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48.月曜日夕刻
わずかずつだが、全貌が見えてきた。
計画を立案したのは、浅田光二を中心とした公安部。軍事衛星となると、防衛省──当時の防衛庁も絡んでいる。経済産業省や文部科学省の何人かも関係しているかもしれない。
彼らは、中国の軍事衛星に細工をした。本当に日本がコントロールできるのかまではわからない。が、なにかしらの仕掛けを施したのは、ほぼまちがいないだろう。
おれは、その設計者の殺害に加担させられた。しかし公安内部には、浅田光二に反発する一派もあった。その一派の思惑により、おれはここまでたどりついた──いや、たどりつかされたのだ。
その派とは……?
考えられる人物が、一人だけいた。
浅田光二の父親、浅田光次郎だ。《おおやけ》を仕切るだけの人間に対抗できるのは、元総理でやはり同じような立場だった浅田光次郎しかいない。というより、日本の裏表どこを見渡しても、この親子しかいないのだ。
そして、すべての鍵を握るのは《店員》だ。
あの男は、二重の任務を追っている。やつが《おおやけ》であることは、もう揺るぎようがない。正規の人員ではなくとも、非合法な活動に従事している便利屋のたぐいではあるはずだ。
両派閥に対して態度を変えているのか、どちらかの二重スパイなのか……。
ならば、おれの決着をつける相手は、あの男だ。
《おおやけ》に使われた設計者が、善人だとは決めつけられない。だが、殺しの動機が公安内部の権力争い──もっと言えば、浅田親子の確執だとするなら、おれの腕も安くみられたものだ。
そしてさらに、かつて殺した左翼グループのリーダー。最近手にかけた二人も、このことに関連しているようだ。
そうなると、あの探偵──当時はまだ警察官だった世良の両眼を潰したのも、浅田親子の暗闘に巻き込まれたからということになる……。
生まれてはじめて、後悔の念を感じた。
おれは、潰してはいけない人間の未来を閉ざしてしまったのではないか……。
殺し屋がなにを考えているんだ──おれは自虐的に打ち消した。
これまでさんざん、人の未来を壊してきたというのに……。
浅田光次郎。
浅田光二。
《店員》。
この三人には、それなりの代償を払ってもらう必要がある。
だれが一番の悪党で、だれがいまも悪事を続けているのか。
《店員》の所在は、不明だ。行動をべつにしてからは、どこでなにをやっているのかわからない。しかし、おれの近くで暗躍していることはまちがいないだろう。茨城の山中で襲われたときも、《店員》はどこかに潜んでいたはずだ。
だが、こちらからさがしだすのは難しい。
浅田光二も、今朝のことで、警戒して姿を隠しただろう。
唯一、所在のわかる人間が浅田光次郎だった。おれは、浅田御殿と呼ばれる邸宅に近づこうとした。外出をしていないかぎり、浅田はなかにいるはずだ。
細い糸が張りめぐらせてあるように、何者かの監視の眼があることを察知していた。
おそらく、《かかし》だ。
そうか……ようやく理解した。《かかし》は、浅田光次郎の依頼で動いていたのだ。
おれは思考を中断し、行動に重点をおいた。どうにかして、屋敷のなかに忍び込もうと周囲をうかがうことにした。
邸宅の門が、そのとき開いた。重そうな鉄扉が、異次元の入り口のように訪問者を誘っているかのようだった。
黒塗りの高級車が出てきた。後部座席で、ふんぞりかえるように座る浅田光次郎の姿を確認できた。最近はテレビで眼にすることは少なくなったが、それでも元総理の顔はだれでも知っている。
屋敷の塀沿いに通る道をゆっくりと進んでいく。
道幅は狭いから、あまり速度を出せないのだ。
おれは、あとを追った。徒歩でも充分つけられる。
塀沿いから、一般道に入った。それでも、まだ路地裏になるのでスピードは遅い。
