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遠い声  作者: てんの翔
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33

       33.19日午後2時


 佐賀武の事務所は、渋谷駅前にあった。ハチ公口からすぐのところにあるビルの四階と五階だ。スタッフの数も多く、電話の音、人の出入りやパソコンのキーを叩く音が、世良の耳を騒がせていた。

 土日にも営業していて、火曜が休みになっているそうだ。そのことに単純な疑問を長山も抱いたようで、電話で問い合わせたときに質問したらしい。佐賀事務所は、コンサルティング業務だけでなく、テレビ出演や講演会なども広くおこなっている。講演会は、ほとんどが週末に開催されるし、出演依頼の連絡は土曜に入ることが多いそうで、そうなると、土日に営業していたほうが都合がよいとのことだった。

「お待たせしました」

 ソファに座っていた世良は、その声を聞いた。

 知っている声だった。

「お忙しいところを、どうも。鹿浜署の長山といいます。こちらは、世良さん。そして峰岸さん」

「世良……さん? どこかでお会いしたことがありますか?」

 やはり彼のほうも、覚えがあるようだ。

 世良は、記憶をめぐらせる。だが、すぐには浮かびそうもなかった。どちらともとれるように、笑みをみせた。

「世良さんは、音声の専門家をされているんです」

 長山は、元警察官ということを隠すように紹介した。いままでにも同様の言い方をするときはあったが、いまのは故意にそうしたのではないか。もしかすると、おたがいに面識がありそうだったことを察して、機転をきかせてくれたのかもしれない。

「音声の? それで、わたしになにが聞きたいのでしょうか?」

「佐賀さんは、広陣という会社のことをご存じでしょうか?」

 長山が話を進める。

「広陣……知ってますよ。短い期間でしたが、そこに在籍してましたから」

 佐賀の声に、不機嫌さが混じった。

 落ち着いた緑色に、灰色が滲んだようだった。

「広陣という会社について、おうかがいしたいんですよ」

「もうありませんよ。マレーシアではどうなっているか知りませんけどね。どうして、そんなむかしのことを聞きたいんですか?」

「ちょっと、ある事件の捜査で参考までに」

 長山は核心をぼかすような言い回しをした。誘拐事件に関係があるのかわからない現状では、致し方ないことだった。それとも、わざとそうしたのだろうか?

「どんな事件なんでしょうか?」

「六年前におこった誘拐事件でして」

「誘拐?」

「水谷健三という名前に心当たりはありますか?」

「いえ」

 佐賀の声に、不自然なところはなかった。驚きはふくまれていたが、突然、誘拐事件と聞かされれば、だれでもそうなる。

「そのお嬢さん、水谷しずくさんが誘拐された事件です」

「誘拐……六年前ですか……申し訳ない。まったく、記憶になくて」

 これにも不審なところはない。本当に、記憶していないだけだろう。昨今は似たような事件が多いから、覚えていなくてもおかしくはない。

「仕方ありません。物騒な事件は、世の中にあふれていますから」

 長山も、なにか心当たりがあるのに隠している、というような部分は感じていないようだ。

「広陣という会社は、関税法違反で摘発されていますよね?」

「そうです。それが原因で、日本から撤退したんです」

「具体的に、どういったことで摘発されたんですか?」

「そういうことは、警察のほうが詳しいはずじゃないですか」

 至極まっとうに言い返された。

「捜査を主導していたのは、警視庁公安部だったんですよね?」

「さ、さあ……どうだったでしょう」

 声に、動揺がはしった。

「佐賀さんは当時、どういった仕事をしていたんですか?」

 それに気づかないふりをして、世良は訊いた。

「経営のアドバイスですよ。まだコンサルタントではありませんでしたが、日本で経営するにあたって頼まれたんです。それを足掛かりに、こうして事務所を運営できるようになりました」

