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遠い声  作者: てんの翔
29/50

30

       30.日曜日午前6時


 夜が明けた。

 うっすらとした外の光が、建物のなかを満たしている。

 麻衣は、ほとんど寝つけなかった。

 あてがわれたソファの上で、眼をつぶっていただけだ。

 ユウも、すぐそばで横たわっていた。麻衣のように瞳を閉じているだけなのか、本当に眠っているのか……よくわからない。顔は、むこうを向いている。それが偶然の姿勢ではなく、故意に顔を見せないようにしていることは理解していた。

 麻衣は、起き上がった。

「あの……まだ眠ってますか?」

「いや」

 ユウからの返事は、素っ気なかった。

 姿勢はかわらず、声だけがした。

「これから、どうするんですか?」

 恐ろしいと思っていた夜が過ぎてくれた。これからの日中は、少し不安が解消されるはずだ。

 そうなってくると、今後の方針が気にかかる。

「どうしたもんかな……」

 これまでに見せた俊敏な殺し屋のイメージとはほど遠い、茫洋とした言い方だった。

「そうだ、きみの田舎に行こう」

 まるで軽い思いつきのように、その答えを導き出すと、ユウは背中を向けて起き上がった。

「田舎……ですか? わたしの実家?」

「いやいや。おばあちゃんの家だよ。山があるっていう」

「ほ、本気で言ってます?」

 冗談のように聞こえるから、真偽を確かめる必要がある。

「本気だ」

「外へ出ても、大丈夫なんですか? また、襲われたりしませんか?」

「襲われても、おれがいる」

「信用できません」

「おれの腕を信用しろ」

「そういうことじゃありません」

「ん?」

「だって、あなたは殺し屋なんでしょう? それだけで信用できません」

「もっともなことを言うな」

「わたしが足手まといになったら……邪魔になったら、消すんでしょ!?」

 麻衣にとっての殺し屋とは、そういうものだ。似たようなシチュエーションの映画かドラマか漫画を見たことがある。

「裏切ったりしない。昨日約束したように、きみが思い出してくれたら、身の安全も保証する。たとえ、おれの顔を見たとしても」

 そう言うと、ユウは振り返った。

「え?」

 一瞬、頭のなかが真っ白になった。

 いけない!

 記憶してはいけない。

 だが、彼の顔が脳内に突き刺さる。

 朝の薄い光に照らされて、ユウの……残忍な殺し屋の素顔が!

 これまでに、アパートやその付近で何度か眼にしたことがあるはずなのに、そのときどきの印象とはだいぶちがう。

 というより、これまでの印象は「無い」。

 印象をもっていないのではなく、薄い……ちょうど、いまの室内の明るさのように、不確かで、とりとめがない。

 まるで、そこにいないかのような……。

 しかし、いまの彼は、確固としてそこに有る。

 存在している。

(わたし、知ってる……)

 麻衣は、思った。

 知っているのは当然だ。

 だが、そういうことではない。

 知っているのだ。どこかで……。

 アパートに越してくるよりも、ずっとまえから……。

「何度でも繰り返そう。おれは、悪人しか殺さない」

「……」

「だから、きみに手をかけることはしない」

「……」

「信用してもらうしかない」

「……どっちみち、顔を覚えちゃったから、あなたに協力するしかないんでしょう?」

 麻衣は、腹をくくった。



 それからすぐに出発した。

 車は、昨日とはちがうものだった。車種のことに詳しくない麻衣には、それがなんというメーカーのなんという名称のものなのかわからない。ただ、昨日はグレーだったものが、赤い車になっていた。

「この車は、どうしたん──やっぱりいいです」

 訊くのをやめた。どうせ、犯罪が絡んでいるにきまってる。

「ナンバーの知られていない車が必要だったんだ」

 ユウは言った。

「昨夜の連中に車は見られてるから、最初の隠れ家に置きっぱなしのやつは使えない。まあそれに、あれは逃走役の人間が用意したものだろうからな」

 途中のくだりからは、意味がよくわからなかった。

 助手席に、外からの風が入ってくる。

 麻衣の髪が、ゆるく、時折、激しくなびいてゆく。

 運転するユウは、もはや顔を隠していなかった。

「どうした?」

 こうしていると、普通にドライブを楽しんでいるかのようだ。

 年齢は、いくつなのだろう?

 ふと、麻衣はそんなことを考えた。

 世良と因縁があるということは、二十代ではないだろう。が、眼の前の彼は、二十代にも、三十代にも、四十代にも見える。

 若いのか、結構いっているのか、それすら見極められない。

 ここでも、とりとめがない。

「あの……としは……」

 そんな質問をして、はたして素直に答えてくれるだろうか?

