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40.日曜日午後7時
麻衣は、殺されるのではないかと思った。
きみの役目もここまでだ──そう言ったあと、鋭い睨みで彼が近づいてきた。
用済みになったから殺されるのだ!
ユウの手が、麻衣の頭を押さえた。その瞬間、背後から、バンッという炸裂音がした。強い力で地面に伏せさせられたから、助かったのだとわかった。
「ここにいろ」
ユウは、そう言葉を残すと、闇のなかへ消えた。懐中電灯は、二本とも下に転がっている。
数秒が経った。なにも物音はしなかった。
「それを消せ」
もどってきたユウの声に、麻衣は心臓が張り裂けそうになった。
「な、なにがあったんですか!?」
「いいから消すんだ」
しゃがみこんで、ライトのスイッチを切った。
「伏せてろ」
再び、どこかへ向かった。
言われたとおりに、麻衣はしゃがんだままでいた。
今度は、一分ほど経った。
「いいぞ」
ユウが言った。
「どうしたんですか!?」
「狙われてた。五人いた」
「倒したんですか?」
「ああ。だが、息の根を止める時間はなかった」
「それはべつにいいです……簡単に殺すとか言わないでください!」
「移動するぞ」
「どこへ?」
「この山は、元総理のものだと言ったな」
「ええ」
「浅田光次郎の家は?」
「それは知りません。土地を管理している人なら知ってます」
「ここからは?」
「そんなに遠くじゃありません」
「そこへ行こう」
「行って、どうするんですか?」
「その答えは、この鍵が知ってるかもしれない」
──こうして闇のなか、土地を管理している年寄夫婦の家に向かった。
「よく小さいころは、遊びに行ってました」
暗い山道を、懐中電灯の光を頼りに歩きつづける。
夫婦は、麻衣が子供のころでも、すでに高齢だった。現在でも管理をしているとは思うのだが、もしかしたら、すでに亡くなっていても不思議ではない。
「あ、そうそう、ご夫婦以外にも、お孫さんもいるんでした」
「孫?」
「はい。あれは、わたしが小学六年生ぐらいだったかなぁ……中学生になっていたかもしれない。ご両親が事故で亡くなったから、そのご夫婦が引き取ったってことでした……二人でよく遊んだのを覚えてます。受験勉強をはじめてからは行ってないので、中三のゴールデンウィークが最後ですかね。いまもいるのかどうか」
麻衣は、急になつかしくなった。
そういえば、あの子は、なんという名前だったろう。
「ふーん、同い年ぐらい?」
ユウは質問してきたが、声音から判断すると、あまり興味は抱いていないようだ。ただ間をもたせるための会話なのだ。
「ええ~と、たいぶ年下ですよ。出会ったときが、五歳か六歳ぐらいでした」
そうこうしているうちに、目的地へついた。
大人になってあらためて見ると、とても大きな屋敷だった。ここでは管理者夫婦にしか会ったことはないが、浅田家の別荘としても使われているのかもしれない。
建物は二棟ある。小さいほうが、管理者夫婦の暮らしているところだ。明かりがついていた。
ユウは、手のなかにある鍵を見ているようだ。
「忍び込むぞ」
「え!?」
予想していたことだが、無断で入ることに抵抗があった。
「お願いしても入れてはくれないだろう?」
「言ってみなければわかりませんよ。わたしのことは、よく知ってますし」
「なんと言うつもりだ?」
「立派な屋敷だから、なかを見学したいって……」
「こんな夜にか?」
「だったら、朝まで待てばいいでしょう」
「おれたちは狙われたんだ。ヤツらは、あの場所を知っていた。待ち構えてたんだ。ここにも罠をはってるかもしれない」
「……そうでしょうか? あの場所で見張ってたんなら、もっと早く襲ってきたんじゃないですか? わたしたちが掘り出すまえに」
「さっき言ったろ、おれを導きたい勢力と、その逆があると。ヤツらも、簡単には邪魔できない状況にあるんだ」
話し合いの決着がつかないまま、ユウが屋敷に近づいていった。仕方なしに、麻衣もあとに続く。
