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遠い声  作者: てんの翔
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       47.20日午前11時


 声の響きから、広い空間であることはわかる。峰岸からも時折、すごい──と、感嘆の言葉がもれているから、想像どおりの屋敷なのだろう。木材の香りが強いので、純和風の内装を世良は思い浮かべていた。

 通された畳敷きの部屋で、しばらくの時間を待たされた。一時間は経過したはずである。

「よくおいでくださった」

 ようやく、やって来た男が言った。かつて聞いたことのある声だった。元総理大臣、浅田光次郎──その人だ。

「世良王海さんですな? そして、その助手の峰岸さん。警察官の長山さん。お嬢さんは利根麻衣さん」

 世良は、呼びかけにうなずいた。ほかの三人も、同じようにしたにちがいない。

「浅田です。みなさんを巻き込んでしまって大変申し訳ないと思っています」

 声音からは、本当にそう考えているようにも聞こえる。だが額面どおりに受け取っていけないのが、このテの人種だ。

 年齢は八十歳を超えているはずだが、老いた声でも、しゃべり方でもなかった。

「あなたは、どのように今回の件に絡んでいるのですか?」

 世良は、感情を込めずに問いかけた。

「ふむ。なにから話そうか……発端は、不肖の息子の奸計だった」

「浅田光二?」

 光次郎には、地盤を引き継いだ政治家の息子がいる。

「左様。やつめが、あることを企んだ。中国の軍事衛星に、ある仕掛けを施したのだ。平たく言えば、日本の軍事衛星として使えるようにな。承知のとおり、わが国では軍事衛星を飛ばすのは、なにかと難しい。で、あの国のものを利用しようということになったのだ」

 あまりにも突飛な話に、世良はついていけなかった。

 日本には、『軍事衛星』というものはない。ただし、情報収集衛星という名の偵察衛星は存在する。世良は、そのことを告げた。

「ですが、表立って軍事利用できるものと、そうでないものとは雲泥の差が生まれます。他国の衛星と、その能力を比較すれば一目瞭然。この国では、偵察衛星に多くの予算は使えないのです」

 そこで一拍置いてから、

「正直に告白すると、その考えは、私も持っていた。実行しようとするまでの具体的なものじゃなかったがね」

 浅田は、若かりし時を恥ずかしがるように言った。

「あ、そうそう。これだけは約束してもらいたい。ここでの話は、あくまでもここだけのことだと」

 一転、声を少しひそめて、そうつけたした。世良をはじめ、だれも了承はしなかった。それでもかまわずに、浅田は続けた。

「ある技術者に軍事衛星の設計をさせ、中国の軍部に売り込んだのだ。もちろん、息子自身が関与していると思われないように。むこうの諜報機関は、逆にこちらの技術を盗んでやったと信じているだろう。あの国の衛星は、たとえばアメリカのものとくらべると、子供の工作のようなものだ。革新的な技術をさぞ、彼らは喜んだであろうな。日本の技術者は優秀だ。ただ、この国では予算が取れん。だからよいものがつくれないだけなのだ」

 世良には、思い当たることがあった。

「広陣という中国系の企業があります。正確にはマレーシアの会社ですが、華僑がバックにいる。その日本支社が、かつてありました。しかし、ある日、関税法違反の容疑で摘発されてしまった」

「そのとおりです」

「段取りは、公安ですね? あなたの息子さん、浅田光二氏は、元警備局長だった。警視庁公安部にいたこともある」

 世良が配属される、ずっと以前のことだ。世良が現役のころは、すでに警備局長でもなかったと記憶している。よくは覚えていないが、初当選したころではないだろうか。

「その会社が窓口となり、衛星の設計を日本から盗んだという形になっている。日本から見れば、その会社を使って、むこうを操っていたということです」

 計画が終了し、いらなくなった会社を、公安自身が潰した。中国にしてみたら、技術の盗用を公安に勘づかれたと考える。無駄な追求をされないように、中国側もおとなしく撤退する。

