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遠い声  作者: てんの翔
34/50

35

       35.19日午後2時


 一人の社員が、どこかへ移動をはじめた。

 階段を上へ。世良は、そのあとをたどっていく。扉が開いた。屋上への扉のようだ。

 世良は、外へは出ない。

 それでもよく聞こえる。その社員は、携帯を使用しはじめた。

「歌いました。どうしますか?」

 さすがに、相手の声までは無理だ。

「わかりました」

 そこで、通話は終わった。

 その社員が、今度はなかへ入ってくるために扉を開けた。

「あっ」

 驚いたような声がした。

「ど、どうも……」

 焦りは、どうやっても隠せない。

 世良は、この場所が渋谷だったことを思い出した。

 そうだ。すべてのはじまりは、ここなのだ。

「だれに電話を?」

 世良は、訊いた。そのときになって、彼の前に長山たちが立ちはだかったようだ。

「お待ちください。お話、よろしいですか?」

「な、なんでしょう!?」

 彼の声は、揺れていた。

「私が警察官なのは知ってますよね?」

「い、いえ……」

「ここの社員なんですよね? 四階と五階にある」

「は、はい……」

「お名前は?」

 長山の質問に、社員らしき男は沈黙した。

「黙秘してもいいですが、社長や同僚に訊けば、簡単にわかってしまいますよ」

 それでも彼は、自ら名乗ろうとしない。

「それとも《本名》は、知られていないということですか?」

 長山の牽制に、男の動揺が増した。息づかいでわかる。

「公安に通じていますね?」

 世良が、そう引き継いだ。

「な、なんのことでしょう!?」

「佐賀さんとの会話を盗み聞きしていましたね? そして、屋上でその報告をしていた」

「し、知りません!」

「──歌いました。どうしますか?」

 この社員を真似て、世良は言った。

「な、なにいって……!」

「もし予想どおり、あなたが公安の関係者なら……私のことを──いえ、おれのことも知ってるな?」

 世良は、鋭く声をはしらせた。

「上は、なんと命令した? 佐賀を消すのか? だが、もう秘密はしゃべった」

「……」

「おまえたちは、引け」

「……それは、われわれに敵対するということか?」

 それまでの謙虚な男性社員は、瞬く間にいなくなっていた。

「それは、あんたたちの出方による。指示を出してるのは、《上杉》か?」

 当然のことながら、彼からの返事はない。

「上杉に言っておけ。佐賀を監視する必要も、殺す必要もなくなったと」

 長山が、彼に道を譲ったようだ。彼は無言で歩き去っていこうとする。

「そうだ、まだだった」

 しかし、世良は彼を呼び止めた。

「まだなにか!?」

「まだ、大事な用が残っているんだ」

 その言葉には、長山ですら困惑したようだった。

 そこに、二人分の足音が近寄ってきた。佐賀と峰岸のようだ。

「か、彼は……?」

「監視役として、潜入していたようです」

 佐賀に、長山が告げた。

「そ、そんな……彼は、ここを起業したときからの……」

 佐賀は、そういう事態など、まるで想定していなかったようだ。

「佐賀さん、あなたの会社、外で勧誘することはありますか?」

 世良は訊いた。

「は!?」

 唐突に質問されて、佐賀は軽く混乱していた。

「勧誘? うちは、コンサルティング会社ですよ。そんなことはしません」

「会社の外で、社員の人が勧誘のようなことをしていませんか?」

 世良は、念を押した。

「ですから……あ、いえ、勧誘とは少しちがいますが……」

 佐賀は、なにかを言おうとしていた。

「どんなことですか?」

「社会貢献の一貫として、わが社ではボランティア活動に参加しています。街の清掃活動なんですが、通行人にも協力を呼びかけることがあります」

「呼びかけるのは、ここですか?」

「……そうですね、たぶん。いつも社員にまかせていますので、詳しいことは……」

「それをするのは、いつですか?」

