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遠い声  作者: てんの翔
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       4.月曜日午後4時


 利根麻衣は、今年の春に上京してきたばかりの学生だった。一浪したが、志望していた大学に入ることができて、いまは親の仕送りと週四回のアルバイトで、ひたむきに暮らしていた。

 住んでいるのは、築五十年の二階建てアパートだった。はっきりいってボロだ。もちろん、満足はしていない。裕福な生徒の何人かは、オートロックの洒落たマンションに住んでいるという噂がめぐっている。でも麻衣には、このアパートで精一杯だった。

 上京当初は、住むところが決まらず苦労したものだ。なぜだか、たずねた不動産屋に断られる日々が続いたのだ。あきらかに学生ばかりが住んでいる物件が多いはずなのに、うちは学生やってないから──と、ぞんざいにあつかわれたり、理由も告げられずに拒絶されたこともあった。そのなかで、ようやくめぐりあった部屋なのだ。

 ボロというだけではなく、隣人にも恵まれていない。

 右の部屋には、オタクっぽい男性が。左どなりは、なんの仕事をしているのか不明な、やはり男性が住んでいた。

 このアパートは独身者専用……というより、六畳一間とキッチン・トイレ・風呂がついているだけの狭い空間なので、自然に独り暮らしの人間が借り主になるようだ。

 隣人は女性のほうがよかったが、そこまで考慮して部屋を決めようとすると、さらに長い時間が必要だった。何度も言うが、やっと決まったわが家なのだ。

 右のオタクは、まだよかった。ほとんど姿を見ないからだ。家で暗く、ネットにでも興じているのだろう。しかし左の正体不明の男は、ちょっと怖かった。よくかち合ってしまうからだ。

 麻衣は、部屋の扉を開けた。これからバイトに行かなくてはならない。

 と同時に、となりの部屋のドアも開いていた。

「ど、どうも……」

 麻衣は、とりあえず挨拶した。

 男性は軽く会釈をしただけで、足早に行ってしまった。

(なんなのよ、あの人──)

 名前は、鈴木というはずだ。表札などはなかったが、大家さんからそういうふうに聞いている。年齢は、三十ぐらいだろうか。もしかしたら、四十歳近くかもしれない。年齢も不詳だ。若いのか、結構いってるのかも、よくわからない。

 職業も謎だった。朝は、早くに出るときもあれば、今日のように夕方過ぎになることもある。

 真っ当な会社員でないことはたしかだ。とはいえ、チンピラのような風貌でもない。いたって普通の格好をしている。

 麻衣は、派遣アルバイトだと考えていた。

 もしくは、仕事のために出かけていくのではなく、ただぶらぶらしているだけなのかもしれない。だとすれば、ニートか。

 挨拶をしても、いまのように迷惑そうにして立ち去っていくだけだ。

「やば、遅刻しちゃう」

 こんなことに気をとられている場合ではなかった。バイトの時間に遅れてしまう。麻衣は、急いでアパートをあとにした。



 帰りは、十一時近くになってしまった。

 バイトの先輩たちに誘われ、飲みに行ったのだ。一応、二十歳になるまでは、あと数カ月あるから、お酒は飲まなかったが、女子会と称した先輩たちとの愚痴の言い合いは、ある意味、いいストレス発散になった。

 ほとんどが麻衣と同じように女子大生だ。なので、共感できる部分もある。なによりも田舎から出てきた心細い状況で、いい連帯感を得ることができた。

 アパートへの帰り道はとても静かで、自分のほかにだれもこの世に存在していないのではないかと、ヘンな錯覚に陥ってしまいそうだ。

 アパートまで、あと少し。みすぼらしいとまではいわないが、簡素なシルエットが視線のさきに見えてきた。

 自分の部屋の扉も確認できる。

 と──、めずらしく、となりのドアが開いた。

 オタクのほうだ。いや、いつも気づいていないだけで、この時間に出歩いているのかもしれない。

 コソコソとまわりを警戒しながら階段を降りようとしている。

 このまま部屋に帰ってしまうと、あのオタクと鉢合わせしてしまう。とてもイヤだったので、麻衣は歩調をゆるめた。

 そのときになって、どうしてだろう。あまりにも周囲を気にするオタクに、好奇心がわいてしまった。

 なにしに行くんだろう?

