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遠い声  作者: てんの翔
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26

       26.土曜日午後7時


 飛び出すタイミングを計っていた。

 すでに夜となり、外は暗い。街灯の届かない工場内ともなれば、完全なる闇で視界はきかないはずだ。邪魔になるかもしれないので、マスクは取っていた。

 地下室への入り口は、床を開閉するようになっている。地下室内から見れば、天井だ。昇り降りのための梯子も設置されている。

 おれは、その梯子に足をかけていた。

 いま、頭上を足音が通過していく。

 通りすぎた。

 おれは、天井の出入り口を開けた。

 地下室の灯は消してあるので、光が漏れることはない。

 梯子を駆けて、地上へ昇った。

 瞬時に、二人の侵入者が眼に映った。

 夜目はきく。スーツの色まで識別できる。

 手にはそれぞれ、自動式拳銃が握られている。

 二人は、おれに気づいていなかった。

 たんに暗いからではない。

 闇に擬態しているからだ。

 おれには、絶対的な自信があった。

 賭けてもいい。たとえ、ライトの光に照らされたとしても、侵入者たちの眼ではとらえられない。

 侵入者は、拳銃をかまえてはいるものの、しかしライトのたぐいは所持していないようだった。あきらかに、こちらの戦力を舐めている。

 おれには、二人をどうすることもできる余裕があった。

 すると、さすがに暗いと判断したのか、一人がポケットからライトを取り出した。

 ふいに、おれの顔に光が降り注いだ。

 強い輝きが瞳を刺す。特殊部隊が使用しているライトだ。

 だがやはり、侵入者は気づかない。

 闇のなかに浮かび上がる「なにかの物体」としか判別できないのだ。

 脳が、それを人だとは認識していない。視覚神経回路の誤作動を利用することこそが、おれの術中だった。

 さすがに動くことはできないが……。

 ライトの灯が逃げるのを待つ。

 もう一人の侵入者も、ライトを取り出したようだ。

 二つの光条を当てられても、おれは《人》ではなかった。

 撫でるように、おれの顔から光が去っていく。

 おれは、動き出した。

 最初にライトを取り出したほうの背後に回り込む。

 武器はない。

 真後ろから不意をつけば、たとえ屈強な猛者といえど、子供でも昏倒させられる。それほど人間の頭は、想定外の衝撃に脆いのだ。

 ほら、こんなふうに。

「おい!?」

 もう一人の緊迫した声が、闇にこだまする。仲間が前触れもなく倒れたのだ。残されたほうの恐怖は計り知れない。だれにやられたのか……なにがおこったのかもわからないのだ。

 おれは右側面から、もう一人に近づいた。

 このままではあまりにも気の毒なので、わざと気配を開放した。

「え!?」

 突然、迫りくる人影を眼にした侵入者は、恐慌をおこしたようだ。闇雲に、引き金を絞った。

〈ドン、ドン!〉

 もちろん、当たらない。

 おれは、侵入者の首に手をかけた。

 このまま骨を折ることもできる。だが、しなかった。

 この殺しには、金が絡まない。

 プロフェッショナルは、一時の感情や突発的な出来事で殺しはしない。たとえ命の危険を回避するためであったとしても、だ。

 簡単に殺すのは、アマチュアだ。

 おれは、侵入者の首筋に掌打を当てた。

 嘘のように、侵入者は眠りについた。眼を醒ましたとき、彼はどこまで実感するだろうか。永遠の眠りでなくてよかったと。おれがその気になっていれば、もう眼を醒ますことはなかったのだと。

 おれは、周囲をうかがった。

 二人以外には、いない。外はどうだろう?

