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遠い声  作者: てんの翔
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       37.19日午後4時


 ホテルのロビーで、桐野とは待ち合わせた。

 桐野の様子は、普段とかわりなかった。《U》との遭遇も、恐怖を生むものではなかったようだ。

「直接、話したんですか?」

 長山の問いに、桐野はうなずいたようだ。声には出さなかった。

「どんな話を?」

「おれの素性をさぐっていたようだ。どうやら、彼女の……利根麻衣さんの実家からつけてきたんだろう」

「彼女は?」

 世良は訊いた。

「会ってない。ヤツだけだ。だが、無事だ。ヤツが保証した」

 思わず自分の口許に笑みが浮かんでいることを、数瞬後、気がついた。

「楽しそうだな?」

 逆に、そう問われた。

「仇敵であるはずなのに、まるで遠い友人の話を聞いているようだな」

「そんなことはない」

 世良は、短く答えた。

「これから、どうする?」

「利根麻衣さんの実家へ行きたい。案内してくれ」

《U》がいたということは、彼女の実家になにかがあるのかもしれない。行ってみる価値はあるだろう。



 利根麻衣の実家に到着して、車を降りた。

 世良は、すぐに察知した。いくつもの眼光が、こちらを射抜いている。

「どうしたんですか、王海さん?」

 峰岸の問いかけにも応じることなく、世良は監視の眼をさぐる。

「世良!?」

「六人いる」

「六人?」

「五人は、放っておいてもいいだろう」

 だが、あと一人の気配は、「気配」として感じない。道端に落ちている石に気配があるのだとしたら、同じようなものになるだろう。

 錯覚ではない。確実に、何者かが存在している。

 ただ者であるはずがない。

《U》ともちがう。それと同等の人間だ。

 眼の見えない世良だからこそ、その存在をキャッチすることができる。すると、その気配が──気配とも呼べないものが、近づいてきた。

「なにか見えるか!?」

 世良は、声をあげた。桐野でも長山でも峰岸でも、答えるのはだれでもよかった。

「なにがだ!? なにも見えない……」

「なにか武器になるものは?」

「武器……?」

「王海さん!」

 峰岸が、なにかを手渡した。

 木の肌触りがあった。枝のようだ。鉄パイプほどの太さがある。長さは、1メートルほどだろうか。まだ乾燥はしておらず、それなりに重い。

「おい、世良!? なにがあるんだ!?」

 気配は、なおも近づいている。

 3メートル。2メートル。こちらの攻撃も、むこうからの攻撃も届く距離。

 1メートル。世良は、木の枝を突き出した。

「なるほど。眼の見えないバケモノか」

 声がした。

 手応えはなかったから、突きはかわされている。

「な、なんだ!?」

 桐野の驚愕の声が響いた。

「い、いつのまに……」

 どうやら、桐野たちにも姿が確認できたようだ。

「わしは、なにもしていないよ。物騒ですなぁ」

 とぼけたような声。色は、くすんだ茶色。黒に近いが、邪悪とまではいかない。

 世良は、突き出した枝を引っ込めた。殺気はない。近づいてきたことも、この人物なりの遊び心のようなものだろう。

「おれのことを知っていたな?」

 しかし世良は、警戒感を消さずに質問した。

「ある男から忠告をうけましてね」

 その人物は、愉快そうに答えた。年齢は、六十ぐらいだろうか。若くないことだけは確かだ。

「《U》か?」

「ふふふ」

 その笑い声が、正解だと告げていた。

「あなたの名前は?」

「さあ」

 やはり、とぼけたような応対だった。

「ですが、こう呼ばれることが多いですかな──《かかし》とね」

 かかし……これまでに聞いたことのない名前だった。これほどの人物ならば、噂ぐらいは耳にしていてもおかしくはない。

「あの男も勘違いしているようですが、わしは物騒な仕事は引き受けませんので。警察や、あなたのような人に付け狙われるような真似はいたしません。まあ、ただの《かかし》です」

 そのセリフを鵜呑みにするわけにはいかないが、こうして桐野や長山にも姿をさらしたとなると、まったくのデタラメというわけでもなさそうだ。

「ここでなにをしている? 残りの五人も仲間か?」

「さすがですな。人数も正確に把握しているとは。まちがっても、あなたとは敵対したくない」

 あくまでも、本心を悟らせない口調だ。

 当然のこと、油断はできない。

「そちらの捜査一課の刑事さんに、彼らはさぐられたくないようですな」

「桐野に?」

 世良は、桐野のほうを向いた。もちろん、表情は見えない。が、感情は伝わった。

「まあ、同じ組織でも、右と左では交わることがない、ということでしょう」

 そのヒントを聞かなくても、五人の素性はおのずとわかる。

「あなたを雇ったのも、右側ですか?」

「どっちが右で、左かにもよりますが」

 すると、あの夜、事務所を襲撃したのも、やはり公安なのだろう。

「なぜ、それを教える? プロは、依頼人のことは絶対にしゃべらないはずだ」

「彼らが依頼人でない──そういうことですよ」

 それは、どういうことだろう?

