14
目が覚めると馬車の中だった。
「おはよう、ライリー」
やはり、眉を下げてどこか泣きそうな顔で微笑むセレス様に、私は思いっきり自分の頬を殴った。
もちろんグーで。
「えええええええ?!!」
ふむ、痛い。
ありえない。
まあ、自分で殴ったところで、スーシェルで喧嘩の仲裁を……以下略。
とにかく、大したことは無いけれど、痛いは痛い。じくじくと熱を持つ頬をそのままに真っ直ぐにセレス様を見返すと、彼はわたわたと慌てた様子だった。
「…セレス様?」
「はい、そう!うん、セレス様!てかなにやってんのお前!」
「………本物」
「本物だよ!びっくりするよ君には本当、毎回毎回!」
ぽかんと多分間抜け面をかましているだろう私にセレス様は疲れたような顔をした。
なんだか知らないが大変そうだ。お疲れ様です。
ガラガラとゆっくり進む馬車の車窓から外を眺めると未だ真っ暗。
夜は明けていない。それか、まる1日、もしくは2日経っているのか、そもそもどこに向かっているのか、というかなんでセレス様が目の前にいるのか。
「全くもう、昔の君といい、今の君といい、女の子なんだからもっと……」
「セレス様、そうです」
「え?」
「私、女ですよ」
真っ直ぐに暗がりで輝く形のいい瞳を見返す。
そう、そうだ。
仮にこれが本物のセレス様だとして、私は女だ。
あの日、かの少年を傷つけ激昂させた女なのだ。
あなたを騙した、あの日の孤児だ。
わたしの真剣な瞳をしばらく見つめた後、セレス様が返したのはため息だった。
「……知ってるよ、ライリー、君は女性だ」
「では、何故今更…」
「………そう、今更だ。今更だよ。君は僕を騙してなんかいない。僕が勝手に思い込んでいただけなんだ」
「いいえ、セレス様。
私は貴方が勘違いしてらっしゃることを薄々、感じておりました。
けれど、言い出さなかった」
「そうだね、でもよくかんがえればそうだ。あんな場所では女の子らしくいることなど不可能だ。君が少年であったからこそ、僕は君と出会えた。
ま、僕がガキだったってだけの話さ」
「……でも」
貴方は傷ついたはずだ。
そして、私はバツを受けた。
言い淀む私の言いたいことを悟ってか、セレス様は深く頷いた。
「話を聞いてくれないかライリー」
私は戸惑いながら、小さく頷く。
「僕はね、ダールトン辺境伯の末の息子でね。ダールトンはここからも、あの街からもずっと西にある土地で隣国との境にある」
「……ダールトン」
「知ってるの?」
そう聞かれてしばらく悩んだ後ゆるゆると首を振った。
なんだか、聞いたことがある気もする。しかもごく最近。
けれど思い出せない。思い出せないということは大したことでは無いはずだ。
そう納得して顔を上げた。セレス様は、そう、と大して気にした様子もなく話を続ける。
「僕の父はこの国の軍部の将軍で、上の兄達も姉達もみな武人だ。
年の離れた僕はそんな家族にそれはもう甘やかされて育った。
まさに真綿に包まれるように、この世の悪や汚点という汚点から遠ざけられて。
今思えば、上にもう十分優秀な兄姉を持つ僕は愛でられるためだけに生まれてきたようなものだ。
そんな僕は小さくてひ弱で貧弱で、加えて甘ちゃんな世間知らずのボンボンだった」
小さくて、ひ弱で、貧弱で、甘ちゃんな、世間知らず。
ふと、出会った頃のセレス様を思い出す。
確かに、やたらと偉そうな態度の小さな子供だったセレス様はいかにもお貴族様というなりに対して、やけにこちらに興味を持っていた。
普通ならば蔑むか、敬遠するか、そもそも近付きもしないだろうに貴族の気まぐれかと思っていたが、思えばあれは、世間知らず故の好奇心だったのか。
「なるほど、確かに」
うんうんと納得する私に微妙な顔を向けてセレス様は小さく息を吐く。
「……そう納得されるのも、なんだかな…。
まあいいか。
そんな折、ダールトンと隣国との境がきな臭くなった。
下手をすれば戦争を起こす火種になりえそうな事件が起きた。
そんな訳でひ弱な僕は、武人一家の中で唯一の弱みになり得る僕は、使用人達と姉達に匿われてあの街にある別荘に避難することになった。
社会勉強の名目で。僕が13歳のときだ」
「じ、13歳!?」
ついつい、大きな声を出してしまった。
馬車の外からコンコンとノックの音がして、セレス様は問題ないと呟いた。
いやいや、13歳?
あんな小さな生意気そうな子供が13歳?
