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遠い声  作者: てんの翔
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       38.日曜日午後6時


 一旦、車までもどり、スコップを用意して再び山に入った。茨城へ向かうまえに、都内のホームセンターで買いそろえたものだ。もうじき陽が暮れようとしていた。懐中電灯も持参しているが、それに頼るのは、もう少し経ってからだ。

 彼女の様子にも、疲れは見えなかった。さすがは山育ちといったところだろう。それを伝えると、べつに山で育ったわけではない──と返されてしまった。

 問題の場所につくと、おれは穴を掘りはじめた。

 あのとき埋めた人物。それを掘り返す。

《人工衛星》と呼ばれていた男だ。

 異名なのか、それともべつの意味があるのかわからない。

 悪人かどうかも知らない。

 思えば、その確証がないのに殺した初めての人物だった。

 後悔がある。

 かたくなにこの場所を隠していた《店員》には、なにかしらの思惑があったはずだ。仲介人になるということの条件が、あの殺しだった。

 調べなければならない。

 たとえ、《店員》との敵対関係が決定的になったとしてもだ。彼女のことがあったので、これほどまで長期間、時が過ぎ去ってしまった。彼女をあのアパートに引き寄せてからも、手をつけることができなかった。

 それが、ようやく念願が叶う。

 彼女にとっては、災難だろう。命を狙われ、未来も確定しないまま、つきあわされているのだから。

「わたしも手伝います」

「すまない」

 一応、スコップは二本持ってきたが、強制的にやらせるつもりはなかった。おれの不甲斐ない様子を眼にして、手伝わなければ、と思いついたようだ。遺体を処理することはないから、穴を掘る作業には慣れていないのだ。

「こうやるんですよ」

「え?」

 彼女の姿勢、手際……すべてが、おれよりもうまい。おれは素直に感嘆した。彼女の協力で、穴は深くまで掘ることができた。しかし、目的のものは出てこない。

「あの……」

「どうした?」

「店員、っていう人がここに埋めたんですよね? それを知られたくないんだったら、べつの場所に移動しちゃったんじゃないですか?」

「それはないと思う」

「どうしてですか?」

「それならば、きみが狙われる必要がないからだ」

 彼女は、キョトンとした顔になった。

「きみが狙われているのは、ここの場所を目撃していたからだ。つまり、この下に眠っているはずの死体の場所を」

 それでも、彼女はわからないようだった。

「死体を移動したなら、この場所が知られてもかまわないはずだろう?」

「うーん……それもそうですけど……」

 意味は理解しているようだが、彼女の釈然としない表情は変わらなかった。

「もし移動していないなら、どうして移動しなかったんでしょうか?」

「おれにはわからん。もしかしたら《店員》にも、ここの場所がわからないのかもしれない。こんな山のなかだから、二度とここへ来ることができなかったのかも」

「でも……あなたの話だと、その店員さんに目隠しされてたんですよね?」

「ああ」

 この場所に来るまで目隠しをされ、もどるときも同様だった。

「店員さんのその行動がおかしいと思うんです。あなたに知られたくないほどの場所が、どこだかわからないなんて」

 もっともな指摘をされた。

 言われてみると、たしかにそうだ。

「もし、店員さんがこの場所を把握しているのに移動しなかったのだとしたら、とってもおかしいです」

「……」

「だって、わたしの命を狙うより、そっちのほうが簡単ですよね?」

 彼女の言うことは、的を射ている。

「……とにかく、もう少し掘ってみよう」

 答えが出ないから、おれは掘り進めることにした。あるのか、ないのかを、みつけるまえから論じていても意味がない。

 それからすぐに、手応えを感じた。

 彼女が懐中電灯を照らした。もう夕陽は、ほとんど残っていない。

「そ、それ……骨ですか!?」

「そうだな。見たくなければ、離れていたほうがいい」

「大丈夫です……」

 声音を聞くかぎり、大丈夫とはほど遠かったが、白骨化した遺体よりも生々しいものを彼女はこれまで眼にしている。その言葉を信じることにした。

 まちがいないだろう。

 あのとき、おれ自身が殺害した人物だ。

「たしか、なにかを飲み込んでいるんでしたよね?」

「そうだ」

 だが、本当に飲み込んでいるのか、それともなにかの比喩なのかまでは判断できない。

 スコップから手掘りにかえて、人骨の胴体部分をさぐった。

「なんですか、それ?」

 彼女のほうが、さきに気づいた。

 きれいに残っていた肋骨の下に、金属質のものがあった。

 おれは、それを手にした。

 鍵だった。キーホルダーやストラップのようなものはついていない。飲み込んだとすれば、これになるだろう。

「この鍵で、この人のことがわかるんですか?」

「わからない」

 彼女の質問の答えがわからないのであり、この鍵がなんの鍵なのかもわからない。

「でも……やっぱり、移動してませんでしたね?」

「そうだな」

「移動してたら、この鍵も回収できたんですよね?」

「そうなるな」

「おかしいです」

「いや……本当に、《店員》にもわからなかっただけかもしれない」

 そう口にはしたものの、彼女の言うことのほうが正しいと、本能が語っていた。

「もう一つ、言っていいですか?」

「ん?」

「そもそも、なんであなたをここにつれてきたんですか?」

「え?」

「目隠しをしてつれてくるんだったら、店員さんだけでどうにかしたほうがよかったんじゃないですか?」

「それは、遺体を処理するために……」

「穴を掘って埋めただけですよね? こういっちゃなんですけど、わたしだってその手伝いぐらいならできますよ。それに、あなたがいるような世界では、そういうことを専門にする人だっているんじゃないですか?」

 ただの女子大生に裏社会のことを教えられたような気がして、奇妙な感情が芽生えた。

 あのとき《店員》は、遺体の処理も依頼の一部だと説明していた。

 それは、どういうことだ?

