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51.20日午後6時
場所は、峰岸がよく知っていた。ハンドルも彼が握っている。助手席には長山がつき、後部席に世良と麻衣が座っていた。なにがおこるかわからないから、麻衣をつれてくるべきではなかったが、水谷雫の姿を知っているのは彼女だけなのだ。
さゆりの出演するイベントは、秋葉原の最近完成したビルでおこなわれるということだった。同じ街に事務所をかまえているが、話にも聞いたことがなかった。峰岸も気をつかって、そういう話題は避けているのだろう。新しくできた施設や観光スポットに好んで行くことはないのだから。
「つきました」
世良は、停車したのと同時にドアを開けていた。
「待ってください」
長山の制止に従っている状況ではなかった。
だが、初めての場所では行動がとれない。長山が続くまで待たなければならなかった。
二秒。
「こっちです」
長山の先導で、建物内に向かった。
峰岸は車に残るようだ。ビルの真ん前に停めたようだから、違法駐車で摘発されてしまうかもしれない。いまの世良にとって道路交通法などどうでもいいことだが、実際に点数を引かれるのは峰岸になる。罰金は世良が払うとしても、いらぬトラブルは回避するに越したことはない。麻衣も車に残ったようだ。危険が待ち構えているかもしれないのだから、そのほうがいい。
エントランスのなかに入った。空気感の変化でそれがわかる。
「あの、いまイベントをやってるのは、何階ですか?」
案内カウンターがあるのか、長山がそう問いかけていた。
そのとき──世良の耳に、凶悪なものが届いた。銃声だ。
「長山さん!?」
「どうしました?」
どうやら長山には聞こえなかったようだ。
「銃声です」
浅田の屋敷では聞き逃したが、ここでは確実にそれをとらえた。
「どこですか!?」
「上のほうです」
「イベントは、何階ですか!?」
長山が、案内カウンターにいる人物を急かした。
「ご、五階です」
女性の声がそう答えた。
「エレベーターへ急ぎましょう」
長山が手を引いて動き出そうとした。
「待って! 階段のほうがいい」
世良は言った。エレベーターで上がった場合、扉が開いたとき無防備になる。上の状況がわからない以上、用心したほうがいいという判断だ。
「階段は?」
長山が、案内の女性に問いかけた。
「あ、あの……」
女性は戸惑っていた。
「私たちは、こういうものです」
手帳を見せたようだ。
「は、はい、こっちです!」
女性自らが案内してくれるようだ。おそらく、客にはできるだけエレベーターを使わせるような造りになっているのだ。階段は、あくまでも非常のときにのみ使用する。
「こちらです」
再び空気感が変化した。空調が遮断され、密閉されるような肌触りが体温を一瞬わからなくさせる。
「階段です」
長山の足音を聞きながら、世良も昇っていく。
「もっと速くてもいいですよ」
長山が気をつかってスピードを落としていると思った世良は、そう願い出た。
「いえ、私も歳ですから」
息はそれほど乱れていなかったが、長山は体力の限界であることをアピールした。自身の焦りを、世良は抑え込んだ。
「五階です。扉を開けます」
新しいビルだからだろうか、軋み音をさせることもなく、扉が開いた。空調のきいたなかに、身体が入り込んだ。
「どうなってますか?」
「ここは、通路のようです。進みます」
5メートルほど進んだ。
「ホールに出ます」
「様子は?」
「人が集まってます」
長山が、その人だかりに向かっていったようだ。世良は、その場で待機した。
「なにがあったんですか!?」
そこにいた集団に声をかけたようだ。
「日本語がわかる人は?」
どうやら、外国人のようだ。さゆりの演じていたアニメは、いまでは外国のほうが人気があるのだった。このイベントも、外国人を対象にしているという。
反応がなかったのか、今度は英語で質問した。そうだ。長山は、英語ができるのだった。
「男が発砲したんです!」
興奮した声が、そう答えた。日本人のようだ。
「あなたは、お客ですか?」
日本語にもどって、長山は応対した。
「そうです、エレベーターで逃げようとしてるんですけど、なかなか上がってこなくて……」
「むこうに階段があります」
この会場のスタッフなどはいないのか、そうとう混乱していることがうかがえる。しかも言葉が通じない外国人が多いなかでは、避難も簡単ではないのだろう。
「このフロアにいるのは、これだけですか!?」
「いまは、そうだと思います……」
長山がもどってきた。大勢の足音も大挙して押し寄せてくる。
長山に手を引かれて、世良はその集団をよけた。みな、階段の存在にようやく気づいて逃げていくようだ。
「さゆりは!?」
「それらしい女性はいませんでした」
長山は、さゆりに会ったことがない。
とはいえ、だいたいの年齢と職業は教えてあるから、見ればわかるだろう。
彼女は、どこへ行ったのか?
