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20.土曜日
思い出した。
おれは突如として、記憶の扉が開くのを意識した。
なぜ、思い出せなかったのか……。
理由はよくわかっている。関心がないからだ。ターゲットがだれなのか、依頼主がだれなのか、そんなことはどうでもいい。
最低限の情報さえわかれば。
標的が悪人で、ちゃんと依頼人が金を払えば、それでいい。
だから、思い出せなかった。
最近殺した男のなかに、知っている人間がいたのだ。かつての依頼人だった。依頼の内容までは覚えていない。やはり関心がないからだ。
いや……一人ではない。
そういえば……。
昨日殺した標的もまた、どこかで会っていなかったか?
そうだ。会っている。依頼人ではないが、知っている。とある仕事で見かけたのだ。
今回の二つの仕事は、ともに《店員》から、特別注文だと伝えられている。標的が──つまり、かつて会ったことのある二人が、悪人だということしか……。
あれは、何年前だったのか。
──わかった。あの男の眼を潰したときだ。
今回、虎ノ門で殺した人物の依頼で、左翼組織のリーダーを消したのだ。どんな活動をしていた組織なのかはよくわからない。ただ、別組織の人間をリンチで殺害したということしか。そのことで、あの眼を潰した《おおやけ》──世良を責めた記憶がある。
あのとき直接、顔を合わせたわけではない。川崎といったか。その川崎も、組織の人間だったことは知っている。ナンバー2か、3の地位にいたはずだ。川崎は、こちらの邪魔をするフリをしながら逆に協力をしていた。そんなものは必要なかったが、おれはあまんじて川崎の好きにさせていた。世良が思わぬ強敵だったから、川崎の協力は、それなりに役立ったのかもしれない。
感謝はしていないが……。
その川崎を、数年後、自分の手で殺したことになる。
なぜだ?
《店員》は、なぜ川崎を殺させた?
本当に、依頼があったのだろうか……。
依頼ではなく、《店員》の独断だとしたら……なにか大きな力が動いていることになる。
昨日殺した人間もまた、当時、川崎の近くで暗躍していた。川崎とどんな関係があるのかまではわからない。
深い闇が、このさきに広がっている……。
おれは、そう感じた。
これは激しい嵐の前触れなのだ。
* * *
麻衣は、ずっとホテルの部屋にいた。
外出は許されなかった。
朝、となりの部屋で休んでいた探偵の世良と助手の峰岸という男性が、ここを出ていったことを、ついさきほど部屋の前で見張っている刑事から告げられている。
心細かった。
いまは、一人ポツンとこの空間に馴染んでいる。このまま、ここの大気に溶け込んでしまうのではないかと不安に思う。そうなれば自分は、ソファやベッドとかわらないホテルの備品だ。
(なに考えてるんだろ……)
一人だからこそ、とりとめのない馬鹿げた想像が次々に浮かぶ。
麻衣は、窓の外を眺めた。
「そういえば……」
今朝の目覚めは悪かった。睡眠時間はたっぷりだったのに、なぜだか気持ちよく起きられなかった。
どうしてだろう?
ヘンな夢を見た。どんな夢かは思い出せない。悪夢というものではなかったような気がする。だが、不快なイメージが残っている。
たしか……田舎の風景が広がっていた。
いま眼に見えている都会の街並みが、麻衣の脳内で、幼いころよく行った祖母の家に変換されていた。
そのときの……実際にあった光景?
なにかを見ていた。
「わたしが……?」
まるで、小さいころに観たタイトルもわからない映画のストーリーを思い出すかのようだった。いつまでたっても、たどりつけそうにない。
〈トン、トン〉
と──、ノックの音が響いた。
昨夜のことがあるので、一瞬、身体がすくんだ。
扉に近づいて、問いかけた。
「はい?」
「また聴取をしたいのですが」
機械的な口調が返ってきた。これまでつきそっていた刑事ではなかった。扉には、ドアガードをかけてある。鍵はカード式で、高級ホテルらしく、強引には開けられない。
麻衣はドアガードをそのままに、扉を薄く開けた。
これまでに見たことのない顔が覗き込んできた。
「あの……」
麻衣は、それでわかるだろうと考えたのだが、一向にその男性は気づいてくれない。
「身分証を……」
そこで、全身に鳥肌が立った。
この男は、刑事ではない!
あわてて扉を閉めようとした。
が、男性に足先を入れられた。
「あ、あなたは……刑事さんですか!? 警察手帳を見せて!」
「これでいいですか?」
男性は、あっさりと手帳を開いた。麻衣は、扉を閉めようとする力をゆるめた。しかし、次に男性が取り出したものを眼にして、泣きだしそうになった。
ハサミのような大型工具。
麻衣は、反射的に扉から離れた。
奥へ逃げる。
カチャン──と、おもちゃのような音をたてて、ドアガードが粉砕された。
奥から振り返って、侵入してくる男の姿を、麻衣はなにもできず眺めていた。
男が、大型工具をわきへ投げ捨てた。その後ろでは、倒れている見張りの刑事が見えた。表情をうかがうかぎり、生きている様子はない。
「……な、なんなんですか!?」
やっと、それだけを口にできた。
男性は、幽鬼のように近づいてくる。革のような素材でできた黒い手袋をはめていた。
その二つの黒が、麻衣へ伸びた。
へたり込んでしまった。とてもではないが、立っていることなどできなかった。
左右の指が、首に巻きついた。
呼吸を遮断されて、苦しく……いや、とても心地よく……。
〈バンッ!〉
大きな音で、楽園の誘いから醒めていた。




