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43.19日午後9時
「孫は、どこにいる!?」
桐野が詰問する。桐野と長山によって捕らえられているであろう老夫婦へのものだ。声と息づかいの位置からすると、桐野が夫のほうで、長山が婦人のほうを押さえつけているようだ。
夫婦というのも、彼らの正体を知ったいまでは疑わしいが……。
老人たちは無言だ。
「きみは、会ったことがあるの?」
世良は、麻衣にたずねた。
「は、はい……よく遊んでました」
「どんな子?」
「どんな子って……かわいい子です。わたしよりも、七つか八つぐらい年下です」
麻衣は、困ったように答えた。年齢は、確かに合うようだ。
「名前は?」
「うーん……覚えてないです。なんだったかな……めずらしい響きだったような……」
「《しずく》だ……」
老人の声は言った。
「そうです、しずくちゃん」
迷宮の奥に入り込んでいた小鳥に、ようやく追いつけるかもしれない。
「水谷雫は、どこにいる!? 生きてるのか!? ここにいるのか!?」
だれもが絶望していたことに、光明が見えた。
「言え! どこだ!?」
世良は、なりふりかまわずに迫った。
「……助けてやってくれ」
つぶやくように、老人は声をもらした。
「どこにいるんだ!?」
「もういない……」
「いつからだ!?」
「さっきまでいた……」
「生きてるんだな!?」
「生きてる……いまは」
意味深な言い方をした。
「どういうことだ!?」
「つれていかれた」
「だれにだ!?」
「約束してくれ……助けると」
老人は質問には答えず、そう頼んだ。
「あの子は、《人工衛星》のための人質だ……不憫だ……幸せにしてやってくれ……」
「おい!?」
桐野の緊迫した声が響いた。
世良の嗅覚は、ある臭気をとらえた。甘い香り。アーモンドのような──。
「息を止めろ!」
世良は叫んだ。
麻衣の身体を手さぐりでさがしあて、その口を塞いだ。
桐野も長山も、老人たちから離れた気配があった。
「毒だ……奥歯かなにかに仕込んでたんだ」
桐野が状況を説明してくれた。
「こっちもだ」
長山の声が、二人とも自害を選んだということを告げていた。
「どうする、世良? おれは、さすがにここのことを通報する」
さきほどの山中での一件は、匿名の通報だけにとどめた。数人の男たちが倒れている、と。県警が真に受けるのかは疑問だ。だが、なにも通報しないわけにはいかなかった。捜索がされるとしても明日の朝だろうと、世良をはじめ桐野も長山も考えた。もしくは、公安が秘密裏に処理しているか……。
だが、こうなってしまうと、匿名というわけにもいかない。ちゃんと事件として通報するしかないだろう。
「残念だが、おれはここまでだ」
桐野が、警察官として通報するということだ。管轄外であるが、通常の捜査をしていたわけではない。偶然、通りかかった山中で事件に出くわした、とでも言い訳すればいい。別荘に入ったのは、不審な物音がしたからだ──とでも主張すれば通るだろう。
「彼女は、どうする?」
世良は、麻衣がいるであろう方角に顔を向けた。
《U》は、目的を果たしたようだ。これまでのことが、それを妨害するための行動だったとしたら、すでに彼女が命を狙われる心配はなくなっている。しかし、ちがう理由があったとしたら、その限りではない。それに、もしそうだったとしても、《U》が目的を果たしたことを、相手方が知らないことも想定しておかなければならない。
彼女をつれていったほうがいいだろう。
この現場に公安が来た場合は、彼女を危険にさらすことになる。
世良はその旨を、桐野と彼女自身に告げた。どちらからも反論はなかった。
「ならば行け」
「これは、どうする?」
拳銃をかかげて、世良は言った。これまでは、なし崩し的に世良が持っていた。本来なら、所持していてはいけないものだ。さらにこの現場では、発砲した証拠も残っているだろう。調べられたら、弾痕が家のどこかに残っている。
「こっちでうまくやる。それは、護身用にもってろ。弾は?」
「二、三発ってところか」
重さから、そう判断した。弾倉をはずして確認するようなことはしなかった。
「最後の一発は、ヤツのためにとっておけ」
桐野の言葉に左手で応えると、世良は別荘の外へ向かった。長山と麻衣もついてくる。すでに玄関までの道は把握している。先導してもらう必要もなかった。
屋外に出ると、峰岸の待っている車に向かった。エンジンを切っているから、さすがに細かな位置まではわからない。