「軍事衛星を日本が使用する……そんなことが可能なんですか?」

「設計自体には、なんの細工もない。ただの軍事衛星が一つできあがる。だが、制御部分に日本からの操作を受け付ける仕掛けをしたのだ」

「コンピューター部分ということですか?」

「私は技術者ではないので、難しい話はできないのですがね」

 そのようなものだと、浅田は認めた。

「それだけですませばよかったのに、不肖の息子は、そのさきを見据えてしまった。このことが発覚したときの保険をうとうとしたんですよ。設計者の抹殺です」

 話が見えてきた。

「その暗殺に、《U》を使ったんですね?」

「その呼び名は警察だけのものだが、そういうことになる。仲介したのは、公安の人間だった。だが私は、反対した。これまでに後ろ暗いことをしてこなかったと言えば、嘘になる。ですが、わが国の宝にもなりうる技術者を、そう簡単に抹殺するのは忍びない」

「止められたのですか?」

 結末は予想できたが、そう訊いた。

「いいや。聞く耳をもってくれなかった。私は恐ろしくなった……自分の息子のことがな。この国にとって、最大の脅威になるのではないか……と」

「……」

「そこで私は、もしものときのために、やつを止める布石を打っておいた。殺し屋を仲介した公安の人間に協力をあおいだのだ」

「しかしその人間は、浅田光二側だったのでしょう?」

「いや、どちらにもつかない人間だ。息子と私と、どちらとも距離をとり、有利なほうに寝返ることのできる輩だ」

 そんな人間を使うことのメリットがあるとは思えなかった。浅田光次郎にも、浅田光二にもいえることだ。

「そういう人間にかぎって、使える人材なのだよ」

 疑問が表情に出てしまったのか、浅田は言った。

「その人間は、のちにそのまま殺し屋と組んで裏の仕事に身を染めた。どうやら、《店員》と呼ばれているそうだ」

「公安と手は切れていませんね?」

「もちろんだ。まあ、そのことはいいだろう……話をもどそうか。店員は、殺し屋に死体の処理もやらせた。裏の世界では、殺しと処理は分業するのが当然らしいな。腕が上がれば上がるほど、その傾向は強いらしい」

 そういうものだろうか。一課や組対にいたことのない世良は、そこまで裏社会について詳しくはない。

「処理をやらせたのは……埋めるのをやらせたのは、その場所の手掛かりを殺し屋に残すためだ」

 麻衣の証言どおり、茨城のあの山だ。

「そして、私の別荘の鍵をいっしょに埋めさせた。あとで掘り起こしたときのヒントになるからな」

 だから《U》は、あの別荘を訪れた。

 一連のヤツの行動がひもとかれていく。

「彼女も、その手掛かりの一つだったのですか?」

 世良は、麻衣が座っているだろう方向に顔を向けた。

「そこは、よく知らんのだ。こんなお嬢さんまで巻き込んでしまって、無責任だと非難されるだろうが……このお嬢さんが現場を目撃していたことは、最近、報告をうけた。店員自身も、いままで知らなかったようだ。もしくは、わかっていて報告をあげなかったのか……」

 どっちつかずのコウモリならば、両方のケースとも考えられる。真相は、本人から確かめるしかないだろう。

「お嬢さんが狙われていることも知っている……私の雇った《かかし》から聞いた」

「狙ったのは?」

「公安の一派だと思う。こと、私たち親子に関しては、公安も一枚岩ではない。もしかしたら世良さんも、そのことは存じているかもしれませんが」

 世良は、首を横に振った。

「自分は、そんなに上の人間ではありませんでした」

 公安セクションは他の部署とはちがい、縄張り意識のない組織だとこれまで信じていた。刑事部などとの軋轢は激しいが、同じ公安同士で対立することはなかった。管轄が異なっても、それはすべて中央の警視庁公安部、もしくは警察庁警備局が取り仕切っている。

 それが、一枚岩でないことがあるなんて……。

「彼女を狙ったのは、浅田光二の一派だと?」

「そういうことになる。しかも、そちらが主流派だ」

 ふと、坂本のことが頭に浮かんだ。坂本がどちらなのかたずねてみたくなったが、やめた。浅田には、その名を使っていない可能性があるからだ。同時に、坂本が口にした「血筋」という意味がわかった。この親子のことだったのだ。

