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月並綺譚

満月の夜、蓮の輿入れ

作者: 秋澤 えで

 「好きな人ができたの。」



 そう幼馴染の蛍はそう嬉しそうに言った。いつも控えめで、引っ込み思案な彼女からそういった話を聞くのは初めてだった。そんな彼女だからこそ好きになった相手というのは落ち着きがあって優しい人なのだろうな、と私は思っていた。

 どこの誰かと問えば、恥ずかしそうに笑い、教えないと言う。けれど結婚式にはきっと呼ぶから、と。ずいぶんと気の早い話だと笑ったが、彼女が幸せそうならそれ以上言うまいと、まだ見ぬ結婚相手に思いを馳せた。


 蛍が死んだ。


 それはずいぶんと急な話で。


 その日は天から海が降り注いでいるのではないかというほどの豪雨で、道路も川も変わりがないように一面水に溢れていた。学校から帰るとき、人に会いに行くのだと言って、校門から分かれた。青いストライプの傘が楽しげに揺れる。そして次の日の朝、川の下流で蛍は見つかった。

 遺影の中で笑う彼女は穏やかで、蛍らしい顔だった。けれど好きな人ができた、と笑ったあの笑顔にはかなわない、と朗々と響くお経の合間にそう思った。



 蛍から手紙が届いた。

 私の部屋、二階の窓に挟まっていたその手紙は間違いようもなく、蛍の字だった。


 少し良い素材の和紙で、細い墨で文字が綴られたそれ。誰かのいたずらだと怒ることも、幽霊からの手紙だと怯えることもしなかった。そういえば、彼女は小学生のとき習字を習っていたのだと感心した。


 次の満月の夜、輿入れだからぜひ私にも来てほしい。


 そんな内容だった。

 手紙のおかげでようやく気付く。

 彼女が恋した人は、きっと人ではなかったのだろう。


 ほう、とため息をついた。どこか浮世離れした蛍を少し心配していたが、彼女には彼女らしい生き方というものがきっとあったのだろう。私とは違う、と思うと少しだけ寂しかった。



 結婚式なんて出たことがないから、どんな格好をすればいいかわからず、一張羅のワンピースをクローゼットから引っ張り出した。きっとこういうのは気持ちが大事なのだ。

 日が暮れ、空が藍色に染められていくと、金色の満月が山の向こうから顔を出した。


 玄関を遠慮気味に叩く物音がする。


 どちら様で、と戸を引くと笠をかぶった鬼灯提灯の川獺が立っていた。



 「お初にお目にかかりますぅ。こちら、常葉さつき様のお宅でよろしかったでしょうかぁ?」



 是、と答えれば川獺はひげをぴんと震わせた。



 「あっし、川獺のナガレメと申しますぅ。この度は輿入れのご案内に参りましたぁ。奥方様のご友人とのことでぇ。」



 ナガレメは尾を振り左右に身体を揺らしながら私の前を歩いていく。

 小さな二本足で歩く彼の後ろを追うのは難しく、度々たたらを踏んだ。



 「結婚式はどこでするの?」

 「へぇ、町外れの蓮畑になりますぅ。」



 確かに蓮畑はある。田んぼなどが多いこの地域では蓮畑は珍しいものでもない。しかし蓮の季節はすでに過ぎ、秋になろうとする今日この頃、蓮畑にはただ深い泥が広がっているだけだ。



 「へぇ。ですが今晩は特別なんですぅ。天咲あまさき様なら枯れた花を咲き戻すこともできるでしょうともぉ。」

 「アマサキ様?」

 「へぇ、お聞きになってはいないんでぇ?今晩の花婿様ですぅ。」



 さも当然その方だといわんばかりのナガレメに、少しだけ悔しくなった。ついぞ私は蛍からその思い人の名を聞くことはなかったのだ。



 「何者なの?」

 「さぁて、あっしには学がないのでなんとも……、ただ大きな方としか存じませんなぁ。どこぞの神様なのか、大妖様なのか、精霊様なのか……ただまぁすごいお方だってぇのは確かでしょうともぉ。」