 よどみなく、佐賀は答えた。まるで、官僚や政治家の答弁のようだと思った。

「いえ、私が訊きたいのは、会社との関係ではありません」

「はい?」

「公安との関係です」

 佐賀の、息をのむ音が届いた。

「な、なにを……」

「公安は、あなたを使って、なにをしたんですか?」

「し、知りません!」

「上杉、という人物が、公安ですか?」

「……」

 ついには、押し黙ってしまった。

「取り引きがあったんですよね? 公安に協力すれば、なにかしらの見返りがあると」

 そして、この事務所を手に入れた。

「川崎、堤──」

 世良は、二人の名をあげた。

「知ってますか?」

「だ、だれですか!?」

 そこで、思い出した。

 佐賀の声を。

「……あ、あなたは……」

 同時に佐賀のほうも、世良のことを思い出したようだ。

 しばし、沈黙がおとずれた。

「世良さん?」

「王海さん!?」

 二人のあいだの緊張をともなった空気に、長山と峰岸が声をあげた。

「おれは、あなたを知っている。そして、あなたもおれを知っている」

 世良は、言った。

 視力を無くすまえ──。

 潜入先で、川崎に案内されて、リーダーである山本のいる部屋に通された。組織に入り込んで、はじめて山本に会ったときだ。

 先客がいた。

 それが、この男だった。

 会ったのは、ほんの一瞬。

 世良が入室すると、山本とこの男は会話を切り上げ、佐賀だけが部屋を出ていった。

 顔は、いまではよく思い出せない。

 しかし声は、まだ覚えていた。

「し、知りません! あなたとは、はじめて会いました」

 ごまかすように、佐賀は言った。

 彼のほうは世良の顔を、まだ覚えていたようだ。

「さきほど、会ったことありませんか? って、王海さんに言ってましたよね?」

 峰岸の発言で、佐賀はさらに追い詰められた。

「あなたは、《S》ですね?」

 公安そのものであったなら、世良のことをよく知っているはずだ。あくまでも協力者だった──世良は、そう分析した。

「……」

 佐賀から返事はない。

 警察の敵対勢力の人間にそう問われたのなら、どんなことをしても否定するだろう。命にかかわってくるからだ。が、警察の側に立っている者になら、そこまで必死に隠す必要はないはずだ。

 そうするということは、口外できない秘密を抱えているか、後ろめたいことがあるのか……。

「川崎と、堤という男を知ってますね? 彼らは、ごく最近、何者かに殺害されてます」

 佐賀の表情に、おびえが浮かんだ。

「つ、堤も……死んだのか!?」

 どうやら、川崎のことは知っていても、堤の死亡までは知らなかったようだ。まだ二日しか経っていないこともあるし、公安が捜査主導しているから、もしかしたら報道でも死亡者の名前が出ていなかったのかもしれない。

「おそらく、《U》という殺し屋の犯行です。二人とも」

「U……」

「川崎も、協力者だった。堤も、公安の関係者だと考えられます。なにか知っていることがあるのなら、教えてください」

「そ、そんな……私も、け、消されるのか……」

「そう思うということは、やはりあなたは」

「た、助けてくれ……!」

 佐賀は、すがるように声を絞り出した。

 音の反響から考察すると、この場所は薄い仕切りのようなものに囲まれている空間だろう。完全な個室というわけではないから、ここでの会話が外に漏れるかもしれない。現に世良の耳には、周囲の雑音が届いている。世良ほど聴力のすぐれた者はいないにしても、あまりに大きな声は……。