「では、こちらにとっての本題をお聞きします。水谷雫という少女が六年前に誘拐されました。今回のことは、どういう関わりがあるのですか?」

「そうでしたな……あなたたちは、その事件を捜査しているんでしたな」

 そのことの情報も、当然のごとく得ていたのだろう。

「広陣という会社の裏工作で、公安は五人の人間を利用した。そのなかの数人は、世良さんにも因縁があると思う」

 うなずいた。

 左翼組織のリーダーであった山本。

 副リーダー格だった川崎。

 因縁こそないものの、公安の下請けだった堤。

 広陣の経営コンサルトだった佐賀武。

 残りの一人が、水谷雫の父・健三。

「ほかにも数人協力者はいたが、公安にとって……ちがうな、息子にとって邪魔になるかもしれなかったのが、その五人だった。山本という男は、設計した技術者を始末した数年後に消した。口封じというよりも、最初から殺すつもりで利用していたのだろう」

 それが、九年前。世良の眼が潰された件につながっていく。

 そして山本の死がきっかけで、左翼組織は解体された。川崎は褒美をもらって、IT企業を立ち上げることになる。

「残りの四人は、さすがに殺すまでには至らなかった。うち二人には、飴をあたえた」

 川崎のほか、佐賀武にも会社を設立させ、援助したのだ。時系列でいえば、広陣の摘発は、山本殺害よりも以前になるようだから、佐賀への褒美のほうが早いことになる。

「残りの二人には、鞭をあたえた」

 堤は、もともと公安の下請けだったのだろうから、同じような任務をあたえ続けたのだろう。

 そして、問題の水谷健三には──。

「正確には、最初は同じように飴をあたえたのだろう」

 健三の貿易会社の設立も、つまるところ、そういうことなのだ。

 ただし、健三自身はなにも知らずに利用されていたわけだから、それを褒美とは知らなかった可能性がある。

「だが少女の父親は、それに満足せず、公安を脅したのだと思う」

 公安を脅すということは、イコール、浅田光二を脅したということだ。健三にしてみたら、利用されていたことに気づき、もしかしたら公表しようとしたのかもしれない。

「それが、六年前の誘拐事件の真相だ」

 工作の口封じに、誘拐を使った。

 それまで黙っていた長山が、口を開いた。

「どうして、誘拐だったんですか? それこそ、本当に口を封じてしまえばよかった」

 長山の言葉は、冷徹に聞こえた。親のおこなった公安への協力が、幼い少女を虐げる結果になったことを憤っているようだ。

「そのころには息子にも、『殺す』という行為が、途方もなく危険で、手間のかかることだとわかったのだろう」

「そのわりには、二人を結局、消してしまった」

 皮肉を込めて、世良は言った。川崎と堤のことだ。

「それはたぶん、息子の指示ではない。店員の判断だ」

《店員》という元公安は、どこのコントロールにも属さない危険人物になっているのかもしれない。

 いまでは、《U》との関係も切れているはずだ。

「水谷雫は、いまどこにいるのですか?」

 世良は、核心をついた。

「少女を隠していた二人は、息子の命令で動いておったが、同時に私の命令でも動いていた。店員のようなものではなく、私たち親子に忠誠を誓っていたのだ」

 あの老人たちに、これまで裏の仕事をさせていたことは容易に想像がつく。

「息子の命令で、少女をどこかに隠す必要があった。もしかしたら息子は、『殺せ』という意味を込めていたのかもしれない。だが私は二人に、守り抜け、と命令した。そして、あの別荘にひっそりと住むことになったのだ」

 どちらの命令にも従う人間だったために、そのような状況になったのだ。

「水谷雫を守っていた二人は死にました」

 世良はあえて誘拐・拉致ではなく、守っていた──と表現した。

「知っている。自ら命を絶ったことを」

 苦いものを吐き出すように、浅田は言葉をもらした。

「私は、あの別荘に侵入した者を殺せと命じていた。それが失敗だったな。息子が嗅ぎつけ、配下の者が少女を殺そうとするのを警戒してのことだった。任務をまっとうできなければ死を選ぶ……それが、この世界の掟だ。あなたと殺し屋が相手では、分が悪かった」

 浅田光次郎の言葉は、老夫婦へのはなむけにも感じることができたが、同時に二人の死が、とても無駄なような気がして、世良の胸中に虚しさが広がった。

「しかし……水谷雫さんの姿はどこにもありませんでした。何者かに連れ去られたんだと思います」

「私ではない。おそらく、店員だろう。店員の命令は、息子の命令にも等しい。まあ、実情は、バカ息子が完全に籠絡されているんだろうがな。だから、あの二人は娘を連れて行く店員を止められなかった」