 有名な殺し屋なのだから、経歴は不詳なのではないか……。

「年齢?」

「あ、いいです……なんでもありません」

「途中でやめる癖、なおしたほうがいい」

「べつに、癖じゃありません」

「年齢は、秘密ってことで」

 やはり予想どおりの答えだった。

「殺し屋の経歴は、不詳ってのがカッコイイだろ?」

「まんま、そう言うだろうと思いました」

「……」

 ユウは、苦い顔になった。

 運転しながら、ときたま彼は顔を下に向ける。最初、なんだろうと不思議に感じていたが、しばらく走っているあいだに、その理由を麻衣はさがし当てていた。

 カメラだ。

 高速や幹線道路には、必ずといっていいほど車のナンバーや運転者を撮影するためのカメラが設置されている。

 Nシステムで警察は監視の体制をととのえていると、ネットのニュースで読んだおぼえがある。それに、スピード違反を犯したときに撮影されるオービスもある。ユウは、それを警戒しているのだ。

 感心すべきなのは、そういうことを意識的にやっているのではなく、自然にこなしているということだ。となりにいるからこそわかる。彼は、人に顔を見せない動作を本能でおこなうことでがきるのだ。

「わたしは、なにを思い出せばいいんですか?」

 麻衣は、たずねた。それを教えてくれれば、記憶をさぐるヒントになるのではないか。

「穴を掘っているところ……なんですよね?」

 昨日、彼はそう口にしていた。

 小さいころ、茨城にある祖母の家の山で、何者かが地面を掘っていた。自分が、それを目撃しているという。

「ああ」

「なにかを埋めたんですか?」

「それを知りたいんだ」

 たしかに、そうなのだろうが……なぜだろう。ユウが、それを知っているのではないかと麻衣は感じていた。

「見当はついてるんですよね?」

「見当はついている」

「なんなんですか?」

「死体だ」

 聞かなければよかったと、心底思った。

「……だが問題は、だれの死体なのかってことだ」

「埋めたのは、だれなんですか?」

「それは知らないほうがいい」

「……ユウさんも、それに関わっているんですか?」

 決意を込めたように、麻衣は訊いた。

「殺したのは、おれだ」

 背筋に、冷たいものが走った。

「だったら、だれだかわかるんじゃないですか?」

「聞きたいか?」

 あらためて、ユウは言った。

 本当は耳にしたくなかったが、凄惨な内容であろうと、話を聞かなくてはならないと感じた。

「おれに依頼があったのは、十三年前だった──」


        * * *


 当時はまだ駆け出しで、裏の世界でも無名だった。

 腕には自信があった。だが、それだけでは仕事はこない。地道に依頼をこなして名をあげるしかないのは、表でも裏でも同じことだ。

 手っとり早いのは、ヤクザ・暴力団がらみだ。ヤツらは日常的に殺しを必要としている。ライバル組織への報復、外国マフィアとの抗争、一般人をやるのに殺し屋を使う場合もある。

 一般人への殺しはべつにしても、大半の依頼は「悪人」を殺すことになる。悪人からの依頼で、悪人を殺す。おれにとって、これほどおいしいシチュエーションはなかった。

 そしてあるとき、特殊な依頼が舞い込んできた。ある人物からの紹介だった。いまでも彼の名前は知らない。《店員》と呼ぶことしかできない。

 依頼主とヒットする人間の情報は、知らされなかった。それは、おれのやり方に反するから、最初は断った。だが、これからパートナーとして営業を担当してやるという《店員》(当時はまだ特定の呼び名はなかったが)の言葉にのって、唯一の例外をつくることにした。

 現在でも例外は、そのときの一回きりだ。最近請け負った例の二件についても例外といえば例外になるが、悪人であるということだけは耳にしている。そのときだけは、悪人であるかどうかもわからなかった。

 素性の不明な人間を、《店員》の指令どおりに殺害した。殺し自体は、とても簡単に完了した。

 きっと「悪人」であるだろうと信じて、息の根を止めた。

 その依頼が特殊だったのには、もう一つ理由がある。本来なら殺しを担当する人間が、その処理をおこなうことはない。いや、もっとランクの低い殺し屋ならば、処理も同時に請け負う人間もいるだろう。しかし、それなりの腕を売りにしている殺し屋で、それはない。処理をするための人間をべつに雇うことになる。だがそのときは、遺体の処理もこちらもちになった。というより、《店員》と本当の依頼主が、遺体を埋めることになったのだ。

 その依頼主の顔は知らない。会ってはいるが、こちらは目隠しをされていたし、むこうにしても、こちらの素顔はわからなかったはずだ。むこうも、こちらも、だれなのかはわかっていない。

 目隠しをされ、車で遺棄現場までつれていかれた。山道なのはわかった。曲がりくねっていたから。

 どこかで降ろされて、さらに険しい斜面を登らされた。その間も目隠しが取られることはなかった。

 樹木と草の匂い。土の香りも。

 どこの山なのか、見当もつかない。

《店員》と依頼主が穴を掘っている音がした。

 その作業に加えられることもなく、しばらくの時が経った。

 ようやく音が途絶えたころに、目隠しが取られた。

 そこにいたのは、《店員》だけだった。

 依頼主の姿は見えない。どこかに隠れたのだろうか?

