29
29.19日午前1時
初めて入る彼女の部屋は、なぜだか懐かしい雰囲気がした。
そして、年甲斐もなく緊張している自分を意識して、世良は深呼吸を繰り返す。
「どうしたんですか?」
「いや」
なにも答えたくなかった。
彼女も……人見さゆりも、それを察してくれたようだ。質問をかえてくれた。
「事務所でなにがあったんですか?」
「だれかが侵入してきた」
あまり物騒な話は聞かせたくなかったのだが、巻き込んでしまった以上、話さざるをえない。
「なにかされたんですか!?」
「鉛の弾をぶち込まれそうになった」
軽口のように聞こえたのか、彼女の機嫌が途端に悪くなったのが気配でわかった。
「大変なことじゃないですか! 警察へは通報しないんですか!?」
「警察も、あまり信用できないんだ」
彼女も、世良の過去は知っている。公安部にいたということも。詳しい任務のことまでは話していないが、一般的な公安部の知識なら心得ているだろう。
小説や映画のなかに出てくる公安は、悪の権化として描かれることのほうが多い。
「それじゃあ、どうにもできないんですか!?」
「安心してくれ。おれは、簡単には殺されない」
「どうして、そんなことが言い切れるんですか!?」
「おれには、やるべきことが残ってる。それを遂げないかぎり、死ぬことはない」
強がりではなかった。心の底から、そう思っている。
「やるべきこと?」
「ある人間と決着をつけるまでは……」
その男と、再びあいまみえたことを、彼女は知らない。
世良の眼が、何者かによって潰されたことは知っている。その人物が、どういうたぐいの世界にいるのかも、おおよそ見当はついているだろう。
だが……。
《U》という男のことを、彼女はどう思うだろう?
悪人しか殺さない男。
いまは、女子大生の利根麻衣と行動をともにしているはずだ。公安から命を狙われているとしたら、むしろヤツといっしょのほうが安全なのかもしれない。なんと矛盾している考えなのだろう。
まるで、殺し屋ではないようだ。
たとえヤツが、さゆりの存在を調べあげていたとしても、ヤツは彼女を狙ったりはしない。世良のウィークポイントをついてくるような卑怯な真似はしないはずだ。
いや、できない。
それが、《U》という人物の本質であることを世良はつきとめていた。
「これから……どうするんですか?」
考えてはいなかった。まだ頭の整理ができていない。
今夜は、ここに泊まるとして、明日からどう行動すべきか……。
自分が狙われたということは、さゆりをはじめとして、峰岸や長山にも危険が迫るかもしれない。
《U》による襲撃は、先に述べたように想定しなくてもいい。だが、さきほどの連中が仕掛けてくることは予想しておくべきだ。
警察官である長山は、自力でどうにかできるだろう。が、峰岸やさゆりでは、そうはいかない。
峰岸には、ここへ来る途中、さゆりの携帯で連絡がとれている。戸締りを厳重にしておくようにと念を押しておいた。
とはいえ、このまま守りに徹していてもダメだ。
平常の時は、なにもしないままではもどってこない。こちらから打って出ることも必要だ。
なぜ、自分は狙われた?
「世良さん?」
「大丈夫だ。明日になれば、最善の策がみつかるはずだ」
なんの根拠もなく、世良は応じた。
「なにか食べますか?」
「いや……いらない」
「飲み物は?」
「いや」
「また腹が立ってきました」
彼女の声は、憮然としていた。
「どうして?」
「そうやって遠慮するところ」
「……やっぱり、なにかもらう」
「なにがいいですか?」
「お茶でもいいし、水でもいい」
「一番、欲しいものを言ってください」
「きみが欲しい」
口に出してから、大きく後悔した。
恥ずかしさのあまり、顔からマグマが噴き出しそうだった。
どう考えても、大人の発言ではない。そういうことが似合う軽いキャラクターならば、どれだけよかっただろうか。
今夜は、どうかしている。
彼女から、笑い声はもれていない。
それが逆に緊張を生んだ。
唇に感触があったのは、それからすぐのことだ。
「いいですよ」
静かに落ち着いて、彼女は言った。
世良は、強く抱きしめていた。
ベッドのなかで、彼女から部屋の間取りを教えてもらった。
玄関を入ってキッチンがあり、リビング、その奥に寝室がある。一般的な間取りで、頭に留めておくべき特徴はない。
「今日は、仕事?」
熱い時間は、瞬く間に朝を呼んだ。
「はい。十時半からです」
「眠らなくて、大丈夫?」
「心配しないでください」
「いまは?」
「六時ちょっとまえですね」
「だったら、少しでも眠ってくれ」
「だから、平気ですって」
「そういうわけにはいかない。おれのせいで、仕事に支障が出てしまったら……」
「気にしないでください。世良さんのほうこそ、これからどうするか決まりましたか?」
「ああ……、ぐだぐだ考えるのはやめることにした。本来の捜査にもどる」
「でも、危険じゃないですか?」
「それこそ、敵の思うつぼだ。おれの妨害をするということは、おれが居てもらいたくないところに入り込んだということなんだ。おれの進んでいる道は、まちがっていない」
「……」
「どうした? なにか言ってくれ」
「すごいですね。その眼には、ちゃんと一本の道が見えているんですね。それを迷わず突き進んでいる」
「迷ってばかりだよ」
「いえ、眼が見えないからこそ……光の無い世界にいるからこそ、あなたは恐れることなく進んでいける。その道は、まちがっていません」
砂嵐に消えた道標をみつけたようだった。
彼女の言葉に、かえようのない勇気をもらえたような気がした。




