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遠い声  作者: てんの翔
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       23.18日午後4時


 現場のホテルは、公安部に掌握されていた。

 刑事部の入る隙間はなく、管轄外の所轄である長山はおろか、捜査一課の桐野にも、まったく情報は伝わっていなかった。桐野は世良の同期であり、長山に世良を紹介した人物だった。

 場所は、ホテルの警備室。数人の警備員のほかに、長山と桐野、そして峰岸が同席している。警備員の正確な人数はわからない。あってはならない事件が発生したことにより、警備は混乱していた。せわしなく出たり入ったりを繰り返しているから、把握はしづらい。かといって、峰岸に数えてもらう必要性までは感じなかった。

 いまは桐野主導で、監視カメラを調べている。公安は、部外者にそれを見せるのを強行に反対した。むろん、世良自身は眼にすることはできない。そのため長山に頼もうとしたのだが、公安に拒否されたのだ。たかが所轄にそれはできない、と。ならば、本庁刑事部の人間を呼ぶしかない。

「ずいぶんと、厄介なことに首をつっこんだもんだな、世良よ」

 桐野が愚痴のように言った。どこか黄色い帯状の色彩が混じった紺色の声だった。愚痴のようで愚痴ではない。むしろ、おもしろがっているのではないか。

「なにが映ってる?」

「こいつが、《U》だな」

「顔は?」

 訊くまでもなかったが、そうたずねた。

「映ってない。噂どおりだな。体型も中肉中背よりは、やや細身。歩き方や姿勢もふくめて、そのほかに特徴はない。これじゃあ、いくら映像に残ったとしても、本人の特定には役立たない」

「逆に、まったく特徴のない人間が《U》ってことじゃないですか?」

 峰岸の声は、いつも以上に能天気だった。

「そういう人間は、何百万人いることか」

 桐野が嫌味を口に出した。峰岸とは何度も面識があるから、遠慮がない。

「《U》は、彼女を……利根麻衣さんを助けるために、ここへ?」

「最初から助けることが目的だったかはわかりませんが、結果的にそうなった」

 長山の疑問に、世良は持論を述べた。

「マル害は、これだな。ホテルの正面では雑誌を持っている。ロビーに入って、そこのゴミ箱に雑誌を捨てたようだ。エレベーターに乗った」

 桐野は世良のために、わかりやすく解説してくれた。

「そのすぐあとに、《U》もエレベーターに乗った。エレベーター内のカメラでも、顔はまったくわからない」

「度胸ありますね。さすがは殺し屋だ」

 峰岸の感想があまりにも素人臭かったので、思わず世良は吹き出しそうになった。不謹慎だと、すぐに気を引き締める。

「問題の階についた。降りたのはマル害だけだ。《U》は、そのまま上がっていく」

 ヤツほどの男が、のこのこついていくわけがない。

「《U》は、一つ上の階で降りた。階段に向かったようだ。そこのカメラはないが、マル害を追っているはずだ。マル害のほうは、現場についた。ここの部屋でいいんだろ、峰岸君?」