「活動がある前日です……あの、なんなんですか? それがいったい……」

「世良さん?」

 長山にも、意味がわからないようだった。

「ここは渋谷ですよね。駅のすぐ近くだ。この男の声を聞いているんですよ」

「え?」

「渋谷駅前」

「あ!」

 長山が、公安関係者と思われる男のどこかをつかむ音がした。

「なんだ!?」

「おまえの声だよ。おれは知ってるんだ。水谷雫誘拐犯の声と同じだ」

「な、なんのことだ!?」

「たしかに似ています、王海さん!」

 峰岸も賛同してくれた。

 すべてのはじまりは……この男の声をさがすことからだった。

「おまえが誘拐したのか?」

「知らん……なんのことだ!?」

「とぼけるな!」

「……くくくっ」

 シラを切るのに必死だった男の口から、急に笑いが飛び出していた。

「あなたにもわかるだろう? 分業だよ、分業。おれは、自分のあたえられた仕事をしたまでだ。おれは、水谷健三宅に電話をかける役目だったというだけだ」

「誘拐したのは、だれだ!?」

「わからんね。分業の下のほうの人間じゃ、大きな絵は見れない」

「水谷雫は、いまどこにいる?」

「答えは同じだ。大きな絵を見通せる人間でなければわからない。われわれの世界は、そういうものだろう?」

「……」

「で、もう行っていいかね? おれを逮捕することができないことぐらい、あなただったらわかるはずだ。あなたの耳で聞き取ったとしても、そんなものは証拠にならない」

「鑑定すれば……」

 言ったのは、峰岸だった。

「鑑定したとしても、結果はなんと出るのかな?」

 男は、完全にこれからの展開を見切っていた。

「行け」

 世良は言った。

「世良さん!?」

「鑑定結果は、捏造されます。誘拐の実行も、この男の言うとおり、べつの人間でしょう。この男は、なにも知らない。ただの駒だ」

「駒なのは、あなたも同じだよ」

 言い方は冷静だったが、男が怒りを吐き出したのは明白だった。『駒』と呼ばれたことに、プライドを傷つけられたのだ。

「いいか、上杉への伝言を忘れるな」

 階段を下りていく男に、世良は告げた。彼がこの会社にもどることは、もうないはずだ。

 男の気配が完全に遠ざかってから、しばらく──。

「どういうことですか!? 誘拐事件の犯人が、公安なんですか!?」

「それは、まだわかりません……あの男が、水谷家に身代金要求の電話をかけたとしか」

「いいんですか!? あの男を逃がして……」

「落胆する必要はありません。いまの尋問で、ある可能性が浮かびました」

「可能性?」

「水谷雫が、いまも生きている可能性です」

 これまでも、生きている、と口にはしていたが、それは言い替えれば、生きていてほしい──という願望にすぎなかった。

「誘拐してすぐに殺していれば、その殺しを担当した人間がいるはずです。いかに横のつながりを理解していない駒同士だったとしても、ある程度のことは耳に入る。たとえ、《U》のような殺し屋に外注したとしても、そのように差し向けた担当がいるはずですから。水谷雫の所在を訊いたとき、いまの男は本当に知らなかった。つまり、水谷雫が殺されたことも知らない」

「……なんてことだ」

 長山のつぶやきは、それまでどこか幻を追うようだった捜査に、ようやく実像が見えたことを歓喜しているかのようだった。静かな闘志を感じた。

「あ、あの……話をもどしていいかな?」

 遠慮がちに佐賀が割って入った。とても場違いな空気が流れた。

「や、やっぱり……私は殺されるのか!?」

「それは大丈夫だと思います」

 世良は答えた。

「いまの社員に言ったように、あなたは秘密を暴露した。もうあなたに価値は残されていません」

「だ、だからこそ……用済みなんじゃないのか!?」

「用済みだから殺すのであれば、この事務所が設立するまえに殺されていたはずです」

「報復とかは……ないのか!?」

「あるかもしれません。ですが、公安はマフィアではない。しかもそんな真似をする公安は、公安とも呼べません。表立って行動することもできなければ、正当な任務であるはずもない。極力、無駄な行動をとることはないでしょう」

