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遠い声  作者: てんの翔
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       50.月曜日午後6時


 浅田光二は、狂ったように車を走らせていた。ガードレールや対向車に接触すること数回、それでも止まることを知らなかった。父親を撃ったことにより、正気のタガがはずれたのだ。

 あれから──。

 血にまみれて倒れる父親を見下ろしながら、浅田光二は、しばし呆然としていた。父親のボディーガードも、動けなかった。彼が拳銃を所持しているからではない。主人である男の息子による襲撃で、思考能力が停止してしまったのだ。

 三十秒ほど経って、護衛役が、ようやく浅田光次郎の介抱に向かった。即死ではなかったが、ほぼ助からないだろうと思われた。

 すぐさま、屋敷からも応援の人間がやって来た。そのなかには、あの《かかし》もふくまれていた。なんとか話せる状態なのか、浅田光次郎と《かかし》とのあいだで、言葉のやりとりがあったようだ。それもほんの一瞬で、配下の者たちが、瀕死の老体を車にもどした。急いでどこかへ発進した。おそらく、裏から手をまわせる医療機関に運んだのだ。

 浅田光次郎を乗せた車が去ったあとも、浅田光二は、ずっとそこに立ったままだった。数人の男たちが、浅田光二を取り囲んだ。

 しかし彼らにも、どう対処すればいいのか判断できないようだった。

「光二さん……」

 一人が、そう声をかけた。

 そこでやっと、浅田光二に意思がよみがえった。

「うおおお!」

 それまで下ろしていた銃口が、再び立ち上がった。

 護衛たちにおびえた様子はなかった。それよりも戸惑いだ。これが、ただの暴漢であるならば、対処は簡単だ。

「もうやめてください……」

「黙れ!」

 浅田光二は踵を返すと、自ら運転してきた車に乗り込んだ。

 ──そして、情緒不安定なドライブがはじまったのだ。

 おれは、後部座席に隠れていた。正気を失っている浅田にみつかることはない。このまま、どこへ行くつもりなのか?

 この男が父親の次に殺したいのが、おれか《店員》だろう。ならば、居場所のわかる人間のところへ向かう。《店員》の居場所を浅田が知っていれば……だが。

 荒れていた運転だったが、しばらく走行すると、どうにかまともになっていった。幸い、警察車両に追いかけられるようなこともなかった。ただし、これまで接触された運転者の通報で、警察は動き出しているだろう。浅田光次郎の襲撃については、警察は知らない。そのことでの通報は、光次郎サイドが避けるはずだ。浅田光次郎の配下は、本人だけでなく、その息子をも守ろうとする。まったくもって、複雑な関係性だ。

 運良く警察にみつからず、目的の場所へ行けるだろうか? おれは、それを望んでいた。

 このまま、《店員》のところまで運んでもらう。

 こうなった以上、浅田親子のことは放っておく。父親はおそらく助からないだろうし、息子も自滅した。たとえ罪が隠蔽されたとしても、権力者として君臨することは、もうできない。

 残ったターゲットは、一人だけだ。

 車の挙動は安定し、いつしか秋葉原周辺に入り込んでいた。繁華街から離れた歩道にも、人通りは多い。ふいに停車した。助手席に置いていた拳銃を手に取ると、浅田光二は外へ出た。エンジンを切ることもなく、歩道へ上がる。

 おれも、それに続いた。

 中心地へ向かっているようだ。そんなところに《店員》は潜伏しているのだろうか?

 しだいに人の数が多くなった。中央通りは、いつもどおり混雑していた。平日の場合、これからの時間のほうが賑わっていく。雑踏のなかを抜け、浅田はあるビルをめざしているようだった。最近、完成したばかりの建物ではないだろうか。

 店舗が入っているのではなく、映画館やコンサートホール、イベントスペースが地下一階から地上五階まで詰まっている。六階以上はマンションになっているようだ。

 浅田は入っていった。ビルの前は人であふれていたが、なかは思いのほか静まり返っている。一階には案内カウンターがあり、そのほかは広い空間となっていた。何基もあるエレベーターで、目的の階へ行くようになっている。上の住人は、専用の通用口があるようだった。つまり、ここへ入ってきたということは、マンションの部屋に潜んでいるということではないようだ。

 浅田は拳銃こそ隠しているが、顔つきには殺意がみなぎり、人を寄せつけないオーラで武装していた。開いたエレベーターに何人かが乗り込もうとしていたのだが、浅田は割り込んで、さきに乗ってしまった。

 強烈な敵意に押されたのか、あとにはだれも続かなかった。浅田一人を乗せて、エレベーターは上昇をはじめた。

 いまのあいつはなんだったんだ、と憤慨するその他の客にまぎれて、おれはエレベーターの表示に注視していた。途中、止まることはなく、五階まで行った。このエレベーターは五階までしか行かないから、目的地はそこだろう。

 案内板がすぐとなりに設置されていたので確認した。五階は、イベントスペースになっていた。

 本日は、アニメのイベントが開催されているようだ。

 疑問が浮かんだ。

 なぜ、そこなのだ?