 気配は伝わってこないが、念のため見回ることにした。もし敵がいなかったとしても、すぐに出ていかなくてはならない。侵入前に、彼らは黒幕に報告をあげているだろう。すぐに応援が来るはずだ。

 敵がいるならいるで、排除しなければ彼女をつれては逃げられない。

 おれは、闇のなかを出口へ向かって──。

「外の二人は、石のように転がっている」

 その声に不思議と警戒感は抱かなかった。

 敵意はふくまれていない。特徴のない声音……ある意味、自分の存在と似ている──おれはそう感じた。

 いわば、声の擬態といったところだろうか……。

 存在感を消し、どこにでもあるものに化けている。だれが発してもおかしくない声に。

「何者だ?」

「そんなことは、どうでもいいことじゃないか」

 おたがいの顔はわからない。闇のなかだから、うっすらと輪郭しか……。

 夜目はきくはずなのにとらえられないということは、声の主がそれを計算して距離をとっているとしか考えられない。

「単刀直入に訊こう。敵か味方か?」

「味方ではない。あたりまえだろう? 殺し屋に味方なんていないんだろうから」

 このまわりくどい言い回し……声の主からは、《おおやけ》の匂いがする。

 味方ではない、と口にするということは、逆に敵でもないということになる。彼らのような人種は、言動にまわりくどいところがあったしても、行動は単純明快だ。こんな接触をすることなく、殺すなり拉致しようとするなりやっているだろう。

「どうするつもりだ?」

「世紀の殺し屋と戦うつもりなんてないよ。ここは危険だろう? アジトを用意してあげようと思ってね」

「けっこうだ。自分の身ぐらい、自分で守れる」

「彼女がいっしょでもかね?」

「そうだ」

「これは失礼した。外の敵を倒した件も、ありがた迷惑だったかな?」

「こいつらは、《おおやけ》だ。そして、あんたも。なぜ、仲間を裏切るようなことをする?」

 自分で発言していて、それはちがうと感じていた。

 同じ《おおやけ》であったとしても、仲間ではない──それこそ単純明快。敵対しているから倒したのだ。

「きっと、いま考えたとおりだよ」

 見透かしたように、声の主は言い当てた。

「……」

 彼が、踵を返した。いまならば、無防備に背中をみせている。

 本能が、おれに問いかけてくる。

 このまま、この人物を行かせてしまっていいのか──と。

 殺しておいたほうが……。

「答えてもらおう。おれになにをさせたい?」

 しかし、闇からの返事はなかった。

 おれは、追うこともしなかった。いまの男は、おれをどこかへ導こうとしている。ちがう方向へ進もうとしたそのときに、彼は再び眼前に出現するだろう。

 答えは、いつかのときに。


        * * *


 銃声が聞こえて、麻衣は恐怖で全身がすくんでしまった。泣きだしそうになっていた。

 しかし……、どうにか堪えられた。

 彼に守られているからか?

(なに考えてるの!? あの人は……)

 殺し屋なのに!

 どれぐらいの時間が経っただろう。銃声が聞こえた以外に、物音はしない。

 銃声?

 麻衣の内部で、驚きが膨れ上がる。

 なぜ、銃声だと思ったのか?

 癇癪玉かもしれないし、花火かもしれない……運動会のときに使用するスターターかもしれないのに。

 殺し屋との出会いが、どんどんと自分を日常から遠ざけていく。

(そうか……さっき)

