表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
遠い声  作者: てんの翔
26/50

27

       27.19日午前0時


『広陣』という貿易会社。

 女子大生・利根麻衣。

 調べを進めるべきは、どちらだろう?

 七時ごろにあった坂本の電話からずっと、自宅へもどることもなく、世良は考えをめぐらせていた。気がつけば、深夜になっていたらしい。時計の鐘の音が、十二回響きわたった。

 まだ八時か九時ぐらいだろうと思っていた。たいして頭のなかが進展していなかったので、まさかそんなに時間が経っていようとは……。

 事務所の時計は一時間ごとに、その時刻の回数だけ鳴るようになっている。そしてそれ以外にも三十分に一回、音が出るようになっていた。が、十一時半までの鐘の音を聞いた記憶は残っていなかった。いや、そういえば耳にしていた。していたが、集中力が落ちるので、聞き流していたのだ。

 世良は毛布を用意して、ソファに横たわる。事務所に泊まることも多いから、窮屈に思うことはなかった。

 室内の電気は、はじめからつけられていない。今夜は峰岸が早く帰っているので、明るくする必要がなかったのだ。つまり考え事をしているあいだ中、真っ暗闇のなかにいたことになる。眼の見える第三者が立ち会っていたら、異様な状況だと思うだろう。

『広陣』という会社は、マレーシアの貿易会社であるという。現在、日本支社はなくなっている。かつて公安の摘発を受け、それが原因で撤退したと。

 その企業と、一連の事件が関係しているというのだろうか?

(彼女は……なにを見た?)

 そして利根麻衣は、どういうふうに絡んでくるのか……。

 ──なにかを目撃している。

 坂本の言葉を信じれば、そういうことになる。公安が動くほどのなにかを……。

「!」

 眠りに落ちようとしていたときに、忍ぶような気配を感じた。

 闇に溶け込もうとする努力は認めるが、同化はできていない。それに世良にとって、闇は不都合な環境ではないのだ。

 階段を上がってくる。

 事務所の扉が開いた。

 そのまま眠ろうとしていたから、鍵はかけていない。

 光源を所持しているのか、何者かは、つまずくこともなく、ソファのもとまでやって来る。

 世良は、眠ったふうをよそおっていた。

 相手の出方を見極めたかった。

 侵入者は一人だから、闇のなかでは充分に応戦できる。

 空気の動きで、なにかを取り出したのがわかった。

 カチ。

 安全装置をはずしたのだ。

 世良は飛び起きた。

 足音の止まった場所から、何者かの手にした拳銃の位置を推定した。身長は、175センチぐらいと予想。あてずっぽうではない。足音の響きから、人物の大きさを割り当てたのだ。

 引き金が絞られるまえに、世良は拳銃をつかんでいた。自動式だった。これで、スライドは動かないはずだ。

 侵入者は、拳銃を両手で持っていた。ということは、光源を手にしてはいない。懐中電灯などを所持していた場合、拳銃をかまえた段階でそれをどこかに置いていなければならない。しかし、そんな物音はしなかった。かといって、頭に装着するタイプのライトでもない。これだけ近づいても、光の熱が伝わってこないからだ。

 何者かは、暗視スコープのようなものを装着している。

 でなれば、いくら都会の夜とはいえ、電灯の消えた室内を自由に移動などできない。

「くッ」

 突然の抵抗に、侵入者が慌てている。

 撃ちたいのだろうが、世良も必死にそれを阻止する。少しでも握力をゆるめたら、発砲を許してしまう。

 なにかが太股に強く当たった。

 おそらく、侵入者の足だ。

 だが、それほどのダメージはなかった。

 相手は、一方的に仕留められるとタカをくくっていたのだろう。まさかの反撃に、むこうもパニック状態なのだ。

 世良は、蹴り返した。

 膝が鳩尾あたりに命中したと思う。

 いまならば、一瞬だけ手を放しても大丈夫なはずだ。

 方向感覚は狂っていない。

 室内のどこになにがあるということは、身体が覚えている。

 世良は、侵入者から離れた。

 壁のあるほうに向かった。

 スイッチ。

 部屋の灯をつけたのだ。

 暗視スコープをつけているのなら、突然の光量に、相手の視力は奪われる。

「うわッ!」

 呻きとも悲鳴ともつかない声がもれた。

 次に世良が向かったのは、出口だ。

 一度離れてしまえば、侵入者の体勢がわからなくなる。正面を向いているか、背後を向いているかで、拳銃の位置が大きくちがってくる。いくら眼くらましをかけたとて、銃器を持っている人間に近寄るのはリスクが高い。部屋の外に逃げるほうが懸命だ。