 案内カウンターに足を運んだ。

「あの」

 そこにいた女性に声をかけた。どこにでもいる凡庸な男になりきっているから、会話をしたとしても、彼女の記憶には残らない。

「はい?」

「五階では、なにをやっていますか?」

「こちらですね」

 女性は一歩横へ動いて、背後の壁を手で示した。そこには、上映されている映画や開催されているイベントのポスターが貼られていた。

「海外のお客様を対象にしたアニメイベントになります」

 ヒロインらしき少女が大きく描かれたポスターを、女性の手は指していた。

 おれには、よくわからない世界だ。だが拠点にしていたレンタル店で、ジャケットを眼にしたことがある。いや……、そういえば、このアニメが多く置かれていなかったか?

 これは、なんの布石だ?

「だれか、有名な人が出演するんですか?」

「はい。声優の夢見まりもさんがゲストで出演なさいます」

 知らない。《店員》と、なにか関係があるのだろうか。

 説明してくれた女性も、あまりよくは知らないようだ。表情を観察していればわかる。事前にそう案内するよう、マニュアルがあったのだろう。

 ポスターには、夢見まりもという女性の写真などはなかった。

「よかったら、ご覧になっていってください。入場は無料ですので」

「日本人でもいいんですか?」

「大丈夫ですよ」

 ということは、日本人にはあまりファンがいないのだろうか。

「わたしもあまり詳しくはないのですが、ちょっと古い作品のようで、外国のほうがむしろ人気があるそうです」

 不思議そうにしていたからか、女性はそう教えてくれた。

 軽く頭を下げて、エレベーターへ向かった。彼女の記憶に残ってしまったかもしれないと、少し後悔した。

 数人の客と五階へ向かう。

 だが、ほかの人間は四階までで降りてしまった。

 五階のイベントスペースでは、即席で作られたと思われる壇上で、出演者がトークショーをおこなっていた。

 会場にはパイプ椅子が並べられ、それほど数があるわけではないが、すべての席が埋まっていた。あふれた観客も多く、立ち見をしている。おれも、その群れに入り込んだ。

 たしかに外国人だらけだった。日本人の姿もそれなりにあるが、もしかしたらそれは、中国や韓国などアジア圏の人たちかもしれない。

 浅田光二や《店員》の姿はなかった。

 いま話をしているのは声優だろうか、監督やスタッフだろうか、中年の男性だった。正直、人を引きつけるようなカリスマ性などは感じなかった。それでも外国人たちは、興味深そうに眼を向けている。一応、通訳もいるようだが、言葉のほとんどが訳されていない。十の日本語に対して、一の英語が飛び交うだけだ。

「……!」

 おれの血流が、激しく脈打った。

 知っている顔があった。並んでいる出演者のなかに……。

 名前などは知らない。だが、見たことのある顔。

 その人物がマイクを持った。

『どうも、夢見まりもです』

 あれが、夢見まりも──。

 ……どういうことだ!?

《店員》の指示で標的にした左翼組織の男。世良の眼を潰すきっかけとなった依頼だ。その殺害時に会っている。おれを目撃して生き残っている数少ない一人。

 世良は眼を潰し、利根麻衣は協力者になってもらった。

 この女は、ただ見逃した。

 あることを思い出した。《店員》からの情報だ。いま世良には、恋人がいる──職業は、ナレーションなどをやっている声優だと。

 彼女が!?

 おかしい。当時から世良とつきあっていたわけではないだろう。殺害した男の関係者だと、あのときは考えていた。

 ……では、あの事件のあとにめぐり会ったのか?

 そんなはずはない……そんな偶然はない!

 身体が震えた。

 このことに、あの男は気づいているのだろうか?

「……!」

 しかし、そのことを考えている場合ではなくなった。

 場内に銃声が響きわたったからだ。


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