 佐賀自身も、そのことに気がついたらしく、すぐに声をひそめていた。

「お、お願いします……あなたたちは……どっち側なんですか!? 私を、助けてくれるんですか!?」

 声量を抑えたといっても、必死な訴えにかわりはなかった。

「おれたちは、人を殺したりはしない。たとえ悪人であったとしても」

 その言葉には佐賀への牽制と、《U》に対する皮肉がこめられていた。

「わ、私は……悪人ではない……」

 しかし佐賀には、後者の内容は当然のこと伝わらない。語尾は消え入りそうになっていた。

「世良さん……でしたよね? あなたはあのとき、あそこにいた。あなたも公安じゃないんですか?」

 あのとき、あそこ──おそらく、山本と最初に会ったときのことだ。

「たしかに、むかしはそうでした。しかし、いまはちがいます」

「本当にそうですか!? あなたたちは、人を騙すのが仕事でしょう!?」

 あながち、まちがいではない指摘だった。

「それはありせんよ」

 割って入ったのは、長山だった。

「どうやら気づいてないようですが、この世良さんは、眼が見えないんです」

「え!?」

 意表をつかれたように、佐賀の声が固まった。

「ま、まさか……」

「世良さんは、《U》に眼を潰されたんです。殺し屋の側に立っているわけでもないし、もちろんのこと、現職の公安部員でもない」

「しかし、協力者かもしれない……」

「そうかもしれませんね」

 世良は、あえて否定しなかった。

「だが、あなたに確固たる味方はいますか? 信じられる人間はいますか?」

「……」

「どのみち、一人でどうこうできるような問題ではないはずです。だったら、だれかを信じなければならない」

「あなたたちを信じろと……?」

「そうです」

 世良は、佐賀の眼をみつめるように顔を向けた。もしかしたら、微妙に方向はズレているかもしれない。かまわなかった。

「……本当に、見えないんですか?」

「はい。これは、義眼です」

「そんなふうには感じない……」

 数秒間、空白の時がおとずれた。

「わかりました……すべてをお話します。ですが……」

「心配しないでください。内容を口外するようなことはしない。もちろん、あなたが誘拐事件にかかわっているというのなら話はべつですが」

「そんな事件は知りません」

 嘘ではないだろう。

「世良さんの言うとおり、わたしは当時、公安の協力者でした」

 佐賀は、淡々と語りだした。

 広陣というマレーシアの会社が日本に支社をかまえるから、そこに入り込んでほしい──そう頼まれたという。その人物が、上杉と名乗った。

 上杉は最初、弁護士だと肩書を口にしていた。上杉の紹介で、佐賀は広陣のコンサルティング業務をおこなうことになった。経営コンサルタントは普通、社員ということではなく、顧問弁護士や税理士のように外部雇用されるものだ。平行してべつの会社とも契約をする。が、佐賀は広陣専属となり、雇用形態も契約社員ということになった。

 それまで他事務所のいち職員であり、独立は考えていても、それはまださきのことだと考えていた佐賀にとって、その話は魅力だった。契約期間も一年だったし、独立の下地をつくるにはちょうどよかった。

 だがすぐに、上杉という男の正体を知った。上杉は『公安』とは言わなかったが、警察関係者だと告げてきた。

 協力してもらいたいことがある、と。

 報酬は、独立の支援と、数社の顧客を紹介してくれるということだった。

「山本という男が経営する会社と取り引きするように、広陣に進言することでした」

「山本が会社?」

「どうやら、架空会社のようでした。それであのとき、その打ち合わせで面会しにいったんです」

「山本と公安は、関係があったんですか?」

 自分でそう訊きながら、それはないだろうと世良は考えていた。

 それならば、川崎の必要性がなくなる。

「いえ。山本という人は、事情は知らなかったと思います。資金援助をするということで近づいたんです」

 つまりは、こういうことだ。

 山本は、広陣という会社が組織に資金援助をしてくれるという話を信じた。一方、広陣は、山本の起こした架空会社との取り引きをおこなおうとしていた。

 広陣側の協力者がこの佐賀で、山本の組織のほうの協力者が川崎だった。その二人によって、山本の組織と広陣がつながりをもったことになる。

 公安は、それを望んでいた。

 では、それはなぜか?

「公安の目的は、わかりますか?」

「わかりません」

 佐賀は、重く吐き出した。

「……しばらくして、山本という男が殺されたことを知りました。それで、恐ろしくなった。上杉に連絡をしたんですが……そのときに……」

「脅しをかけられたんですね?」

「……そうです。これまでのことを人にしゃべったりしたら、どうなるかわからないと」

 実際には、そんなあからさまな言い方はしていないだろうが、佐賀の証言が偽りでないことはわかる。

「当時は……川崎という男も、自分と同じだとはわかりませんでした。事務所を立ち上げて、何年かしたときに、川崎の会社からコンサルティングの依頼がきたんです。そのときまで名前すら知りませんでしたから、面会したときには驚きました。山本の組織にいた男だって。そして、悟ったんです……。ああ、彼も自分と同じように、ご褒美をもらったんだな、って」

「堤については?」

「一度だけ、上杉と堤と私で会ったことがあります。上杉の正体に気づくまえです。仕事仲間だと、上杉からは紹介されました」

 上杉が、佐賀に。

 堤が、川崎に。

 上杉と堤が公安で、佐賀と川崎が協力者だった。

 しかし……と、世良は思う。

 堤も殺されたとなると、彼が正規の公安だったのかは疑問だ。下請けの可能性もある。そして上杉という男が、すべてのシナリオを描いたのではないか。

 ここにきてもまだ、その名前しかわかっていない。公安なら、本名ではないだろう。

 上杉をつきとめようとしても、それは簡単ではないはずだ。

「ん?」

 世良は、ある気配に勘づいた。

「世良さん?」

 問いかけた長山を手で制した。

 もしかしたら、これが突破口になるかもしれない。


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