「こっちです」
長山の案内で、車にたどりついた。
「その様子じゃ、いろいろあったみたいですね、王海さん」
どこか心配げな声音を滲ませて、峰岸が言った。峰岸が運転席にまわり、長山が助手席に、後部に世良と麻衣が乗車した。
「発砲があったみたいですけど、無事でしたか?」
そう訊きはしたが、無事なのを確信しているからか、むしろお気楽な感じで、峰岸は続けた。
「ああ、こっちに怪我人はいない」
「桐野さんは?」
「ここに残る。早くしないと、警察が大挙して押し寄せてくるぞ」
すぐさまエンジンがかかった。
「では、出発します」
桐野のことだから、途中で警察車両に遭遇しないよう、時間を空けて通報するはずだ。山道を順調に下っていった。
「あまりにも帰ってこないんで、逃げようかと思っちゃいましたよ」
曲がりくねった山道から、真っ直ぐな一般道になったあたりで、峰岸が話しかけてきた。みな、疲れているようで、だれからも相槌すらなかった。
「で、どこへ向かいます?」
「東京へ」
それだけを、世良は答えた。
《U》がどこへ向かうのかは不明だが、この地での用事は済んでいる。世良にとっても、それは同じことだった。
ヤツは、なにかの力によって導かれている──そう語った。そしてそれは、世良自身にも当てはまるのだと。
「東京のどこへ?」
「決まってない」
本当に導かれているのだとしたら、その何者かのほうからアプローチがあるだろう。
「あの人は……」
ふいに、麻衣が口を開いた。
「一つのヒントを解いたら、また次のヒントが待っている……そう言ってました」
「あいつの手に入れたものは?」
「鍵です」
それが、ヤツの手にしたヒントなのだ。そしてその鍵を使って、あの書類のようなものを得た。それが次なるヒント。
「あの山で、いったいなにをしていたんですか?」
長山が、そう質問した。たしかに知りたいことだった。
だが彼女は、あきらかに答えるのを迷っているようだ。息づかいからそれがわかる。
* * *
麻衣は、言うことをためらった。約束を破るような気がしたのだ。そんな約束などしていないのだが……そう思えてしまう。
彼とのあいだに芽生えた情のようなものだろうか。
「言いたくなければ、言わなくてもいいよ……」
世良が、そう言ってくれた。
しかし、この人になら打ち明けてもいいのではないか──そう思う自分もいる。きっと彼も、それを反対しないはずだ。
この二人は、敵同士でありながら惹かれあっている。
敵であって、同じ人種でもあるのだ。
「……あの山では、埋められていた死体を掘り起こしました」
麻衣は、これまでのことを話しはじめた。
幼かったころに、あの山で人が埋められている場面に遭遇したこと。そのときは、そんな凄惨な現場だと夢にも思っていなかったが、目撃したことで、ユウ──《U》に命を救われたこと。彼はそのときからずっと自分を見守っていた。上京したときに住む場所がなかなか決まらず、いまのアパートに入居したのもまた、彼の仕業だった。
「わたしの記憶から、あの場所をさぐりあてるためです」
なぜ、そんな回りくどいことをしなければならなかったのかも説明した。そして掘り起こした場所で、鍵をみつけたこと。その鍵が、さっきの別荘のものかもしれないと考えたこと。
ひと通り話しおわると、しばし沈黙が車内に流れた。車は、夜の高速を疾走していた。
「ずいぶん、込み入った事情があったんですね」
運転席の男性が言った。たしか、峰岸といったはずだ。
「ヤツにも、ヤツなりの目的があったってことだ」
「でも王海さん、もしかしたら王海さんが眼を潰されたときも、あの殺し屋は、なにかしらの陰謀に利用されてたのかもしれませんね……」
「そうかもしれない」
「そして、六年前の誘拐事件も」
「あの別荘に、本当に水谷雫がいたのなら、そういうことかもしれないな」
助手席のベテラン刑事が言った。ワゴン車のなかでしか会っていないから、最初、名前が思い出せなかった。公安の人が、長山さんと呼んでいたのを、すぐに思い出した。
「人里離れたあの場所で隠れるように生活していたから、いままで発覚せずにいたのかもしれない」
「でも……そんなふうには見えませんでしたけど」
麻衣は、伝えなければ、と口を開いた。あの女の子が、誘拐事件の被害者だなんて……。
「あのおじいちゃんたちに、よくなついてました……」
あの老夫婦が普通の老人たちでなかったことについても、いまだに信じられない。とてもショックで、つらい感情だった。