 ホテルで耳にしているのだ。そのときと同じ音だった。

「上がっても大丈夫だ」

 とりとめのない思考が、ユウの声でかき消された。

 麻衣は従った。

 梯子を昇る。暗いから、一段一段が慎重にならざるをえない。

 地上階に出た。下も真っ暗だったが、上も同じだった。殺し屋の顔は見えない。マスクは、ここに向かったときに取っていたことを知っている。

 麻衣は、ユウに近づこうとした。

 なにかにつまずきそうになった。

「な、なんですか!?」

 そこにあったのは、人だ。

 ピクリとも動かずに倒れている。

「死んでるん、ですか……!?」

「意識がないだけさ」

 ユウは、軽やかにそう応えた。

 倒れているのは、一人だけではなかった。

「この人も……!?」

「そうだ。どっちも死んでない」

 どこか面倒くさそうだった。いちいち、こんなことで驚くな──そう言われているようだった。

「これから移動する」

「またですか?」

「そのまえに、やることがある」

 ユウの手が、首筋に触れる。

 麻衣は、彼の顔から眼をそらした。いくら暗いとはいっても、これだけ近づいたら見えてしまう。

「ここに埋め込まれたものを排除する」

 なにを言われたのかよくわからなかった。

 思い出した。首に発信機が埋め込まれている……のだ。

「どうやって!?」

「心配するな。それほど深く入れられていないから、傷は残らない」

 そんな言葉を鵜呑みにするほど、麻衣はバカではなかった。

「い、いや……です!」

 勇気をもって拒絶した。

「だめだ。いいか、動くなよ」

 強烈な光が灯った。

 懐中電灯のようだった。

 首に直接あてられているから、熱く感じる。

 チクッとした痛みが走った。

 本当に摘出をはじめてしまったのだ。こんなところで、立ったまま……。

 麻衣の瞳には、ユウの手になにが握られているのかは映っていない。ナイフだろうか、包丁だろうか……それとも、カッターかハサミ……。なんであろうと、背筋が震えた。

 逃げ出したほうがいい。身体のどこかで、そんな声が聞こえてくる。幻聴なのか、魂の声なのか。それとも、まったくべつの現象なのか……。

 ああ、こわい、こわい……。

 殺し屋にこんな無防備に身体を触らせているというのは、自殺行為ではないのか。いや、彼がその気ならいつでも殺せるはずだし、ここに来るまえに殺されていた。

 ちがう。ユウは、わたしからなにかを聞き出したかったんだ。

 麻衣は、そのことを思い出した。

(このまま、わたしは殺される!)

「終わったぞ」

「え!?」

 意外なほど、恐怖の時間は呆気なかった。

「ほら、これでいい」

 なにかを貼られた。バンソーコー?

「これが入ってた」

 ライトが、ユウの手元を照らす。

 麻衣にも見えた。とても小さくて、平たいもの。人差し指の腹に乗っている。これに似た物で麻衣が思いついたのは、ICチップだった。精密機械に入っていそうなやつだ。

「こ、これ……ですか?」

 あまりにも小さかったので、麻衣は驚くことしかできない。

 思いがけずユウの顔を見てしまったが、灯が当てられているのは彼の手だけで、その奥にある相貌は闇のままだ。

「どうやって……」

「なにか鋭利な専用の器具があるんだろう」

 ということは、この発信機は人体に設置するために存在していることになる。そもそも、これは本当に発信機なのだろうか? 現代の科学は、それほど進化しているものだろうか!?

 ユウが、人差し指と親指を使って、その発信機(?)を潰した。

「これでいい」

 麻衣は、首筋を触ってみた。やはりハンソーコーが貼られていた。正直、ホッとした。もっと大がかりな手術のようなものを想像していたのだ。

「移動するぞ」

 ライトが消され、彼に手を引かれて建物の外に出た。

 そこでも二人が倒れていたが、もう驚くことはやめた。

「今度は、どこまで行くんですか?」

 あきらめに似た感情にささえられて、麻衣は問いかけた。

「遠くにはいかない」

 といっても、それなりの距離は移動するのだろう。そう考えた。

「あそこだ」

 ユウは指さした。

 近くに街灯はなかったが、それでもなかよりは明るかった。指の先には、ここと同じような形をした建造物が。

 いまいる場所から、五十メートルほどしか離れていないのではないか。

「あそこ……ですか?」

「そうだ。ここと同時期に買っておいた。いまでは使われていない廃工場だ」

「大丈夫なんですか!? そんなに近くで……」

「逃げるんなら遠くへ、ってだれでも思うだろ? その発想の逆をつく」

「は、はあ……」

「ここらへんには防犯カメラもないから、おれたちがどっち方向へ逃げたのかは特定できない。絶対に大丈夫だ」

 自信たっぷりに、ユウは言った。

 どんな表情をしているのか、興味がわいた。

 その顔を見たくなった……。

「どうした?」

「いえ……」

 まさか、顔を見せてくれ、と告白するわけにもいかない。彼の顔を明確に見て、そして克明に記憶してしまったとしたら……彼は、どうするのだろう。さきほどかわした約束が守られたとしても、彼と自分の関係は、どう変わっていくのだろうか?

 麻衣は、心が不思議な感情に支配されはじめていることに気がついていた。


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