「目的は?」

「わからない……だが、予想はつく。あなたと殺し屋の双方にとって、ウィークポイントになるからだろう。店員という男は、とてもしたたかだ。どちらにも転べるように、またどちらとも敵対できるように、切り札として確保したのだ」

「水谷健三が昨夜、襲われました。拷問をうけたようでした。それも店員が?」

「それはないでしょう。娘の身柄をもっているのなら、その必要はない。むしろ、娘の行方を知りたい一派でしょうな」

「それは、あなたではないのですか?」

 少し棘を込めて、世良は訊いた。

「私のあずかり知らぬことだ。だが、その父親と店員が通じていると判断した者がいれば、そういう手段に出るかもしれん」

 遠回しに、そのことを示唆しているようだった。

 水谷健三は、娘を誘拐した犯人を知っていた。知っていて、それを黙っていた。そのことを警察に告げれば、それこそ娘の命は危なくなるし、その証言は、結果、公安によって握りつぶされていただろう。

 健三は、水谷雫ではなく、三つ年上で、六歳のときに亡くなった姉の映像を警察やマスコミに提出していた。途切れ途切れの証言だったが、たしかに健三はそう口にした。もちろんそれだけが原因ではないだろうが、そのことがこれまで発見に至らなかったことにつながったのだ。警察も、一般市民も、ちがう容姿の少女をさがしていた。姉妹だから似てはいるだろうが、いかに人里離れた山中に囚われていようと、牢獄に監禁されているならまだしも、普通の生活を送っていた人間がみつからないわけはない。

 水谷健三と《店員》が結託していた場合、どういうことになるだろう?

 健三が、店員に娘の奪取と安全を依頼したのだろうか。いや、浅田の話を聞くかぎり、そんな依頼をうけるような人間とは思えない。店員は、事の成り行きを見極め、水谷雫の身柄を奪った。そのことに健三は関与していないとみるべきだ。

 しずくは……、と呻いた健三の心配は本物だったのだ。公安からの拷問をうけても、健三は口を割らなかった。割ろうにも、娘の所在を知らなかったのだ。

「店員の行方は、つかんでいないのですか?」

「わからない」

 ならば、これからの行動はおのずと決定した。

 世良の第一の目的が、水谷雫の発見であることにかわりはない。



 いくらでも訊きたいことはあったが、午後一時を過ぎたころに、浅田光次郎は用事があるといって、席をはずした。それでも、二時間ほどは話し込んだことになる。

 それからさらに時間は進み、午後四時になろうとしていた。夕日が鮮やかですよ、と庭を散策してきた峰岸がそんなことを言っていた。

 へたに動きまわるのは危険であると判断していた。すくなくとも、外よりはこの屋敷にいるほうが安全である。

 浅田光次郎が明確な敵であった場合はべつだが、もしそうなら、あんなに長く真相を語ったりはしないはずだ。無論のこと、完全に信用したわけではない。ああいう人種は、それまで味方のふりをしていたとしても、なにかのタイミングで急に引っ繰り返ってしまうものだ。

 用心は忘れていない。世良は意識をときおり集中させて、不穏な気配がないかを確かめている。耳を研ぎ澄ませているだけでも、いろいろなことがわかるものだ。だれかが動けば、床は軋み、足音もする。動作をとれば、衣服の擦れる音がする。それらを組み合わせることによって、たとえば何者かが侵入し、懐から拳銃を抜く──そういう気配を察知できるのだ。

 考えすぎだという思いもあった。世良は、緊張を解いた。

 長山と麻衣は、屋敷のなかを見て回っているようだ。とくにここの人間からは、入ってはいけないところがあるとは言われていない。有名な浅田御殿に入れたのだから、見学したいと思うのが心情だ。見えない世良にとっては、あまり興味の惹くことではないが。

 そのとき、何者かが近づいてくる気配があった。

 すぐに、《かかし》だということがわかった。

「いろいろ面倒なことになった」

《かかし》は言った。

「なにがあった?」

「浅田光次郎が、銃撃された」

 衝撃が走った。

「だれに撃たれたと思う?」

 世良は、答えられなかった。

「浅田光二──自分の息子に撃たれたのだ」


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