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遠い声  作者: てんの翔
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       19.18日朝


 陽が昇ると、世良はホテルの部屋を出る選択をした。

 いつまでも、ここに閉じ籠もっているわけにもいかない。公安も昨日の襲撃で、《U》の潜入力と攻撃力を再認識したはずだ。警護や見張りの人員も増やしているだろう。

 マンションで襲われた公安部員は、いずれも死亡していない。重傷にとどまった。いや、とどめてくれたと表現するべきか。

《U》は、無益な殺生を好まない。ターゲットのみを──もしくは、仕事を見た人間のみを殺害する。その場合でも、自らが悪人と認めた者しか手にかけない。

 これまでのことを総合すると、《U》が利根麻衣を殺害する可能性は、限りなく低い。それとは逆に、世良を殺害する可能性が格段に上がった。そのことを世良自身も、よく理解している。

 昨日のヤツとの会話で、世良の特殊能力が、むこうに伝わった。

 眼を潰しても、耳があるということを思い知ったはずだ。ならば次に潰すとしたら、命以外にはない。

 利根麻衣は、公安に任せて大丈夫だろう。むしろ、彼女といっしょにいないほうがいい──世良は、そう考えていた。

 午前十時、世良は事務所で長山と待ち合わせた。峰岸も同行している。時間どおりに長山もやって来た。

 昨夜の状況を、まず長山に説明した。

「そんなことが……」

 ひと通り聞きおわると、長山は驚きを隠しきれないようだった。

「本庁ではどうか知りませんが、所轄レベルには、そんな話はまわってない」

 それはそうだろう、と思う。主導が公安では、情報を他部署に流すことを積極的におこなうわけがない。しかも、失態を演じた情報を流すことは。

「昨日の女の子は、無事なんですね?」

「ええ。ヤツは、本気ではありませんでした」

「どういうことですか?」

「おそらく、おれと彼女が同じワゴン車に乗っていたところを見ていたのでしょう」

「それで、さぐりを入れにきた、と?」

「はい」

 長山のため息が聞こえた。

「これから、どうなると考えていますか?」

「彼女への危険が減って、おれへの危険が増えた、というところでしょうか」

「それは?」

「彼女の眼を奪っても、おれの耳がある。元警察官だった自分のほうが、邪魔だと考えるはずです」

「そうですね……」

「すくなくても彼女よりもさきに、おれをどうにかしようとするでしょう」

「大丈夫ですか?」

「なんとかしますよ」

 世良は、楽観的な口調で言った。《U》に勝つ自信があるわけではなかった。眼の見えない自分では、勝負にならないことは承知している。

 それでも、心に踊るものがあった。自身でも軽い驚きをおぼえていた。

「もしかして、楽しんでます?」

 言い当てられて、世良は苦笑いを浮かべた。

「長山さんのほうでは、なにかわかったことはありますか?」

 堤が、《U》によって殺害されたのは確かだ。川崎も殺害されている。それについては断定できないが、公安はそうだと考えているようだ。

 川崎と堤が誘拐事件に関係しているという証拠は、なに一つない。しかし彼ら二人が《U》によって殺害されたとするならば、その理由はなんなのだろう?

 もし川崎たちが誘拐事件に関与しているとしたら、《U》もまたそれに関係しているのではないか……。

《U》は、だれから依頼を受けたのだ?

「こっちの進展はないです。川崎と堤という男と、水谷健三とのあいだの接点は、みつかりません」

 川崎と誘拐事件は関係ないのだろうか?

 世良には、そう思えなかった。

 誘拐事件の調査で《U》の仕事にぶつかったことは、偶然で片づけるには突飛すぎる出来事だ。

 川崎は左翼組織を抜けたあと、それまでと180度方向のちがうIT企業を立ち上げている。堤も、それに協力していた。

 そこから導き出される答えとは、なんだ?

「……」

「どうしました? 世良さん?」

「川崎は、《赤》じゃなかった」

「え?」

 唐突と口にしたので、長山はなんのことなのかわからなかったようだ。

「あのころ、川崎はバリバリの闘士でした。まさしく時代遅れの」

 川崎のことを知らない長山は、なんと返していいのか言葉がみつからないようだった。

「それが演技だったとしたら……」

「なんのために?」

「リーダーを殺害したかった」

「リーダー? 当時《U》に殺害された左翼グループのリーダーということですか?」

「そうです。リーダーの殺害を依頼したのは、川崎だった」

 そしてそのあと、敵討ちをすると興奮して、世良とともに《U》を追ったのは、ヤツの口を封じるためだった。

「川崎は、おれを利用したのかもしれません。おれが殺し屋を葬れば、それでよし。おれが殺されたとしても、川崎には痛くも痒くもない。なぜなら、川崎は組織の人間ではないから……」