「浅田光二もいない」
普通に考えれば、発砲したのは浅田光二ということになる。ただし、気にかかることもあった。浅田御殿では聞こえなかった銃声が、ここでは聞こえたのだ。たしか《かかし》は、庭の竹林の防音効果以外に、消音機能のある拳銃だったと証言していた。それがサイレンサーのことを指しているのかわからないが、同じ銃だとしたら、ここでも聞こえなかったはずだ。
「あっちに行きましょう」
長山が言った。この状況では、眼の見える長山に頼るほかはない。
音の響きに変化があった。
「どこですか?」
「なんと呼べばいいのか……バックステージといったところでしょうか」
イベントスペースの裏……関係者以外、立ち入り禁止になっている区域なのだろう。長山と世良自身の靴音が、さびしく鳴っている。反響は薄く、会場とは構造がちがうことを理解できる。
世良は、気配をさぐった。
「このさきは?」
「奥に部屋があります」
「だれかいる……」
「わかりました。扉を開けます」
「これを使ってください」
世良は、懐から拳銃を取り出した。本来なら持っていてはいけないものだ。昨夜から所持したままになっている。一応、桐野からはお墨付きをもらっているものの、違法は違法だ。
「いえ、それはあなたが持っていたほうがいいでしょう」
「でも、おれは眼が──」
言うのをやめた。
「それでも、定年間近の私よりはマシだと思いますよ」
こんなところで謙遜しても仕方がない。
世良は、拳銃を自身で強く握った。
見えなくとも、当てることはできる。
「いきます」
勢いよく、長山が扉を開け放った。
「だれだ……公安か?」
意思のこもっていない声だった。
「浅田光二さんですね? 私は、公安ではありません」
「警察か」
あくまでも淡々とした口調だった。
「浅田さん、とにかく拳銃はしまってください」
長山の声が、状況を教えてくれる。
浅田は、父親を撃った拳銃を所持している。
「人質は、何人いますか? みなさん、無事ですか?」
この部屋に人質をつれ、たてこもっている。
「九人いますね?」
人質は、九人。
「女性も、三人いますね」
さゆりを知らないから、そういう表現で、さゆりかもしれない女性がいると知らせたのだ。
「みなさんは、このイベントの出演者やスタッフの方ですか? お客として来た方は? そうですか、みなさん関係者ということなんですね」
状況が見えてきた。
会場に侵入した浅田光二が、出演者やスタッフを人質にとり、この部屋にたてこもったのだ。
だが、ここで疑問がわきおこった。
なぜ、そんなことをする?
いかに正気を失っていたとしても、さすがにこんなことは無謀すぎる。浅田家の権力でも、ここまでのことはもみ消せない。
「浅田さん、もうやめましょう」
「黙れ」
激昂はせず、むしろ静かなままの声で言った。
「まだ、残ってる。あの殺し屋と、少女がな……」
たまらずに、世良は割って入った。
「《店員》は、どうした?」
「まさか、おまえが眼の見えないという探偵か?」
「世良さん……」
さゆりの声がもれた。
浅田の持つ銃口が自分に向けられたのだ──世良は悟った。
「思えば、おまえも関係者になるのだな。こうして会うのは初めてになるが」
「すべてを始末しようというのか?」
「そうだ。すべて無かったことにする」
「そんなことはできない。罪を償え」
「償うさ。すべてをあんなふうにしたらな」
あんなふうに?
「世良さん、部屋のすみで倒れている男がいます」
すでに《店員》は、始末されたのか?
「あの男性は、だれですか!?」
人質に問いかけたようだが、知っている者はいないようだ。
「ここの関係者ではないんですね?」
「そうです……」
さゆりの、か細い声が聞こえた。
「あれが、《店員》ですか?」
世良もそうだが、長山も《店員》の姿を知らない。今度は、浅田に問いかけたのだ。
「どう呼ばれてるかなんて知らん」
その答えは、否定しているようにも、正解だと言っているようにも聞こえた。
「動くな」
長山が、倒れてる男性──《店員》だと考えられる人物に近づこうとした気配があった。それを浅田に制されたのだ。
「もうやめろ、浅田光二」
世良は、権力者ではなく、犯罪者として浅田をあつかった。
「やめるさ。すべてを消し去ってからな」
「たぶん、おまえが殺した男は《店員》じゃない」
「なんだと?」
その言葉には、長山も驚いたようだ。
「どういうことですか!?」
「残念だが、おまえには殺せない。そういう相手だ」
《U》の仲介者であり、なおかつ元公安……いや、もしかしたら、いまでも現役かもしれない。浅田親子を天秤にかけ、裏から操ってきた人物を、簡単に殺せるわけがない。素人にはムリだ。それこそ、《U》でもないかぎりは……。
「では、だれなんですか?」
「おれに電話をかけてきた人間でしょう」
「どういうことですか? それが《店員》じゃないんですか?」
「そいつは、おれの耳を知ってるはずです。直接、電話で話すようなことは避けるでしょう。容姿の似ている影武者です」
「ふ、ふふふ……ははは」
浅田が笑いだした。
「そうか……結局、ヤツに遊ばれるだけなのか」
「そうだ。だから、もうやめろ。すぐにでも警察が突入してくる」
「私は、これからどうなる?」
「わからない。だが、これまでやってきたことを考えれば、それなりの罰はうけるだろう」
「なら、私は自らで決着をつけてやる」
世良にも、光景が予想できた。
銃口を自らに向けたのだ。
「やめろ!」
世良の叫びは、パスッ、という擦過音と重なった。
しばらく、嘘のように静寂が部屋を支配した。
どうなったのだ!?