 奥方様は玉の輿ですねぇ、なんていう言葉にはええそうね、と適当に返しておく。

 暗い前方からちらほらの橙の小さな明かりが見え始めた。

 狸や狐、貉から、人間か人型の何かまで、一つの方向へと向かっていく。この月明かりでは無用な行灯だけれど、きっと別の意味もあるのだろう。



 「さつき様ぁ、そろそろですねぇ。蓮畑につきましたら、”アマカタムスビメシュクスモノ”と仰ってから泥に足を踏み出してください。」

 「アマカタムスビメシュクスモノ?」

 「ええ、それを仰っていただかないと迷子になってしまうかもしれませんので。」



 周りの何かたちも一様に呟いてから泥へと踏み出す。

 何が起きるのかわからなかったが、不思議と恐ろしさというものは感じられなかった。



 「アマカタムスビメシュクスモノ」



 泥に足を踏み出した瞬間、がらりと空気が変わる。

 静かだった取るから、祭囃子のような笛や軽い鼓の音が聞こえ、ざわざわという話声に溢れた。なにより気づけば私は泥の上に沈むことなく立っていた。ナガレメが伽羅伽羅と笑う。



 「驚かれましたかぁ。今日は特別なんですぅ。神通力がなくとも今晩は誰でも不思議なことができるのですぅ。だからあっしらみたいなのも沈まないでいられんですぅ。」



 足は確かに何か踏んでいるのに、靴裏に泥がつくこともない。


 ふと、ざわめきが変わり、ベンベン、と弾かれる弦の音がした。

 とたん、泥しかなかった地面から淡い蕾がいくつも伸びあがり、一面を覆い仄かに輝く蓮が次々と花開く。


 来ましたよぉ、と言う声につられ、上を見る。すると月の光の中からいくつもの人影が現れた。一様に顔を覆うように模様のついた紙をつけていた。その中でも一際煌びやかな着物を着ている二人がいた。


 蛍と、天咲様だろう。


 男の手を取り、長い黒髪を結い上げた彼女はきっと面の下であの日見たような笑顔を浮かべているのだろう。その姿を見て、もう蛍は私の傍に居ないのだと分かった。


 二人は泥の上を滑るように踊るように移動する。何をしているのかわからなかったが、それがきっと必要なことなのだということは見て取れた。


 満月の下、季節外れの蓮に囲まれた二人は、この世のものとは思えないほど美しかった。

 金色の満月が空のてんっぺんになったころ、二人の動きが止まる。これできっと終わりなのだろう。


 蓮畑の中、唯一蓮が咲いていない場所があった。真っ黒い泥の中、金色の月が映っていた。

 つい、と二人が地面に落ちた月に近づく。その時一陣の風が吹いた。


 鴇色の花畑の向こう、紙の面がめくれ上がった。

 仄かに化粧の施されたその顔は、間違えようもなく私の知っている顔だった。



 「蛍っ!」 



 それは無意識のうちで。



 「どうかっ、幸せになって!笑っていて、どうかっ……!」



 声になっていたのかわからない、けれど蛍は確かに私を見て、そして幸せそうに笑った。紅の唇がかすかに動く。



 ”大好きよ、さつき。またね。”



 面をした二人は、静かに地面の月へと吸い込まれていった。




 気が付けば、私は一人蓮畑の中に立っていた。

 脛のあたりまで泥につかり、ワンピースの裾も汚れている。

 もう橙の提灯も、ナガレメも、人型の何かもいなかった。


 ただここであったことを証明するように、一輪だけ蓮が足元を漂っていた。手に取るとあっという間に花弁が落ち、慌てて数枚だけつかみ取ったが残りは泥に沈んでいった。

 


 泥まみれの足で帰路に就く。

 きっと蛍は幸せだった。必ずしも死んでしまったことは不幸ではないのだ。彼女は笑っていた。これから愛した人と幸せに過ごすのだ。控えめな少女が神様に見初められて彼の国へと旅立ったのだ。この世にこれ以上のロマンがあるだろうか。誰にも想像できないような夢物語。


 祝おう。蛍の幸せな門出を。一番の友人として祝福しよう。

 なのにどうして涙が出るのだろう。


 どうか、どうか嫋やかな愛した貴女へ、知らない場所でも幸せであって。

 そしてどうか、いつか私に貴女の幸せを聞かせてください。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 素敵なお話ですね。主人公が蛍の幸せをすごく祈っているのがわかりました。蛍の方も儚い感じが出ていて、好きです。 やはり、現実と夢??みたいなものを揺蕩う感じの作風、秋澤様ならではですね!!素…
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