 そこで世良は、さらにあることへ思い至った。

 川崎は、おれの正体も見抜いていた──。

「どうしました? 世良さん!?」

「あ、いえ……」

 動揺が表情に出ていたようだ。

 川崎の背後をあらためて知る必要があるのかもしれない。

 そもそも、組織のリーダーが殺された──《U》に狙われた原因もわかっていない。当時は、そこまで深く考えることはなかった。

 ヤツに殺害されたリーダーのことも、振り返るべきなのかもしれない。

 名前は、なんといったか……。

「長山さん。山本義彦という男について調べてもらえませんか?」

 言ってから、考えをあらためた。

 これ以上、誘拐事件に関係しているかわからない案件に、長山を巻き込むわけにはいかない。

「いえ、いまのは忘れてください」

「どうしたんですか?」

「山本義彦というのは、九年前、《U》に殺害された左翼組織のリーダーです」

「世良さんが関わった、アレですね?」

 世良は、うなずいた。

「世良さんから調べろと言われれば、調べますよ」

「ほかにあてがあります」

「あて?」

「はい。おそらく山本義彦と川崎について、おれよりもよく知っているはずです」

「まさか……」

「たぶん、そのまさかです」



 二時間後。世良は、雑踏のなかに溶け込んでいた。

 時刻は、正午に近い。日差しの熱が、身体に降りかかっていた。

 新宿。指定された場所は、東京都庁舎にほど近い歩道橋の根元だった。

 登ってはいない。階段わきの壁に寄り掛かっている。ここまでは峰岸につれてきてもらい、到着すると峰岸を帰らせた。

 一人で、という条件があったからだ。

 あれから世良は、利根麻衣につきそっている公安部員に連絡をとった。ある人物につないでもらうためだった。

 その男は当時、坂本と名乗っていた。

 本名でないことは知っている。

 公安一課に所属し、世良も彼からの指示をあおいでいたことがある。いまでは出世して、はたしてどこの部署に所属しているのか……。

 公安というセクションは、配属された者にとって、二つの側面をもっている。出世のステップという面と、生き方そのものになってしまう面──。

 キャリアのみならず、叩き上げにとっても出世が早く、そういう意味では歓迎する警察官は多い。だが、「生き方」を強要される危険性もはらんでいる。

 公安の性質上、対象組織の人間を取り込んだり、潜入し、深く入り込むこともある。任務によっては、後戻りできなくなることも。

 そうなれば、もう公安一筋で生きていくしかなくなる。ある者は家族をもつこともできなくなり、一生を孤独のなかですごさなければならない。家族をもてたとしても、それは任務のためであり、伴侶や子供たちを偽りつづけるのだ。

 そこまでディープに染まらなかったとしよう。一般の警察官と同じように家族をもてたとする。その場合でも、どういう仕事をしているのかは秘密にしなければならない。

 ある者は、本名を捨て、つねに偽名で活動しなければならない……死亡しても、本当の名にもどれないこともある。

 定年を迎え、警察官でなくなったときも、完全なる一般人には返れない。そういう生き方だ。

 世良の待ち合わせている男は、そんなたぐいの人間だった。

 足音がした。むろん雑踏のなかだから、幾人もの足音がリズムを無造作に刻んでいる。

 その足音は、意識をもっていた。

 こちらに存在を知らせるために──。

「坂本さん?」

 世良のほうから声をかけた。

「情報どおりだな」

 男の声が応えた。

「聴力は、人の域を超えている」

「いまの名前は?」

「坂本でいい」

 男の声は、限りなく透明で、色がない。

 きれいな声、という意味ではなかった。

 とりとめがなく、聞き分けづらい。特徴のない声だった。

「なにが知りたい?」

「山本義彦について」

「どんなことを?」

「あのとき、どんな裏があったのか……」

「もう公安の人間でもないあなたがそれを知って、どうする?」

「《U》が現れた」

「知ってるさ」

「あのとき組織にいた川崎という男は、おれと同じか?」

「同じではない。彼は警察官ではないのだからな」

 否定しているようで、男──坂本は、それを認めた。

「協力者か?」

「《S》は二人いた」

「おれと川崎」

「……」

 坂本は、沈黙をつくった。

「おれは、公安一課の正式な任務だった。川崎は、だれの指示で動いていたんだ?」

 やはり坂本は、言葉を継がない。

「だれなんだ!?」

「さあ、だれだったかな」

 あきらかに知っているのに、坂本はとぼけた。

「その人物の目的は?」

「どうだろうね」

 この男が、それを語ることはなさそうだ。

 ならば、こちらで推察するしかない。

「山本義彦を殺害したかったんだな? なぜだ!?」

「複雑なんだよ。血筋の問題さ」

「どういうことだ?」

「もちろん、山本義彦の血じゃない。もっと上の……あなたからすれば、雲の上の方々たちの──おっと、しゃべりすぎたな。これ以上は、一切のことにはふれない」

 坂本の声には、断固とした意思がこもっていた。追求は、ここまでのようだ。

 血筋……。

 上の……

 権力者の何者かが関係している。

 その人物の意向によって、山本は殺害された。

 ──そんなところだろうか。

「では、これで失礼するよ」

「川崎が殺されたのも、同じ理由なのか?」

 去ろうとする坂本に、世良は問いを投げかけた。

「川崎だけじゃない。堤という男も」

「やったのは、あなたの眼を潰した殺し屋だろう?」

「ヤツに依頼したのは、その権力者か?」

「私は権力者などと、一言も口にしていない」

 坂本の足音が遠ざかっていく。

 これまでの彼の言い回しを考慮すれば、それは肯定と受け止められる。

 ……どうやら、この闇は深い。


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