 事務所を出ると、階段を駆け降りる。

 後ろは振り返らない。振り返っても、見ることはできないのだ。

 よく知っている土地だから、足の動きに淀みはなかった。

 近くに人の気配はない。時間が時間だから、人通りは皆無だろう。だが表通りに出れば、この時間でも交通量は多いはずだ。

 路地から、国道四号線に出た。

 こういう非常事態においても、世良の距離感は完璧だった。現在地点の把握にまちがいはない。普段から、ガードレールやビルの壁を印にしている。手触りが、自分のいる位置を教えてくれる。

 公衆電話に向かった。10メートルほど行けばあるはずだ。

 追手の気配はない。むろん深夜とはいえ、幹線道路ともなると車通りは途絶えることがない。昼とは桁がちがうが、通行人もそれなりにいる。そのなかに、さきほどの侵入者がまぎれている可能性は捨てきれない。

 さすがの世良でも、すべての足音、物音、騒音を聞き分けることは困難だ。静かな場所で、数も限られていれば、リズムの乱れなどから敵を察知することもできるのだが……。

 公衆電話のボックスからは、話し声がしていなかった。携帯がこれほどまでに普及した現代においては、使用されていることのほうが珍しくなっている。とはいえ、深夜になるとホームレスが寝床として入り込んでいることもあるので、慎重に踏み込んだ。

 携帯は置きっぱなしだが、幸いなことに財布は所持していた。

 峰岸の携帯番号にかけた。機械まかせにせず、主要な番号はすべて暗記してあった。こういうときのためだ。

 出ない。すでに寝ているのだ。

 長山にかけた。こちらも留守電になっている。

 桐野も出ない。

 世良は、決断を迫られた。

 このまま、事務所へもどってみるか。それとも、もどらないか。

 もどるのならば、だれかの助けが必要だ。さきほどは不意をつけたから逃げられたが、逆に待ち伏せされていれば、簡単に消されてしまう。

 べつのどこかに行くとしても、一人では不都合が多い。二四時間営業の店に入るとしても、やはり自分一人では難しい。入ったことのある場所でなければ、いつものような振る舞いはできない。

 110番へかけて、おおごとにするか?

 命を狙われたのだから、それが安全だろう。

 だが、そうはしたくなかった。

 個人的なつきあいのある長山や桐野はべつだが、警察組織へ一般市民のように助けを求めてしまうと、ヤツに笑われてしまいそうな気がしたからだ。

 根拠のない意地だった。

 それだけではない。もし、いまのが公安の仕業だとしたら、警察自体に信用がおけないのだ。ありえない話でもなかった。

 どうやら、坂本の一派とは敵対しているわけではないようだ。だがその反対勢力が、こちらを敵対者とみなしているかもしれない。

 なんとかしてみせろ──。

 そんな《U》の言葉が聞こえてきそうだった。

「……」

 もう一人……もう一人だけ、連絡できる人物を頭に思い描いた。そういうときの「像」は、むかしから知っている者を除いて、視覚的なものではない。

 声。

 声からイメージを受ける、想像だけの顔。

 世良は、番号を押していく。

『もしもし、どちらさまでしょう?』

 夜中なのに、彼女はすぐに出た。

 当然のことながら、公衆電話からかけているので、彼女からすれば、見知らぬ番号からの電話ということになる。

 一瞬、世良は言葉がみつからなかった。

『……世良さん、ですか?』

「どうして、わかったんだ?」

『なんとなくです』

 彼女の声は温かくて、緊張していた心と身体をほぐしてくれた。

『なにか……あったんですか?』

 熱のこもっていた緋色に、青みがかったくすみが入った。それは不安が色になったものだ。

『どこからかけてるんですか?』

「近くの公衆電話から」

 おそらく公衆電話だということは、出たときにわかっているはずだ。あのブザー音が鳴っただろうから。

「事務所に泊まってたんだが、いろいろあってね」

『どうしたんですか?』

「ちょっと、もどれない」

『事務所で、なにかあったんですか!?』

「そっちに、泊めてもらいたい……ダメかな?」

 質問には答えず、世良は言った。

『いまからいきます!』

「いい。場所を教えてくれれば、こっちから行く」

『バカいわないでください』

 彼女の声は、怒っていた。

「タクシーなら、すぐ前を通ってるはずだ。それに乗る」

『ムリです! わたしが行きます! 事務所のそばですね!? 四号線沿いですね!?』

 それを確認すると、彼女のほうから電話を切っていた。

 それから三十分ほどで、彼女はやって来た。なんとかタクシーをつまえて、ここまで急行したようだ。深夜だから、簡単なことではなかったはずだ。世良は、申し訳なく思った。

「もっと、わたしを頼ってください……わたしは、あなたのなんなんですか……!?」

 その感情が伝わってしまったのか、彼女は言った。

「ごめん……」

「あやまらないでください!」

 ますます怒らせてしまった。

「きみの家に行きたい」

「わかりました」

 少しだけ、彼女の──人見さゆりの機嫌が直ったような気がした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