 場所を知られたくはない。なのに、おれを処理に立ち会わせた。

 知られたくないのなら、なぜ死体を移動しなかったのだ。彼女を狙ってまで、ここの場所を守ろうとした理由がわからない。

 移動できない。

 ここの場所に意味があった……。

「ユウさん!?」

 彼女の呼びかけで、われに返った。

「どうしたんですか?」

「あ、いや……この山、きみのおばあさんの山?」

 突拍子もない問いに感じたのだろうか、彼女の怪訝そうな顔が暗闇でも見て取れた。

「そんなわけないじゃないですか。ここは、地主さんの山ですよ。私有地ですから、本当は入っちゃまずいんだと思います。わたしやおばあちゃんは、むかしから入ってますけど」

「地主?」

「はい。有名な人ですよ」

 次の彼女の言葉が、なにかの黙示録のように心へ響いた。

「浅田光次郎。元総理大臣の」


        * * *


 その名前を出してから、ユウの様子は変わっていた。

 なにかを考え込んでいるような……。

 いま拾ったばかりの鍵をみつめながら、物思いにふけっている。さきほども声をかけて、ようやく反応してくれたのだが、いまは声をかけるのすらためらわれるほどだった。

「どう……したんですか?」

 恐る恐る、声をかけた。

 ここにきて、風が強くなっていた。ビュウビュウと音がする。

「ちょっと待って」

 手で制されてしまった。麻衣は、黙って待つことにした。

 しかし、すぐに彼のほうから話しかけてきた。

「総理大臣……」

 ちがった。どうやら独り言のようだ。

 彼のつぶやきは続く。

「浅田光次郎……元総理の所有する山に、遺体を埋めた……これは、偶然じゃない。意図したものだ」

 つぶやくようだった声が、はっきりとした口調となっていた。

「おれに、この遺体をさがさせることが、目的だった……そのために仕組まれた」

 彼の瞳が、こちらを射抜いた。

「どういうことですか?」

「おれはターゲットを殺し、それを山のなかに遺棄する。数年後、その遺体を掘り起こすと、この鍵を発見する」

「……そうですね」

 なにを言わんとしているのかわからないから、麻衣の反応も鈍いものになってしまった。

「この鍵は、まちがいなく次のヒントにつながっている。こういう演出は、《おおやけ》のやり方だ」

《おおやけ》が、公安警察のことを指しているのだということは、すでに理解している。

「おかしくないですか? だって、そうだったなら、あなたにこの場所を秘密にしている必要がないじゃないですか」

「一方になくても、一方にあったんだ。あのとき車に乗っていたもう一人……どちらかがみつけてほしくて、どちらかがみつけてほしくなかった」

 彼の話では、その姿は見ていないという。目隠しをされていた車内に、もう一人いたことしかわかっていない。つまり、その謎の人物か店員さんのどちらかが、彼をここまで導きたかった。

「たぶん、きみの素性も最初から知っていたのかもしれない」

「……」

「そして、きみを襲ったこともブラフだ。本当に殺すつもりはなかった。いや、殺す殺さないは、どうでもよかったんだ。結果的に、おれがここまでたどりつけば」

「でも、もしわたしがいなければ、どうやってこの場所をつきとめてたんですか?」

「やつらは、周到にべつのヒントを用意しているさ。たまたま、おれがきみからここにたどりついただけなんだ」

「じゃあ……わたしは、もう安全なんですか!?」

 希望を胸に、麻衣は問いかけた。

「わからない」

 だがユウの口からは、短くそれだけが言葉として形作られた。

「こう言っちゃなんだが、ヤツらにとって、きみの生死はどうでもいいことだ。このままでいいと思うかもしれないが、逆に殺してしまえと考えるかもしれない」

 涼しい口調で、恐ろしいことを言われた。

「それに、一方が殺さない判断をしたとしても、もう一方がそうしないこともあるだろう」

「もう一方って、なんなんですか!?」

 公安警察は、彼をここに導きたくて、べつのもう一方が、それを望んでいなかった。そのような構造らしいが、もう一方の正体がわからないのなら、話にならない。

「たぶん、殺しの依頼人だと思うが……おれにもよくわからない。どちらが《おおやけ》かと問われれば、《店員》のほうだ。ホテルの一件は、《店員》が裏で糸を引いている」

「相棒なんでしょう!? そんなこともわからなかったんですか!?」

「いや……どうだろう」

 彼は、すぐに自身の推論を否定した。

「きみの存在を邪魔だと考えた勢力なのかもしれない。本当に、殺すつもりでホテルに人員を送った。《おおやけ》は、その状況を利用しただけ……ちがうな。ホテルできみを襲ったのも、また《おおやけ》だった。おれにはわかる」

「結局、どういうことなんですか!?」

 なかなか答えの出ない彼に対して、苛立ちを感じていた。

「……そうか。どっちも《おおやけ》なんだ」

「え!?」

「《おおやけ》同士が、ちがう方向に進んでいる……」

 想像外の答えだった。

「ここを知られたくないのも、ここをみつけてほしかったのも、公安警察だということですか!?」

 彼は、返事をしなかった。

「だと思うんだが……」

 一転、自信なさげな声になっていた。

 急に頼りなく思えた。その感情が伝わってしまったのか、彼もバツが悪そうだ。

「これから、どうするんですか?」

 目的の場所は、こうしてつきとめた。そして、次のヒントにつながる鍵も手に入れた。

 自分のやるべきことはやった。あとは、彼が約束を守るだけだ。

「わかってる。きみの役目もここまでだ」


〈バンッ!〉


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