世良は、だれかの言葉を待った。
「おれの顔を見ようとするな。とくに、そこの刑事」
思いもしない声が降りかかった。
「《U》か!?」
「この男を殺すかどうかを決めかねていたが、やめた」
「なぜだ」
「おまえへの借りを返した」
「借り?」
「その眼を潰したことだ」
「……」
どういう状況なのか、長山がいるであろう方向に顔を向けた。
「浅田光二が発砲しようとした瞬間、人質になっていた男の一人が拳銃を叩き落としたんです。……ほかのみなさん、その男の顔は見ないようにしてください」
手で顔を隠しているのか、もしくはあの別荘のときのように、なにかを被っているのだろうが、見ないに越したことはない。とくに、さゆりには眼にしてほしくなかった。
「おれの標的は、一人だけになった」
「《店員》か?」
「この男を助けたんだ。今度は、こっちの流儀でやらせてもらう」
「むざむざ殺させはしない」
「甘いな、世良。やつを生かしておくことは、いつ暴発するかもしれない爆弾を抱え込むようなものだ。やつを止めるのは、長年組んでいたおれの役目だ。このことに関して、引くつもりはない」
「……」
「その気になったら、おまえの女に危害を加えることもできる」
《U》が、さゆりのことを見たような気がした。この男は、彼女のことも知っている。事前に調べていたのか、なにかの偶然で知ったのか……。
「おまえは、悪人しか殺さない」
「どんなことにも例外はある。こっちの身が危険になれば、その限りではない」
ヤツの言う意味がわからなかった。
「どういうことだ?」
しかし《U》は、その問いに答えることはしなかった。
「ほかの人間は来るな。その年老いた刑事さんもな。世良、おまえだけが来い。すべての決着をつける」
「どこへ行く?」
「きっと、ホールであの男が待っている」
「《店員》か?」
動き出す気配がした。
「世良さん!」
「大丈夫です。長山さんは、みなさんと、ここにとどまってください」
《U》に続いて、部屋を出た。
「やつは、身代わりをたてていた。おまえの推理どおりだ。あの部屋で、身代わりと浅田が会うことになっていた。身代わりは、公安時代の仲間かなにかだろう」
《店員》が公安の関係者であることも勘づいていたようだ。
「やつとは、あくまでも仕事のための付き合いだったが、ずいぶんと利用されていたようだ。まあ、こっちも利用していたがな」
「潮時じゃないのか? もう足を洗え」
「おれは、浅田光二とはちがう。説得なんてできないことは、よくわかってるだろ? おおかた、浅田光次郎の関係者にでも頼まれたんだろ?」
「《かかし》という男だ」
「なるほど、おかしなオッサンだとは思ってたが、やっぱり雇い主は父親のほうだったか」
《U》が立ち止まった。
「このさきで、やつが待ってるはずだ。もう気づいてるだろうが、さっきおまえが言っていたことはまちがってる」
すぐに警察が突入してくる、と言ったことだ。世良も、薄々は考えていたことだ。警察は──通常の警察は、この件にはタッチしてこない。
「公安か」
「やつと、いまでもつながっているのなら、ここは無法地帯ということだ。やるか、やられるか」
「《店員》は、どんな男だ?」
「狡猾で用心深い。気をつけろ。まだここでは姿を見ていないが、必ず罠を仕掛けている……」
「発砲はどこであった?」
「おかしなことを訊くな……さっきいた部屋だ。出演者の控室になっているらしい。イベントの最中だった」
「おれにも聞こえた。だが浅田光二の銃では、聞こえなかったはずだ」
「これのことか?」
どうやら叩き落とした拳銃を、そのまま奪っていたらしい。
「そういえば、銃声がちがったな。ということは、撃ったのはべつの人間か」
《店員》による発砲だった。そのために、この場は混乱に陥ったのだ。もしかしたら、浅田光二が大勢の人質をとってたてこもるはめになったのは、その発砲に触発されたからかもしれない。
「どちらが撃ったにしろ、控室での発砲ならば、どうして出演者やスタッフが人質になった?」
イベントの最中だったはずだから、あの部屋にはだれもいなかっただろう。逃げるにしても、あそこにだけは近寄らないようにするはずだ。
「直接見てたわけじゃないが、係員らしき人間が誘導したようだ。客と関係者を分けてな」
「そうか……《店員》の声がわかった」
この階について、長山が状況を訊いた客の一人だ。外国人ばかりのなかに、日本人がいた。自らも客をよそおっていたが、あの男が《店員》でまちがいないだろう。
「いいか、踏み込むぞ」
《U》の気配に従い、世良も飛び出した。




