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遠い声  作者: てんの翔
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       10.水曜日


 一晩経って、麻衣は、だいぶ落ち着きを取り戻した。

 結局、何事もおこらなかった。あの殺人者に襲われることもなかったし、存在すら感じなかった。

 麻衣は、いつもどおり朝から大学へ行った。夕方からは、バイトにも出るつもりだ。

 平穏な日常が、もどってきたのだ。


        * * *


 閑静な墓地で、二人の男女が号泣していた。

 いずれも三十代後半。墓石の前には、たくさんのオモチャが供えられている。色とりどりの花。線香の煙。水を浴びた墓石に、陽光が反射している。

 男女は、墓で眠る少女の両親だった。

 ある男によって、少女は誘拐され、ついには殺された。

 その男のことを「A」としよう。

 これまでに、名前も顔写真も公開されていない。

 Aは、少女を誘拐後、自らの快楽のために殺害。そのまま遺体をどこかに埋めてしまった。そして、ときおり堀り戻しては、殺害時の興奮を思い出していたのだ。

 だが悪事は、いずれ白日のもとにさらされる。Aも例外ではなかった。誘拐から半年、Aは逮捕され、少女の殺害を認めた。同時に遺体の隠し場所も自供した。しかし掘り起こされた遺体──すでに白骨化していた少女の骨は、数本足りなかった。

 Aは取り調べで、そのことについては知らないと通した。起訴され、裁判になっても、残された骨のことは、やはり知らないと一貫していた。

 少女の両親にとって、絶望の時間は終わらなかった。

 Aに言い渡された判決は、無罪──。

 弁護側の主張が全面的に支持され、Aには重度の精神疾患があると判断された。たしかに、そういう弁護をする以外、Aの死刑を回避する方法はなかったかもしれない。Aは少年時代、同じような殺人をすでに犯していたのだ。そのことが知れ渡るや、世論の見方は死刑でほぼ固まっていた。

 裁判中、Aは意味不明のことを言ってみたり、おかしな行動を繰り返した。おそらくそれは意図的なものだろうとする考えが多かったが、裁判長はそう判断しなかった。裁判員制度がはじまる少しまえの話だ。もし、制度がスタートしていたら……。

 両親だけでなく、世間もその結果を悔やんだ。当然、検察側は控訴した。が、二審でも判決は変わらなかった。最高裁で争われることはなく、Aの無罪は確定。心神喪失者等医療観察法により、精神科への強制入院措置をうけたが、それも三ヶ月前に退院。Aは、野に放たれたのだ。

 無罪が確定してから、わかったことだ。なぜ検察は、最高裁に上告しなかったのか、その理由──。

 上層部からの圧力があった。Aは大物政治家の隠し子で、精神鑑定で異常を認めたのも、すべて策略であったと。少年時代ならともかく、成人しているにもかかわらす、名前・顔写真が非公開だった理由にもなる。無論、最初から疾患が疑われる案件ではあった。だが、終始情報が表沙汰にならなかったのは、なにかの陰謀があったからではないのか。

 噂の域は出ない。しかし腑に落ちない部分は、それで説明がついてしまう。

 両親は、憤った。

 自分の子供を無残に殺害した犯人が、自由に外を出歩ける。普通に生活できる。顔も名前も知られていないから、だれからも迫害されることはない。法によって、Aは平穏な人生を保証されたのだ。

 依頼は、Aの殺害。

 ただし、一つの条件がつけられた。

 まだ発見されていない少女の骨をみつけてから。

「ありがとうございます」

「ありがとうございます!」

 男女が繰り返し、声を震わせる。

 だれに言っているのか?

 近くに、それらしい姿はない。

 男性の両手には、桐の箱がのせられていた。

「ありがとうございます! これで、あの子がもどりました……」

 いつまでも、涙声はやまなかった。


        * * *


 とある会社の、とある会社員。

 方法は、とある方法で──。

 おれは、どこにでもありそうな雑居ビルの前でたたずんでいた。

 擬態している。街に溶け込んでいるのだ。

 だから、だれからも不審がられることはない。

 とある会社員がビルから出てきた。

 彼はスーツの胸ポケットに、ペンを差していた。ボールペンなのか万年筆なのか、そんなことまではわからない。

 眼の前を横切っていく。こちらの気配には気づいていない。

 年齢は、二十代前半。

 この彼は、少年時代に殺人を犯している。仲間たち数人と、なんの罪もない同世代の少年を殴り殺したのだ。そのリーダー格が、彼だ。

 結局、なんの反省もすることはなく、こうして社会に復帰している。

 彼のあとを追う。

 呼吸を合わせる。

 同じ歩調で。

 まわりには、いくつかの人影があった。

 かまいはしない。

 背後から腕を回した。

 胸ポケットのペンを取る。

 そこでようやく、こちらの存在を察知したようだ。

 もう遅い。

 ペンの先を、彼の眼球に突き立てた。

 片方の手で、彼の口を塞ぐ。

 眼球から入り込んだ穂先は、脳幹を貫いただろう。

 彼の身体から、瞬間的に力が抜けた。

 絶命。

 彼が倒れた。

 そのときには、もうほかの通行人に溶け込んでいた。かなりの距離を行ってから、いま起こした殺人があらわになった。

 悲鳴が、遠くに聞こえていた。


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