(どうでもいいのよ、そんなこと)

 そう思うのだが、よからぬ考えが消えてくれない。

 オタクはアパートを出ると、隠れるように夜道を進んでいく。

 思わず、あとをつけてしまった。

 それを後悔しはじめたのは、十五分ほど歩いてからだろうか。オタクは、駅のある繁華街とは真逆に進んでいた。この街に越してきて、まだそれほど日が経っていない麻衣は、こんな方向に来た経験はない。まったく知らない土地に等しかった。まわりには、ただただ住宅街が広がっている。

 引き返そうとも思うのだが、ここまで来たことがとても無駄に感じられそうで、やめることができなかった……どうしても。

 オタクとの距離は、三十メートルほどあるだろうか。アパートを出るときは、あれほど周囲を警戒していたのに、アパートから遠ざかるにつれて、オタクの警戒心が散漫になっていく様子がよくわかった。

 最初のころは、何度も後ろを振り返っていたので、そのたびに麻衣は肝を冷やしながら電柱の陰に隠れていた。が、いまではそんな素振りはない。

 結局、三十分近く歩かされた。

 こんなに長い距離を徒歩で来たのは、上京してから初めてのことだった。というより、普通なら自転車を使う遠さだ。

 そういえば、オタクは自転車をもっていない。アパートには自転車置き場も設置されているが、オタクのは見たことがない。

 やって来たのは、住宅地に突如として広がる霊園だった。大きな面積がある。昼間訪れたなら、のどかな風景と感じるかもしれない。しかし、こんな夜ともなれば、薄ら寒さが背筋を駆け抜けていく。

 この墓地は時間に関係なく入園できるようで、オタクは迷うことなく入り込んでいた。麻衣も、それに続く。さきほどよりも、ずっと慎重に隠れながら。

 道路なら、まだ街灯があるので視界には困らないが、霊園のなかは、まるで実家にいたころのように暗い。それでも、いまだ東京の明るさに慣れきっていないためか、なんとかオタクの行動をとらえることができた。

 なんという名称なのか麻衣にはわからなかったが、とにかく骨壺がおさめられている石の蓋をどかし、なかからなにかを取り出していた。骨壺ではないようだ。

(うわ、キモい)

 いや、それを通り越して、急に恐怖心が芽生えてきた。こんなところにいてはいけない……。

 そうっと、出ていこうとした。

 不自然に声が響いたのは、そのときだった。

『それが、残っていた骨か?』

 心臓が破裂しそうになった。

 どこから!?

 見回しても、声の主の姿はない。

 声は、麻衣にではなく、オタクに語りかけたようだ。

 オタクも焦った仕種で、周囲をうかがっている。

『返してもらうぞ』

「だ、だれだ!?」

 心に強く願った問いを、オタクがしてくれた。

 いったい、だれの声!?

『死をもたらす者に、名前はない』

「うぐっ!」

 突然、オタクの苦しげなうめき声があがった。

 麻衣は、見た。

 オタクの背後に、だれかが立っているのを!

 オタクが、喉を掻きむしるようにもがいている。

 なにかで首を絞められている!?

『おまえが殺した少女の恨みだ』

 オタクが、崩れ折れた。

 麻衣は、恐ろしさのあまり眼をつぶった。耳を手で覆った。見てはいけない……聞いてはいけないことがおきている。

 なにも見ていないし、聞いてもいない。

 なにもなかった。

 わたしは、ここに来なかった。

(に、逃げなきゃ……)

 でも、身体が動いてくれない。

 お願いだから、わたしに気づかないで!

 それから、どれぐらいの時間が経っただろう……。

 眼を開いたら、《死をもたらす者》がすぐ前に立っているのではないか。そんな凍りつきそうな想像が頭をおさえこんでいる。

 長い、長い時が過ぎた。

 やっと、瞳を……。

 だれかが、墓の前で倒れていた。

 わかっている。だれなのかは……。

 オタクだ。死んでいるのは──。

 そこからは、自分がどういう行動をとったのかわからなかった。

 気づいたときには部屋にいて、布団のなかにくるまっていた。

 もう朝だった。陽の光が、カーテンの隙間から入り込んでいる。

 いままでのは、夢!?

(そうよ、夢だったのよ……)

 麻衣は、そう思い込むことにした。


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