 佐賀のおびえが消えることはなかった。だが、世良はカウンセラーではない。そこまで心配する義理はなかった。

 そのとき、携帯が鳴った。

「もしもし?」

 桐野からだった。

「……え!?」

「どうしたんですか!?」

 世良の驚きの声に、長山も反応した。

「わかった……できるだけ早く、そっちへ行く」

 世良は、携帯を仕舞った。

「世良さん!?」

「《U》が、桐野に接触してきた」

「え!? 桐野さんは、無事ですか!?」

「はい。会話を交わしたそうです」

「なにも……されなかったんですね?」

「らしいですね。まあ、ヤツが無益な殺生をするとも思えない」

 その信用を意味する言葉に、長山がなにかを言いたそうに息を吐き出したのだが、結局、口をつぐんだようだ。

「これから、どうしますか?」

「桐野に合流しましょう。ヤツがいたということは、利根麻衣さんの実家に、なにかがあるということかもしれません」

「ちょ、ちょっと待ってくれ! 私は、どうなるんだ!?」

 佐賀が、焦りの抗議をしぼり出した。

「《U》というのが、堤や川崎を殺したのだろう!?」

「だから、東京にいれば安全だということです。ヤツはいま、茨城県にいるようですから」

「わ、私を殺しに来るということはないのか!?」

 会話が堂々巡りになりそうだったので、世良は言葉を継がなかった。

「わかりました、自宅はどこですか? その周辺の警邏を増やしてもらえるよう、所轄署に頼んでおきますから」

 長山が、そう言ってくれた。だが、おそらくそれは気休めだけで、実際にそんな要請は出さないはずだ。なにか襲撃される絶対的な証拠でもないかぎり、長山の立場では人員を動かせない。それとも、あの豊富な人脈によってなら可能だろうか。とはいえ、ヤツが狙わずとも、公安の下請けならほかにもいるはずだ。むこうがその気になれば、簡単に佐賀は消される。

 もちろん、それを本人に伝えることはしなかった。佐賀を置いて、世良たちは東京をあとにした。



 長山の用意したレンタカーで、茨城へ向かっていた。

 現状では警察内部の思惑も複雑で、だれが味方で敵なのか推し量れない。長山は上司に報告することなく、行動を続けている。覆面とはいえ、警視庁の車両を使うことは避けることになったのだ。かといって、事務所の車も使いづらい。Nシステムに引っかかり、公安の監視網にとらえられてしまう。

「入り組んできましたね」

 ハンドルを握っているであろう長山が、そう話しはじめた。

 道路のことではないだろう。車は順調に直進を続け、止まることもない。高速での移動だ。

「確認しておきますが、世良さん、一番の優先事項は、水谷雫誘拐事件でいいんですよね?」

「もちろんです」

 それを聞いた長山が、安心したように息を吐き出していた。

「次に優先すべき捜査は、利根麻衣の拉致に関してですね?」

「そういうことになりますね」

 曖昧に、世良は返事をした。

《U》による利根麻衣拉致についてが重要なのではなく、なぜそうする必要が生じていたのか──その理由を調べることが重要だと考えていた。

「さらに、《U》による川崎と堤の殺害」

 あの男は、自らの意思で殺しをおこなったのだろうか?

 それとも、だれかの依頼──。

 そうだとすれば、ヤツに依頼した人物がだれなのかをつきとめたかった。あの男が、口を割るはずがない。プロは、依頼人のことは絶対にしゃべらない。

 自分自身でたどりつかなければ……。

 推測はできる。

《上杉》だ。広陣という会社にまつわる仕掛けをつくったとされる公安の人間。だが、ヤツがその上杉──公安の依頼を受けるだろうか?

 あの男のポリシーすべてまではわからないが、悪人しか殺さないことだけは明確だ。公安は警察に属するとはいえ、正義の側とは言い切れない。悪人以外の殺害依頼もあるはずだ。川崎と堤だけに限定すれば、彼らが善人かどうかは断定できない。すくなくても交流のあった川崎は善人ではなかったが、悪人とまでもいえない。

 潜入時、リンチ殺人の話を耳にしているが、いま思えば、あれは真実だったかどうか疑わしい。あれは、自分を試すために嘘を口にしていたのではないか、とも考えてしまう。当時、該当するような行方不明者はおらず、遺体も発見されていない。

「どうしましたか?」

「いえ……たしかに、入り組んでますね」

 世良は言った。

《上杉》が、公安のどのあたりに位置しているのか……。

 あくまでも枝葉の一つで、本流に属していないのか……それとも、幹そのものなのか……。それによって、こちらの──そして、《U》の行動にも影響があるはずだ。

 車のスピードが落ちた。一般道に入ったようだ。

 桐野が滞在している土浦市内のホテルには、もうまもなく到着するだろう。


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