「では、おいぼれは消えますよ」

 気配が遠ざかっていく。

「見えるか?」

 世良は、桐野に訊いた。

「ああ、見える。いや、見えなくなった……」

 気配は、まだそれほど遠くに行っていない。《U》のように、姿をとらえさせない能力があるようだ。

「な、なんなんだ? 世の中にはヤツ以外にも、あんなすげえのがいるってことか?」

 桐野の嘆きに答える者はいなかった。



 五人の監視者のことは、ひとまずそのままにして、世良たちは利根麻衣の実家をたずねた。

 それに対して、妨害はなかった。まさか、家のなかに入ったと同時に襲撃はしてこないだろう。一応、注意だけは怠らずに、呼び鈴を鳴らした。麻衣の母親らしき人が出た。すでに桐野のことは知っていたから、不要な警戒はされなかった。

 すぐに、なかへ通された。

「な、なにかあったんでしょうか!?」

 母親の口からは、悲痛な叫びがあがった。

 居間には、父親もいるようだ。桐野から、大まかなことは両親に伝えてある。お嬢さんの身に危険が迫っていて、現在は行方不明であると。そして、警察は表立っては動けないことも。

「いえ、それは大丈夫です。お嬢さんは、安全な人間に保護されています」

 桐野のその言葉を聞いて、少し安堵するようなため息がもれた。ただし、その保護をしている人間が殺し屋だと知られたら、はたして両親は正気をたもっていられるだろうか。

「や、やっと本格的に捜査をはじめてもらえるんですね!?」

 父親の声は心配のあまり緋色に染まっていたが、それでも期待を感じさせる黄色も帯びていた。

 おそらく、犯罪に巻き込まれた確証がないために、まだ正式な捜査ではない──そう桐野から言われていたのだろう。

「まだ、そういうわけでは……」

 桐野は言いづらそうに、声を濁した。

 公安が関わっているから捜査はできない、と正直に告白するわけにもいかない。

「で、では……この方たちは応援の刑事さんじゃないんですか!?」

「いえ、応援です」

「どうも、長山です」

 桐野の言葉に続けて、長山が名乗った。

「警視庁鹿浜署の刑事課にいます」

「こちらが世良です。探偵をやっています」

「探偵?」

 父親の困惑が見えなくてもわかった。警察官の応援がたりないから、探偵を雇ったのだと思われたかもしれない。

「彼は、音声の専門家です。どんな声でも聞き分けられます」

 それを耳にしても、ますます混乱するだけだろう。麻衣の捜索にそんな能力がどれだけ役に立つのかと。

「あの、確認させてもらっていいですか?」

 世良は、切り出した。

「お嬢さんが、ここにもどってきたってことはないですよね?」

「え!?」

 両親は、狐につままれたような表情になってしまったのではないか。もし本当にもどっていたら、こんなに心配しているわけがない。

 だが、ヤツが桐野に接触したということは、すくなくともここの様子をうかがっていたとういことだ。ヤツが両親に気づかれないうちに室内へ侵入した可能性は大いにある。その場合、彼女との関係が良好だとすれば、彼女とともに行動したかもしれない。

「お嬢さんの部屋は、まだありますか?」

 いまは独り暮らしをしているはずだから、そういう訊き方になった。普通、彼女ぐらいの年齢ならば、実家にはまだ自分の部屋は残っているものだ。

「は、はい……まだありますが……大学へ行くまえのままです」

「見せてもらっていいですか?」

 両親は、世良の眼についてはまだ気がついていないようだから、その言い方に、なんの違和感も抱かなかったようだ。

「ど、どうぞ」

 案内された。

 さすがに初めて入る家だから、峰岸に手を引いてもらった。

「あ、あの……世良さんでしたか……もしや、眼が……」

 母親のほうが気づいたようだ。

 世良は、曖昧な表情をとった。いまは、そのことの説明をしている状況ではない。

「ここです」

 室内に入った。

「こ、これは……」

 父親の驚いたような声が響いた。その響きで、部屋の大きさがわかった。

「どうしましたか?」

 桐野がたずねた。

「こ、これ……な、なんでアルバムが……おい、おまえ出したのか!?」

「い、いえ……わたしはなんにも……」

 どうやら、部屋にアルバムが出しっぱなしになっていたようだ。

「帰ってきてたみたいですね」

 世良は言った。

「そ、そんな……じゃあ、どうして麻衣は、わたしたちになんにも言わずに!」

 その理由が《U》の意向によるものなのか、麻衣自身の判断なのかは推し量れなかった。

 が、ヤツとしては両親に姿を見られるわけにはいかなかったし、彼女にしても両親を巻き込みたくはなかったはずだ。おたがいの思惑が重なったということだろう。そのことからすると、二人の関係は険悪なものではないようだ。

「アルバムは、開いてますか?」

「開いてます」

 世良の問いかけに、峰岸が答えた。

「なんの写真ですか?」

「うーん、小さな女の子と、おばあさんが写ってます」

「あ、麻衣です。幼いころの。お母さんとの写真ですね」

 母親が、峰岸から引き継ぐかたちで教えてくれた。

「どこで撮ったものですか?」

「お母さんの家です。主人の実家です」

「なにがあるところですか?」

「なにって言われても……ただの山のなかにある田舎です」

 答えたのは、父親だった。

「そこに向かったのかもしれない」

 世良は言った。もちろん、確証があるわけではなかった。しかし麻衣には、あの男がついている。このアルバムをそのままにしておいたのも、ヤツからのメッセージなのかもしれない。

「どこにありますか? これから向かいます」

 両親から詳しい場所を聞いて、世良たちはそこへ向かった。


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