたか、飢えたかで、死んだんだと、だから諦めろと、姉に言われたよ!

その、気持ちが分かるかよ……。

僕と、僕と関わってしまったせいで、と悔いたさ!僕が欲を出さなければ、お前はあの地で逞しく生きられたかもしれないのに、って。

それなのに、それでも僕は諦めきれなかった!お前が、望んで僕から離れたわけでないと知れば尚更だよ。ずっとずっとずっと、探していた」


悲痛な叫びに息を飲んだ。

違う、違う、違うよ、セレス様、貴方は間違っている。


「いいえ、セレス様。

貴方は勘違いをしていらっしゃる。お優しいセレス様はどこにでも居る‘かわいそうな孤児’に同情して、妙な罪悪感を抱えてしまって、それをなにかと履き違えてしまっておられる。

私はたまたま運良く貴方と出会うことが出来ただけのただの汚い孤児です」


背中に回る腕に力がこもった。

私はだらりと両腕を下ろしたまま、肩口に埋まるプラチナブロンドの癖のある柔らかな髪を見下ろした。

だから優しすぎる貴方は、私なんかに囚われて人生を棒に振るべきではない。

貴族として生まれた辺境伯の末息子のセレス様には、与えられる爵位は無いかもしれないけれどそれなりに輝かしい未来が待っているはずなのだ。



「そう、そうだよ、ライリー。

僕はたまたま、たまたま君にあったんだ。他の誰でもない君に、だ。

これが君でなくて他の誰かであったとしてこれだけ思いを募らせることがあったかな。

その後、それなりにたくさんの女性と関わる機会があったさ。

綺麗に着飾った令嬢、天真爛漫な町娘、もちろん、孤児も見かけた。教会に行く機会だってある。

僕に好意を持ってくれる娘もいた。

けれど、違うんだよ。ライリー、君とは違ったんだよ!

いつまで経っても僕はあの汚いなりをした棒きれのような君が忘れられなかった」


「………ですから、セレス様…」


それは、私との日々を過度に美化しているとか、私への罪悪感で想いを昇華してしまっているだけでは。


愛とか恋とか、そういった類のものであるわけがない。


冷静にそう言いかけて、やはり、口にはできなかった。

セレス様が腕をするりと解いて至近距離でこちらを見つめてきたからだ。



「ーーーー馬車から飛び降りるほどに僕との結婚が不本意なのは、分かった。

けど、返事はまだ要らない。

ひとまず君が見つかってよかった。君が生きていたという事実だけで、神や世界中の奇跡に感謝したい。

今、僕は王都の近くに小さな屋敷を借りて城の騎士として働いている。

僕は辺境伯の子息といえど三男だし、姉も合わせれば5人兄弟の1番下だ。継ぐ爵位もない。

まだ仮住まいだし、甲斐性も何も無いかもしれないけれど君を守る力くらいはある」



「あの、」


「ん?ああ、大丈夫。

屋敷は広くはないけれど、お前の住む部屋くらいは用意できる」



「いえ、あの、そうではなくて、結婚とか本当に訳が分からないですが、その前に絶対に、絶対にセレス様に私は相応しくありません」


聞くところによると彼は騎士として、しかも王都で城の、騎士として身を立てているらしい。

そんな輝かしい未来のある優秀な若者に私のようなこんな薄汚い経歴の、しかも女としての魅力なんてこれっぽっちもない、つまらない人間がこれ以上関わるべきではない。

ましてや、そんな方の妻?ありえない。

そもそも、結婚自体考えたことすらない。私の夫になる方がいるとすれば、その方は生涯、恥をかくだけだ。だって5年間、男として平気で過ごしてバレないようなそれも平民の女である。



「そんな事は僕が決める。

僕はライリーがいいんだよ。それに、君行く当てでもあるの?」


翡翠色の瞳がやんわりと細まる。

そんな問いかけに怯むと思われているのなら心外である。

私はもともと路地裏生活をしていた女だ。


「私はどこでも、何をしてでも生きていけます」


「却下だ。見つけた以上、僕が許さない。ひとまず、僕と一緒に来てもらう。少し休んで、働きたいならそうすればいいし、出ていくというのなら、その先を考えよう。もちろんそのまま結婚しても構わないし」


「いえ、それはないです」


「はいはい。まあとにかく、とりあえずうちに来ること。

君はもっと図太い……そうだね、貰っておけるものは貰っておく、強かな女だったと思っていたけれど」



違った?そう言って唇の端を吊り上げたセレス様は昔の生意気な少年と同じ顔をしていた。


ちが、いはしない。

図太いのは心得ている。利用できるものは利用していかないと、綺麗事だけじゃ生きていけないのも確かだ。


ぐっと息を詰まらせる私にセレス様は勝ち誇ったような笑みを浮かべると、話はおしまい、と言って頭をぽんと撫でた。


これでは、まるで、私が聞き分けのない子供みたいではないか。

どこか納得出来ない想いを抱えながら、いやでも、こんな私と過ごせば、5年間で積み上げられた私へのおかしな幻想も打ち砕かれることだろうし、と冷静にそう思うことにした。





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