屋敷の周囲には塀や門などはなく、近づくのは簡単だ。だが立派な建物となると、防犯カメラや警報装置がついていても不思議ではない。ユウに、そういうものを警戒する素振りはなかった。
「大丈夫なんですか?」
「たぶん」
曖昧な返答が返ってきた。
裏側に回り込み、手近な窓に触れた。当然のこと、戸締りはされている。ユウは、かまわずに拳を叩きつけた。
ガラスの割れた音に、麻衣は驚いた。
「ちょ、ちょっと!」
「心配するな、こっちは風下だ。むこうに音は届かない」
「で、でも! 防犯設備が作動してたら」
「そんなものを設置してまで守りたいものがあるんだったら、そもそも老夫婦なんかに管理はまかせちゃいない」
だからといって、警報装置がないとは言い切れないはずだ。麻衣は、ハラハラドキドキが止まらなかった。
「で、でも……あの鍵がここのものだったとしたら、警備を厳重にしておくんじゃないですか?」
ユウからの返事はなかった。窓の鍵をはずし、屋敷内へ入り込んでしまった。
「きみは、ここで待ってろ」
こんなところに一人でいるのはイヤだったが、泥棒の仲間になるのは、もっとイヤだった。
* * *
警報装置や監視カメラのたぐいは、おそらくないものと考えている。彼女に語ったことが理由ではなかった。あれは気をつかったのだ。本当の理由を話せば、ますます心配させてしまうからだ。
勘だった。
だが長年の勘が、なによりも信用できるのだ。
入り込んだ部屋は、寝室のようだった。いや、ベッドのほかにもリビングにあるようなテーブルやイスもあるから、寝るためだけの部屋ではない。屋敷の大きさからすれば狭いので、使用人のための部屋ではないだろうか。浅田家の人間が泊まりにくるときは、使用人もつれてくるにちがいない。
部屋を出て、廊下に出た。
やはり、屋敷内に監視カメラは見当たらない。侵入者を検知するためのセンサーもないようだ。
広い部屋についた。応接室のようだ。一目で高級とわかる調度品であふれている。ソファやテーブルも一級品。飾ってある絵画からも格を感じる。
もっとも、己に審美眼がそなわっていないことは、おれ自身がよくわかっていることだが。
レプリカなのか本物なのか、西洋の甲冑まであった。へたな場所に置くとセンスを問われる一品だが、さすがは浅田家の別荘だけのことはある。部屋の雰囲気にマッチしていた。
もし、この部屋にあるものが感じたとおり高価なものだとしたら、年老いた夫婦だけに守らせておくのは、たしかにおかしかった。彼女の言うとおりだ。
雑念を振り払って、室内をさぐる。手に入れた鍵を使うべきものはなさそうだ。
さきほどとは、べつの廊下に出た。
突き当たりの扉を開けた。鍵がかかっていた。もしやと思い、あの鍵を差し込もうとした。形状がまったくちがった。さすがに、そんな簡単にはいかない。
ピッキングで開けるには容易な鍵だ。
おれは、ヘアピンを取り出した。当然、本来の目的で使うために持っていたものではない。
カチッ。数秒で解錠できた。
なかは書斎のようだった。壁には本棚が並び、いくつもの書籍で埋まっている。仕事机の上にも、本が積まれていた。
おれは、机の引き出しを調べた。どれにも鍵はかかっていなかった。ここではない。
部屋を出ようとした。
何気なく、本棚の一つに触った。
「ん?」
力を込めなくても動きだす構造のようだ。
動かした。棚は、おもちゃのようにスライドした。
棚の裏には、金庫のようなものが設置されていた。
「できすぎだよな……」
半信半疑で、おれは鍵を差し込んだ。
ダイヤル錠のようなものはないから、鍵があっていれば、これだけで開くはずだ。
「……」
正解だった。
不信感が、急激にもたげてきた。
すべてが、素直に進みすぎている。
金庫を開けた。
ライトを照らす。書類の束が入っていた。
ページをめくって、ひと通り見てみたが、なにかの設計図のようだった。これに導きたかったのか……それとも、これもヒントの一つで、さらに先があるのだろうか?