「そうです」

「部屋の前にいる男と言葉を交わしてる」

「あっ!」

 峰岸の声で、マル害が犯行に至ったことがわかった。マル害であり、マル被でもあるのだ。

「首の骨を折られたな。ただ者じゃない。マル害……この場合、マル被か。とにかく、この男は何者なんだ? こいつも殺し屋か?」

「公安」

 世良のつぶやきが、部屋に混乱をもたらしたようだ。

「なに?」

「え? どういうことですか、王海さん?」

「そのままの意味だよ」

 世良は、感情を込めずに答えた。

「なるほど……だから見張りの男は、無警戒だったのか」

 一応の納得を桐野が示した。

「マル害……いや、マル公にしておうか。マル公が部屋をノックした。扉が少し開いた。なにかを懐から取り出したな」

「チェーンカッターじゃないですか? 物騒ですね」

「マル公が扉を大きく開けて部屋に入った。扉は、見張りの死体に引っかかって開けっ放しだ。部屋のなかを映す画像はない」

 それはそうだろう。

「《U》らしき男が来た。見張りの身体をさぐっている」

 そこからのことは、聞かなくても手に取るように映像が浮かぶ。

 拳銃を奪ったヤツが、部屋のなかに向かって発砲した。そして、なかへ入って、利根麻衣を連れ出した。

「《U》が、女性の手を引いて出てきた。エレベーターとはちがう方向へ走っていく。外の非常階段から逃げたんだな」

 一通りの映像を見おわった桐野が、ため息をついた。

「どうなるんだ、この事件。本当にマル公が公安なら、同僚を殺したことになる。そもそも、連中がよくこの映像をおれたちに見せる許可を出したな」

「簡単だ。公安は公安でも、表に出ることのない人間だ。公安は、認めない。ただの殺し屋が、べつの殺し屋に殺されただけ──そう主張するだろう」

「まさか。さすがに、警官だってわかってしまうだろう?」

「たぶん、そのへんの情報操作は、すでに完了してるはずだ」

「……そこに所属してた人間に言われると、信用してしまうな」

 それは裏を返せば、やはり信じられないということだ。刑事畑しか知らない桐野のような生粋の警察官ならば、当然の感想だった。

「もういいかな?」

 そのとき、背後から威厳を演じようとする声がかかった。世良は振り返る。もちろん、顔を確認するためではなかった。

「あなたがたにそれを見せたのは、われわれの最大限の譲歩だと受け取ってもらいたい」

 聞いたことのない声だが、それなりの権限をもっているだろうことは、口調と内容から推察することができる。ただし、誇張したしゃべり方は好きになれなかった。

「それから、ここで知ったことは、けっして口外しないと約束してもらいたい」

 拒否を許さない強さを感じた。ほめ言葉ではない。陰謀めいた薄暗さがある。

「ここの映像は、すべて公安部が回収する。二度と表に出ることはない」

 このホテルの権利など、最初から認めていないようである。

「世良の話じゃ、公安の人間が仲間をやったそうじゃないか。おたくら、どうなってんだ?」

 桐野の言葉には、怒りがこもっていた。

「なんの話だ? うちの人間を殺害したのは、《U》とかいう殺し屋だろう?」

「おい、この映像を見てみろ!」

「さあ、もう出ていってくれ。あとの処理が山積みなんだ」

 有無を言わせず、公安によって警備室も占拠された。

 世良たちはホテルを出た。世良の事務所で今後の対策をとることになった。ついてから、これまでの経緯を桐野に語った。

「世良は、どう考えるんだ?」

「今回の件は、たぶん九年前とつながっている」

「というと?」

「おれが潜入していた左翼組織のリーダーがヤツによって殺害された裏には、公安が糸を引いている。九年前、ヤツに依頼をしたのは副リーダーだった川崎で、川崎は公安の協力者だった」

「なんだそりゃ?」

 桐野は、素直に驚いていた。

「堤が、川崎を操っていた公安だ」

「昨日、青山で殺された?」

 世良は、うなずく。

「なんのために?」

「そこまではわからない。リーダーだった山本義彦を消したかったとしか」

 桐野から、あきれたような声がもれた。

「そんな簡単に、公安が人を殺すのか!?」

「もちろん、証拠などない。あいつらが、それを認めることもありえない」

「だろうな」

 さらに、あきれたような声。

「いまになって川崎も堤も、《U》によって殺されている。川崎のほうは断定できないが……おそらく、そうなんだろう。その背景にも公安部が絡んでいると、おれは思ってる」

「二人が邪魔になったってことか? バカな……仲間だろ? そんなことで国家権力に殺されるのなら、おれたちだって、いつ殺されるかわからんぞ」

 空恐ろしいことを、桐野は言った。

 となりにいる峰岸の息づかいが、恐怖で乱れた。

「秘密、知っちゃいましたよね?」

「大丈夫。あいつらは、本当に知られて困ることは、絶対に見せたりしない」

「そ、そうですよね……」

「で、おまえはどうするつもりなんだ?」

 話の流れを変えるように、桐野は訊いた。

「利根麻衣という女性を《U》がさらっていったのだとしたら、おまえはそれを取り返すのか?」

 あたりまえのことを問われた。

「おまえの話じゃ、ヤツは悪人しか殺さないんだろ? なら、彼女が殺されることはないんじゃないか?」

「なにが言いたいんだ?」

「《U》は殺さない。が、どこかの組織からは狙われている」

 あえて桐野は、公安とは断定しなかった。

「そうですね……殺し屋といっしょにいるほうが安全かも……」

 遠慮がちに峰岸が口を挟んだ。馬鹿げている話だ、と世良は率直に思った。だが、声には出せなかった。ある意味、的を射ていることも事実なのだ。

「そもそも、なぜ《どこぞの組織》は、彼女を消そうと考えた?」

「どこぞの組織全体が動いているとはかぎらない」

 世良も、桐野の表現に合わせた。

「どういうことだ?」

「ある一部か……個人」

「わかった。一部か、不届きな少数としよう……では、そいつらの目的は?」

「それはわからない」

 世良は、虚勢をはることもなく、そう答えた。

「どこぞの組織は、本気で彼女の捜索をすると思うか?」

 今回の件を公安が仕切っている以上、ほかの部署が動くことはありえない。もし彼らが利根麻衣を見捨てると判断した場合、捜査はされない。最悪、進んで抹消する可能性もゼロではないのだ。

 いや──。

 世良の脳裏に、ある想像が浮かんだ。刑事部である桐野を巻き込むことを公安が許したのは、それが理由ではないのか?

 公安とて、警察機構の一員だ。たとえ、国益のために国民一人を犠牲にすると判断したとしても、それとは真逆、市民を守るという基本理念をもつ派閥があってもおかしくはない。

 同僚同士で殺し合ったということは、利根麻衣を消す、消さない──双方のグループが存在しているのではないか。

 彼女を助けたいと考えるグループによって、桐野に監視カメラの映像を見せる許可がおりた。つまりは、刑事部が動くことを了承したということではないのか。

「どうしたんだ?」

「こういうことを思いついた」

 世良は、その推理をみんなにぶつけた。

「……真偽はわからんが、こっちがそう解釈しても問題ないな。べつに直接、手を出すなと言われたわけじゃない」

 開き直ったように、桐野は声をあげた。

「これから、言われるかもしれませんよ」

 口にしたのは、長山だった。

「そんときは、そんときですよ。表立っては動かない。おれが個人的にやるぶんには、刑事部にも迷惑はかからんでしょう」

 今後の方針が決まった。

 世良と長山は、引き続き誘拐事件の捜査を。

 利根麻衣と《U》の行方については、桐野にまかせることにした。


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