「それに、いくらまだわたしが子供だったとしても、ニュースぐらい眼にしてたと思うんですよね」
テレビ画面にあの女の子の写真が映っていたとしたら、さすがにわかるはずだ。
「髪形を変えていたら、わからないかもしれない。それに当初は身代金目的の誘拐だと思われていたから、報道規制がかかっていました。写真が公開されたのは、だいぶ経ってからです。子供の成長は早いから、写真と実物に差がでたのかもしれない」
長山刑事はそうが言うが、麻衣には納得できなかった。
「そうでしょうか……」
「もしくは──行方不明になったとされている少女のほうがちがうのか……」
世良の言っている意味がわからなった。
「どういうことですか、王海さん」
運転席の彼も、同様のようだ。
「目的地が決まった。水谷健三の家へ」
44.日曜日午後10時
自力で山を下りて、麓の国道でたまたま通りかかったトラックの荷台に乗った。もちろん、許可など取っていない。荷台にはなにも積まれていないから、どこかに届けた帰りなのだろう。
ここまで運転してきた車までもどることも考えたが、あの山には《おおやけ》のいる可能性が高い。
トラックは信号以外で止まることはなく、高速に乗った。二つ目のサービスエリアで休憩をとった。ドライバーがトイレへ行っている隙に、おれは運転席を調べた。エンジンは切ってあったが、鍵はかけていなかった。
産業廃棄物運搬と書かれた伝票があった。埼玉県草加市の業者のようだ。ドライバーがもどってきた。みつからないように──まずみつかることはないだろうが──運転席から出て荷台にもどった。草加まで運んでくれれば充分だ。
それから三十分ほどして、トラックは発車した。きらびやかな夜景があたりまえになってきてからしばらくすると、高速を下りて主要幹線道路に移った。信号で止まった。赤になったばかりで、大きな交差点だから、青になるまでは少しかかるはずだ。
歩道に自動販売機があった。ここまででいいだろう。
おれは、そこで降りた。青になってトラックが発車するまえに、荷台に缶コーヒーを置いておいた。せめてものお礼だ。飲んでくれるかは微妙なところだが。
すぐ近くに二四時間営業のファミレスがあった。入店すると、紅茶とケーキのセットをたのんで、テーブルにあの書類を広げた。
なにかの設計図だが、一見しただけではよくわからない。
わからないが……あるワードが、どうしても浮かんでくる。
人工衛星。
それまで『人工衛星』とは、人の名前だと考えていた。
あの山に遺棄した人間の名前が、人工衛星だと。当然、通り名のようなものであろうが、《店員》はそれだけをあのとき教えてくれた。だが、あれは名前ではなく、別の意味があるとすれば……。
たとえば、人工衛星に関係した人間──。
設計者、もしくは技術者か、衛星に関わる企業の社員。想像すれば、あふれるほど答えは出てくる。
……では、なぜ?
この設計図が人工衛星のものだとしたら、どういうことになるのか?
あのとき殺した男は、衛星になんの関係があったのか。どうして殺さなければならなかったのか。さらに十年以上も経ってから、おれにこれを発見させたのはなぜか?
あの別荘は、浅田光次郎の持ち物だ。どう考えても、浅田が黒幕ということになる。
しかしそれでは、簡単すぎる。
簡単でいけないわけではない。世の中の真相とは、大概そういうものだ。……なのだが、これだけまわりくどいヒントのあたえ方をする者が、そんな単純であるというのも、また不自然だ。
あえて単純にしてみると、あのとき《店員》とともに同乗していた人間は、浅田光次郎ということになる。
いや、それはない。年齢が合わない。姿を見たわけではないが、臭いがしなかった。加齢臭というやつだ。あの世良ではないが、目隠しをされていたから、その他の感覚が鋭くなっていた。臭いだけは覚えている。上品な香りがした。香水のようなものではなく、普段からいいものを食べ、飲んでいる人間の発する自然の体臭だ。浅田光次郎も贅沢な生活をしているだろうが、浅田の年齢ではそうはいかない。
いまでは隠居して、それでも政財界に悪影響をおよぼすほどの妖怪だ。当時はまだ現役だったとはいえ、七十を超えていた。
では……。
もう一人いる。
浅田光次郎の息子、浅田光二。
現在は、父の地盤を引き継いで二世議員の人生を謳歌している。あのころは、まだ政治家ではなかった。
警察庁警備局長。
その前職が、警備局企画課長。
そのさらに前が、警視庁公安部長。
公安色の強い官僚だった。
「浅田光二か……」
確信に近いものを感じた。
次のヒントが見えた。