絶対に私よりも少し下くらいかと思っていた。背丈もそうだけれど、なにより、あまりに子供っぽかった。
「なに、その反応。
確かに発育が遅かったのは認めるしかないけれど」
「絶対に私より年下だと思ってた…」
「は?!いやいや、お前ねえ…あの棒きれのようなお前と比べて下に見られるってそれはさすがに、ないよ、ない。」
ぶんぶんと腕を振るセレス様に眉を顰めつつ、曖昧に頷く。
体格もうそうだけれど、なんというか、なんか妙な無邪気さというか、落ち着きのなさというか……というのは言わない方が良さそうである。
「………話を戻すよ。
恥ずかしながら僕はそれまで同じ歳の頃の人間と関わったことがなかった。
常に周りは僕を甘やかす大人で、子供というのは甘やかされて好きなことを好きなだけして生きるものだと思っていたんだよ。
だから、あんなナリでひとりきりで働くライリーを見て衝撃を受けた。
僕はポール……ああ、僕付きの世話係なんだけど、ポールは別として、姉や使用人に内緒で君に会いに行った。僕はその時間が何より好きだった。
何を隠そう君以外に友達がいなかったからね」
やっぱり。
人のことをとやかく言えはしないけれど、そうだと思った。だって、セレス様は物凄く生意気で繊細なよく分からない少年だったし。
話を聞くに、あの妙に生暖かい目を向けてきていたおじさん従者がポールらしい。
そう言えば何度か彼はそう呼んでいたような気がしないことも無い。
「それで、あの街での生活が1年経ったくらいで領地が落ち着いたと聞いた。
僕や姉たちは戻ることになった。
幼い僕は君と離れるのが寂しかった。君を連れて帰っていいかと、姉達に伺いを立てたんだ。
それはそれは怒られたよ。はじめてあんなに怒られたかもしれない。勝手に細路地なんかに通って、何処の馬の骨とも知れない平民の孤児と仲良くするなんて、なんて危険な真似を、ってね。
でも、僕は譲らなかった。
ライリーは良い奴で友達で、ダールトンに連れて帰ってもきっと良く働くってね。
折れたのは姉たちの方で、ポールも味方してくれていた。ポールはライリーの事を知っているから父に詳しく説明をするため先にダールトンに帰ったんだ。
それで、ライリーに逢いに行く時、カイラスという男が護衛がてら代わりに1度着いてきたんだけれど」
あのヘビのような目をした若い男だ。
1度だけやって来て、そして、しばらくして私はバツを受けた。きっかけのような、あの男。
「あいつが姉達に言ったんだ。
ライリーという少年は少年のフリをした女だったと。あの孤児は僕を騙していて、きっと僕を誑かしてダールトン家にとって悪い影響を及ぼすって。
僕を欺いているのがいい証拠だと、早々に僕から遠ざけるべきだ、って」
感情の読めない瞳がこちらを見下ろしている。
セレス様の顔があの時の激昂して傷付いた少年のそれと重なって私は息を飲んだ。
そんなつもりはなかった。
けれど、騙された方はそうはいかない。まして辺境伯の愛息子であれば、その対応も当然である。
「……セレス様」
「僕はそんなわけが無い、ライリーが僕を騙すはずが無い。
そう言って屋敷を飛び出した。その足で確かめに言ったんだ。
けれど、君は本当に女の子だった。
悲しくて、信じられなくて、訳が分からなくなった。君が女の子だったからじゃない、勘違いしていた自分にも呆れたし、打ち明けてくれなかった君にも怒りが湧いたよ。
なにより、カイラスの言うことが本当だったという事は、君を連れては行けない、ということだ。
それが悲しかった」
目を伏せるセレス様にいたたまれなくなりわたしはそっと視線を逸らした。
私にとってもセレス様はたった1人の友達だった。
彼も同じくそう思っていてくれたのは嬉しい。嬉しいけれど、彼はその分いろいろなものに裏切られたと思ったのだろう。
私にも、従者にも、家族にも。
「少しして、遂に帰る日が迫ってきた。
僕は最後に君に会いに行った。髪を切ってしまったことも帽子を持って帰ってしまったことも、あの日のことも謝りたかったんだ。
もう会えないけれど、ずっと友達でいて欲しいと伝えに行こうと思った。
けれど、そこに君はもう居なかった。
従者や姉はあの少女は僕を騙して金銭をせしめていた、バレたから逃げ出したのだと、口を揃えて言っていた。信じられなかったけれど、どうしようもなくて………それで、結局、僕から引き離すためにカイラス達がライリーを遠くにやったと知ったのはつい2年ほど前のことだ」
セレス様は混乱する私にそう語り終えて、僕のせいでごめん、と頭を下げた。
セレス様が謝る必要がどこにあるのか。
何もかも私が悪い。私が私の都合で幼い彼を傷つけて、今の今まで、罪を背負わせてしまっていたのだ。
「セレス様、貴方は何も悪くありません」
「そんなことは無い。僕は無知だった。
自分の立場も君の立場も理解していなかった」
「……いえ、私の方こそ。
今までずっと、申し訳ございません」
暗い馬車の中で頭を膝に着くほどに下げて謝る。
謝って許されることではない。そもそも、平民如きが貴族と友達だと思い生意気にもあんな態度で接すること自体、極刑ものだ。ましてや、謀るなど……。
あの時、殺されず、知らない地に捨てられたのはもしかしたらセレス様のご家族やそのカイラスという従者のせめてもの慈悲だったのかもしれない。
「ライリー、僕は君を恨んだことなどない。僕はこの2年間君のことを探していたけれど、それは君を咎める為じゃない」
「………探していた?」
何故私なんかを。
ただの靴磨きの孤児なんかを何故。
……ああ、妙な罪悪感に駆られたお優しい彼はこうして私に謝ろうと思っていたのか。
そんなこと。
私の方こそ、罪悪感はあれど彼に恨みなどないと言うのに。
顔を上げて真っ直ぐにかち合う瞳がやけに真剣に見えて、私は居心地悪く生唾を飲み込んだ。
「僕はアシュレイ・セレスディア・ダールトン。
ライリー、僕と結婚して欲しい」
「……………は?」
回らない頭で、その名もどこかで聞いたことがある気がする、とぼんやり思った。
けれど、やはり思い出せそうにはなかったのできっと大したことは無いのだろう。




