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34.日曜日午後1時
市内中心部のホテルに、刑事らしき男は入っていった。
おれは車のなかに彼女を待たせて、自らも入り込んだ。ロビーに置かれたソファに腰を沈めた。新聞を手に取り、眼を通すふりをする。
刑事らしき男は、フロントとなにやら会話をしていた。聞き込みのたぐいなのか、たんに部屋をとっているだけなのか。
日曜日の昼間、ホテル内は意外にも閑散としていた。観光客とビジネスマンの双方をターゲットにしたようなホテルだが、仕事で訪れる人間がいないと、どこかさびしげだ。
どうやら刑事らしき男は、部屋をとったようだ。キーを受け取ると、エレベーターに向かった。
おれは立ち上がった。
エレベーターが開く。刑事のあとについて乗り込んだ。
瞬時に監視カメラを察知し、そちらに顔を見せないような位置をとった。気配は開放している。姿をとらえられない自信はあったが、彼女のように特殊な能力をもっているかもしれない。その場合、普通にしていたほうが利口だ。おそらく昨日までなら、新宿のホテルのように、気配は殺したままにしていただろう。
当然、刑事に顔を覚えられないように細心の注意をはらった。
(……!)
刑事が、こちらに注目していた。
気づいている……!?
エレベーターは上昇を続ける。
空気が重く、刺々しい。
おれは、いつでも「殺せる」準備にとりかかった。
武器は所持していない。
いらない。そんなものは。
素手でもいいし、たとえば相手がペンのようなものを持っていれば、それを奪うだけでいい。ついこのあいだも使った手だが、どんなに小さくて細いものでも、急所を射抜ける。
刑事が少しでも動きをみせれば、殺す。
とある刑事を、とある方法で──。
「あんたの顔は見ない」
突然、刑事は口を開いた。
「声も聞かない。だから、しゃべらなくていい」
どうすべきか、おれは迷った。
こちらの正体に気づいている。しかし、敵意は感じない。
「あんたのことは、世良から聞いている。悪人しか殺さない、と。新宿のホテルでも、同じ手でエレベーターに乗っているな。監視カメラの映像で、あんたの動きは確認されている。もし、おれの勘違いで、あんたがただの一般人なら、聞き流してくれていい」
この刑事は、なにを伝えようというのだろう。世良……あの盲目の探偵の知り合いということか。
むかしの同僚だろうか? だとすれば、《おおやけ》?
おれの迷いは、より一層、深いものとなった。
「おれは、公安じゃない。捜一だ」
見透かしたように、刑事は言った。
「彼女は無事なのか? 無事だったら、音を出してくれ」
おれは、背を預けているエレベーターの側面を指で叩いた。
「おれの目的は彼女の保護だが、どうやら世良は、ここにきて考え方を変えているようだ。あんたといっしょにいるほうが、安全かもしれないと」
「……」
「はっきりそう言ったわけじゃないが、あいつならそう考えるだろう」
目的の階についた。
人の姿は見当たらない。乗ってくる者はいないようだ。
刑事が『開』のボタンを押した。その指が離れない。
殺し屋かもしれない男と、しばらく会話を続けるという意思だ。
おれは、刑事の勇気に報いることにした。
「あの探偵は……なにを追ってる?」
「……」
おれから語りかけたことで、刑事は面食らったようだ。
「安心しろ。おれの声を聞いたからといって、殺したり、耳を潰したりはしない。それに、声音は変えている。またどこかでおれの声を聞いたとしても、おまえでは聞き分けられない。それができるのは、あのモンスターぐらいなものだ」
「世良のことか?」
「それ以外、だれがいる?」
刑事が、笑ったような気がした。
「なにがおかしい?」
「怪物のようなあんたが、世良を怪物呼ばわりしていることに驚いたのさ」
「似た者同士、ってことのようだ」
「だが、もう一人の怪物をつくったのは、まぎれもなくあんただ。世良の執念は凄まじいぜ。必ず、あんたを追い詰めるだろう」
このシチュエーションで、こちらを挑発するとは……おれは、この刑事に対して、素直に感嘆した。
「いずれ、決着をつけるときもくるだろう」