《店員》から、いっしょに埋めもどすよう命令された。

 意味のわからないままに、穴へ土をかぶせる。そのなかには、自分の殺したターゲットが、うつ伏せに転がっていた。

「依頼主は?」

「そんな人間はいなかった」

《店員》は、嘘を言った。

 そんなはずはない。目隠しはされていたが、車中ではもう一人の気配が確かにあった。それに、遺体の処理に依頼主が同行すると、店員自身が語っていたのだ。

「いいか、そのことは忘れてくれ。これから私とおまえとでやっていくつもりなら」

「……」

「こいつの名前だけは教えてやる」

 店員は、穴のなかへ顎をしゃくって続けた。

「人工衛星だ」

「それが名前なのか?」

「そうだ。彼は、あるものを飲み込んでしまった。ここで永遠に眠ってもらう」

「教えてくれるのは、それだけなのか?」

 素性や経歴は、やはり教えてくれそうもなかった。

 穴を埋めもどし、不自然にならないよう細心の注意をはらった。秋ではなかったから落ち葉はそれほどない。近くから雑草を抜いてかぶせたり、石を散らしたりして工夫した。

 ちょうど、作業を終えたころだった。

 ある小さな気配を感じた。

 おれだけでなく、《店員》も同時に気づいたようだ。

 その場所から数メートル離れた草むらに、女の子が隠れていた。

 すぐとなりから、殺気が放たれたのがわかった。

「やめろ!」

《店員》へ鋭く叫んだ。

 彼の動きが止まった。

 もし彼が、あのまま女の子を殺そうとしていたら、本気で《店員》のことを消そうとしただろう。たとえ目撃者といえど、まだ幼い子供を手にかけるなど、悪人かどうか以前の問題だ。

「見られたんだぞ」

「殺しを見られたわけじゃない」

 女の子に極力聞こえないように、話し合った。

「この場所を知られた」

「そのことに、おれは関係していない。おれの仕事は、殺すことだ」

「だったら、私の好きにさせてもらう」

「それは許さない」

「甘いヤツだな。子供一人殺せないようでは、一人前の殺し屋とはいえないぞ」

「……おれと今後も組みたいのなら、こっちの言うことをきいてもらう」

 依頼人やターゲットのことを知らずに仕事を引き受けたのは、彼にいまと同じことを言われたからだ。今度は、こちらが条件を出す番だった。

「……わかった」

 そうやりとりをしている最中に、女の子はいなくなっていた。本能的に恐怖を感じ取って逃げたのかもしれない。予感があったので、それまで女の子が隠れていた草むらへ走った。

「どうした? なにかあったか?」

「なにもない」

 すぐあとを追ってきた彼に、そう答えた。

 嘘だった。

 おもちゃのスコップが落ちていた。プラスチック製のやつだ。

「もどるぞ」

《店員》が踵を返したのを見計らって、そのスコップを手に取り、確認した。

 名前が書いてあった。

『とね まい』

 それから、再び目隠しをされて、山を下りた。彼の運転で、その地を離れたのだ。



「わたし……会ってたんですか?」

「そういうことになる」

「じゃあ……」

「そうだ。きみが、あのアパートに越してきたのは偶然でもなんでもない。そういうふうに仕組んだんだ」

「どうやって?」

 彼女は、素直に驚きを表情にのせた。

「十三年前のあのときから、おれはきみのことをさがした。名前はわかっていたが、それは簡単なことではなかった。二年ぐらいかかったかな。きみをさがしあてたあとも、きみの動向をつねに監視していた」

「監視……ですか?」

「といっても、そんな大層なものじゃない。たまに、様子をうかがっていたぐらいのことだ。あのときの仲間に狙われる危険もあったからな」

「わ、わたしを……守ってくれていたんですか!?」

 おれは明言をさけた。

「……きみが大学生になり、東京で一人暮らしをすることも知っていた」

「あ!」

 彼女は、なにかに気づいたようだ。

「まさか……アパート……」

「きみにあそこを借りさせるために、いろいろと工作したんだ。不動産屋には、裏から手をまわしておいた。仲間には知られるわけにはいかなかったから、なにかと苦労した」

「……だから、いっぱい断られたんですね」

「悪いと思ってる」

 彼女は、軽くため息のようなものを吐いた。

「で、どうだ? なにか思い出せたか?」

 彼女は、首を横に振った。

「でも……」

「どうした?」

「あなたの顔を見たとき、どこか懐かしくて見たことがあるって」

「そうか」

「不思議ですね……これまでも、アパートで何度か顔を合わせてるじゃないですか。そのときには感じなかったのに」

「ああいうときの顔は、おれの顔であって、おれの顔じゃない」

「いまは?」

「正真正銘、おれの顔だ」

 車はまもなく、目的の地域に到着しようとしていた。


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