書類を手にし、金庫を閉めた。
書斎を出て、廊下にもどった。
気配を感じた。廊下を進めば、あの応接室がある。
そこに、何者かがいる。
彼女の主張が正しかった。ここに侵入者を検知する設備が整っていないことは、やはり疑わなければならなかったのだ。
大事なものがあるのなら、老夫婦に管理をまかせるわけはない──しかし、大事なものと断定はできないが、あの鍵が示した場所は、ここだった。
老夫婦が管理している──それだけで、充分だったのだ。
応接室に足を踏み入れた瞬間に、屋敷の電気がついた。
覚悟をしていても、眼が慣れるまでに時間がかかった。
七十代から八十代ほどの老夫婦がそこにいた。その二人に挟まれるように、麻衣が捕らえられていた。
「ぐ、ぐう」
猿ぐつわをされているから、彼女はしゃべれない。
「本当に来るとは……」
どこか呆然としたつぶやきだった。白髪頭で、顔中に深い皺の刻まれた男だった。猟銃をかまえ、その銃口を麻衣に向けている。
「ただの管理人というわけじゃなさそうだな……」
「左様。わしたちは、主に代々仕えてきた人間だ」
浅田光次郎の父親もまた政治家で、祖父も同様だった。明治の時代から日本の裏側に根をはり、戦前、戦後と権力を欲しいままにしてきた一族だ。
その過程では、おおやけにできない裏仕事をする人間も多数いただろう。彼らは、その生き残りだ。現在でも、そういう輩はいるだろう。いってみれば、おれもそっち側の人種だ。ただ、きまった主につくか、フリーで依頼をうけるかのちがいだ。
この二人は、現役ではない。おそらく、過去の命令をそのまま守りつづけているだけなのだろう。
「どんな密命をうけている? ここで、なにをしてるんだ?」
「わしらは、この館に侵入し、あるものを盗み出そうとした者を殺す役目を担っている」
「あるものとは、これか?」
おれは、書類をかかげた。
「知らん。それがなんであるのかは、聞かされておらんのだ」
老人は、淡々とそう口にする。老婆のほうは、なにも発言することはなく、ただ付き従っているというふうだ。
「その子は放せ。あんたらも知っている子だろう?」
「ああ。よくここに遊びに来ていた」
「そんな娘を殺すというのか?」
「命令だ。おまえも、こっちの人間なのだろう? だったら、わかるはずだ」
「わからないね。おれは悪人しか殺さない」
「……聞いたことがあるぞ。そんな若いのがいるんだってな。青臭い。プロではないな」
「あんたらが古いんだ」
老婆のほうが、一歩前に出た。
「抵抗はするな。この娘が死ぬぞ」
「どうせ殺すのだろう?」
「殺す……だが、この娘がおまえさんに利用されていただけなのなら、命を助けられるかもしれん」
「彼女は、あんたらのことを知っている。それでも助けられるのか?」
「わしらは、すぐにここから姿を消すことになる」
「だが、浅田光次郎のことは隠しようもないぞ」
「さあ、おまえさんがなにを言っているのか、わしにはわからん」
老人は、とぼけた口調で言った。
あくまで、浅田光次郎とは関係がない、ということで押し通すつもりだ。
「この娘を助けたいのなら、おとなしく殺されることだ」
老婆が、なにかを懐から取り出した。
刃渡り20㎝ほどの刃物だった。
戦闘用のナイフのようだが、似たような形状のものをおれは知らない。
「わしのつれは、それの使い手でな」
言われなくても身構えた姿勢で、それを理解できる。老いているとしても、油断のできない相手だ。
むしろ、ふらふらとした足取りで、老婆が近寄ってきた。まるで擬態生物が、それとは知らずにやって来た獲物を一気に飲み込むときのように、刃を突いてきた。
手にしていた書類とライトは落とし、寸でのところで受け止めていた。老婆の両手を押さえ、なんとか刃の侵入を食い止めた。
あと数ミリで、胸に突き刺さっていた。
老人の猟銃は、隙をみせない。麻衣にしっかりと狙いを定めている。
老婆の腕に、力がこもった。
ここで抵抗すれば、彼女が殺される。
が、抵抗しなくても、殺されるかもしれない。この二人のことを知らないのだから、信じるわけにはいかない。
どちらにしろ殺されるのなら、おれ自身が助かるほうを選ぶべきだ。
はたして、おれにそれができるか!?
彼女を……見殺しにできるか!?