屋敷から30メートルほど離れた。もうすぐ行けば、表通りに合流する。そこからは徒歩で追うのは、さすがに無理がある。新宿のときのように、自転車が必要だ。おれは進みながら、眼で自転車をさがした。
その必要はなかった。
浅田光次郎の乗る車が停まったのだ。
高級車の行く手を阻むように、べつの車が現れたからだ。浅田の車よりは劣るが、それでも高級車にはちがいなかった。色はグレーだ。おれには見覚えがあった。浅田光二の車だった。ホテルの駐車場で確認しているから、まちがいない。
急停車したグレーの車から、浅田光二が降りてきた。運転席から降りたということは、運転手は使わずに、自身の操縦でここまで来たということだ。
おれは、事態を静観することにした。
「親父!」
浅田光二の取り出したものを見て、さすがのおれも眼を見張った。
自動式拳銃──。
「もとはといえば、親父が俺のやることに異をとなえたからだ! こんなことになっちまった!」
浅田光二は、激昂していた。さきほど会ったときとは、だいぶちがう。同一人物とは思えないような取り乱しようだ。さっきのが虚勢で、こちらが本当のあの男なのかもしれない。
だとすれば、冷徹な黒幕などではなく、哀れな小物だ。父親の足元にもおよばない。
「俺は、もうだめだ……狙われてる!」
「落ち着け、伜よ」
「おしまいだ……俺は殺される」
「だれに殺されるというんだ?」
「殺し屋だ! 親父が差し向けたんだろう!?」
「否定はしない……だが、おまえを消すためじゃない。止めるためだ」
「なぜ止める!? 俺は、親父の真似をしてるだけだ!」
「私は、おまえのようなことはしてこなかったつもりだ。すくなくとも、日本国民を窮地に立たせるようなことはな」
「なにを言う! 俺は、親父のコピーだよ! たとえ劣化版だとしてもな! 親父のように裏で人を動かし、不要な人間を葬ってきたんだ」
「……」
光次郎の顔に、動揺が浮かんだ。大物フィクサーが、自身の罪に気づいた瞬間だった。生き方を説かなければならない自分の子供に、最悪の見本を見せていたのだ。
「安心しろ……あの殺し屋には、おまえを殺させない」
「不可能だ! 俺は知ってる……ヤツに殺しを依頼して、殺害の瞬間を見たんだ」
恐怖を押し殺すように、浅田光二は言った。
おれは、浅田光二に殺しを見られていたことを知らなかった。彼一人では、そんな真似はできない。おれが素人の接近を察知できないわけはないからだ。《店員》の導きがあったはずだ。
「俺は、ゾッとしたね。姿をとらえることもできないんだ。ようやく、かすかに残像のような姿だけを見ることができたよ。その残像が殺すんだ……芸術のように人を殺すんだ……恐ろしさと同時に、もし殺されるなら、こういうふうに死にたいと……」
おそらく浅田光二自身も、なにを言っているのか混乱しているのだろう。瞳が正気ではなかった。
「その銃をおろすんだ」
「あの殺し屋からは逃げられない……それに、あの男もいる」
「あの男?」
「仲介人だよ……」
《店員》のことだろう。
「やつは、おまえを殺さない」
浅田光次郎は言った。《店員》が息子を殺すことはないと思っているようだ。
甘かった。おれは、そのことをよく知っている。保身のためには、大物でも殺す。《店員》とは、そういう男だ。いや、おれにもその本性がわかったのは、袂を分かってからだが……。
あの男は、いまも情勢を見極めている。どちらにつくのが得か、どう行動することが長生きできるのか……を。
「俺は、自由になる!」
「……なにから自由になるというのだ?」
浅田光次郎にも、その答えはわかっていたはずだ。なのに、そう訊いた。親子にとって、最後の意思交換だったのだ。
「あんたからだよ!」
〈パシュッ〉
浅田光次郎は、むしろ弾丸を受け止めるように両手を広げ、被弾した。