静かにそう答えてやった。
そして、話をもどした。
「あの探偵は、なんの事件を追っている? 直接、おれを追っていたわけではないだろう? なにをさぐって、おれまで行き着いたんだ?」
「六年前の誘拐事件だ。あんたは、それに関係しているのか?」
「誘拐? 身に覚えはない」
それは、真実だった。
「被害者の名は?」
「水谷雫。当時、五歳だった」
「親の名は?」
「その事件を担当したことはないから、うる覚えだが……たしか、水谷健三だったと思う」
聞き覚えはなかった。
「知らない名前だ」
「そうか。だが、どこかで続いているのかもしれんな……」
刑事の言う意味が、最初わからなかった。
「世良の事件と、あんたが利根麻衣さんを誘拐……いや、保護としておこうか。彼女と行動をともにしていることがだよ」
おもしろいことを考える男だと思った。
「おまえの名は?」
「桐野だ」
「捜査一課と言ったな?」
「ああ」
「今度、おまえに手柄をたてさせてやる」
「……」
「その指を、ゆっくりはなせ」
桐野と名乗った刑事は、指をボタンからはずした。
「降りろ」
一歩前に進み、桐野がエレベーターの外へ出た。
「こちらを見なければ、おまえが死ぬことはない。聞きたがってるようだから、言ってやる──おれは、悪人しか殺さない」
桐野の背中に、声を投げかけた。
すぐにエレベーターの扉が閉まった。
* * *
だいぶ、時間が経っていた。
実家をたずねていた車の主を追って、ユウは眼の前のホテルへ入っていった。すぐもどると告げられたのだが、その言葉は守られていない。不安が膨らんでいく。
ホテルに面した道路に停車していた。交通量は多い。歩道の流れも尽きることはなかった。
そんな周囲の状況に、麻衣はおびえていた。命を狙われているというのに、こんなところで置き去りにされるなんて。
助手席で丸くなるように頭を隠しているしかなかった。
さらに時間は進んでゆき、ようやくユウがもどってきた。運転席側の窓をノックしている。車のキーは挿したままにしてあるし、ドアロックは麻衣がかけていた。
「なにしてたんですか!? わたしをこんなところで一人にして!」
ロックを解除して、ユウが入ってきたと同時に、麻衣は抗議の声をあげていた。
「これだけ人がまわりにいれば、そう簡単に危害は加えられない。言っといただろ、だれが来てもドアだけは開けるなと」
「……それにしたって!」
もっと文句を言ってやりたかったが、これ以上のやりとりは不毛な争いにしかならないと思った。
「で、なにをしてたんですか?」
「会ってきた」
「だ、大丈夫だったんですか?」
まさか、さっきの男を殺してきたのだろうか……。
「……やっちゃったんですか?」
ユウが眼を細めて、こちらを見ていた。
「物騒なことを言うな」
「だって……」
殺し屋に物騒なことはつきもののはずだ。ここ数日で、それをイヤというほど思い知らされている。
「ただ話しただけだ」
「だれだったんですか?」
「警察官だった。あの盲目探偵の知り合いらしい」
それを聞いて、複雑な気持ちになった。
「どうした? 助けを求めたくなったか?」
警察が信じられるものだとしたら、殺し屋と行動をともにするよりは安全なのではないか。盲目の探偵──世良の知り合いということは、まともな刑事であるはずだ。
「残念だが、いまはあきらめてくれ。こっちの用事がすんだら、かまわないがな」
「わたしが逃げたら……どうしますか?」
「つれもどす」
淡々とユウは答えた。
脅しや誇張はふくまれていない。
この男なら、食事の支度をするように、やってのけるだろう。
「じゃあ、はやいとこ、すましちゃいましょうよ!」
「きみが思い出せないんだろう」
イライラをぶつけたつもりが、ユウの返答で、さらに苛立ちが増した。
「ちっちゃいころのことなんですから、仕方ないでしょう!? とにかく、アルバムが見たいです! 実家にもどってください」
「それはダメだ。きみの家は、《かかし》に張り込まれてる」
「なんとかしてください! 有名な殺し屋なんでしょう!?」
ユウが、ため息をついた。
「そうだな、ここでこうしていても埒が明かない。どうにかするか……」




