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18.金曜日午後9時
「派手にやらかしたもんだな」
あきれたように《店員》が言った。
「ここも、すぐに店じまいだ」
「また、べつの街に移動するだけだろ」
夜のレンタル店。週末だけに、客はそこそこ入っている。
いつものように、人のいないコーナーに立ち寄っていた。
「しかも、ターゲットを殺しそこねた」
おれの言うことを無視して、《店員》は愚痴を続ける。
「殺しそこねてはいない。ちゃんと、仕留めた」
「そっちの話じゃない。目撃者のほうだ」
「最初から、殺すつもりはないさ」
「なに?」
棚の整理をしながらだが、《店員》の眼光に殺気がこもった。
「おれは、悪人しか殺さない」
「まさか、目撃者をそのままにするつもりじゃないだろうな!? 一度だけじゃない。二度も居合わせたんだぞ」
「墓での殺しは、顔を見られたわけじゃない」
「だが、声は聞かれた」
「おれの声を知っている人間は、ほかにもいるんだ。いまさら気にすべきことじゃない」
「……? だれだ? ほかにだれがいる!?」
「あのときの《おおやけ》さ」
「公安? おまえが眼を潰した……」
「そうだ」
「聞かれたといっても、もう九年になるだろう? 覚えてはいまい……たとえ覚えられていたとしても、声音を変えれば、追跡されることもないだろう」
「いや。あの男は、覚えていた」
「なんだと!? そいつに会ったのか!?」
「ああ。目撃者といっしょにいたよ」
「おい!」
《店員》が、店員であることを忘れていた。
棚整理を中断し、おれへと顔を向ける。
「声音を変えても、おれだということを見破られた。おれが眼を潰したことで、あの男の才能が開花したようだ」
「なにを嬉しそうにしている!?」
おれの顔に、笑みは浮いていない。《店員》の言う意味がわからなかった。
「嬉しそう?」
「ああ、おまえは喜んでいる。おまえには、好敵手は存在しない。だから、おまえはいつでも空虚だ。絶対的な強者にとって、戦いは退屈なものでしかないからな」
「……」
「おまえは、自分の存在すらおびやかすほどの敵を欲している……危険なことだ」
そこまで口にして冷静さを取り戻したのか、《店員》は職務にもどった。
「あのときの公安と、女子大生……その二人を、なんとしても消せ」
「ムリだな。悪人でない人間は殺せない」
「そのセリフは何度も耳にした。この国で仕事を続けたければ、そうするんだ!」
「それよりも、あの《おおやけ》のことを調べてくれないか?」
「ある程度のことは、調べてある。おまえとの接触者だからな。現在は、秋葉原で探偵事務所をひらいている」
「視力がないのに?」
「おまえの話を聞いて予想するに……音や声からさがすんじゃないか? 名前は、世良。世良王海」
「……なるほど。《おおやけ》との関係は? 現在でも、つながっているのか?」
「そこまでは調べていない。調べていないが……眼の見えない人間に頼るほど、公安だって困っちゃいないだろう。それと、ウィークポイントになるかわからんが……恋人がいる。ナレーションや洋画の吹き替えをやっている声優だ。まあ、おまえは弱点などつかないだろうが」
「探偵として、なにかしらの依頼を受けているとしたら、今回の件にどう関わっているのか……それを知りたい」
「わかった。調べておく」
* * *
あれから、すぐに移動させられた。
非常口からマンションを出て、そこで待っていた黒塗りの車に押し込まれた。眼の見えない探偵と、その助手らしき人もいっしょに。
麻衣にとって、緊張の時間が続いた。
車で走ること、三十分。閑静な場所からは遠ざかり、大都会の中心へ。新宿にあるホテルへたどりついたときには、七時半をまわっていた。十階に部屋をとっていたようだ。部屋に入ってさらに一時間半が過ぎ、ようやく緊張が薄れたところだった。
「……ここなら、安全なんでしょうか?」
いまの現状を把握しようとする余裕が生まれた。
ホテルの部屋は広く、麻衣はこれまでの人生で、これほどの高級ホテルに泊まった経験はない。
「安心してください。今度こそ、尾行はされていません」
マンションにもずっといた刑事が言った。
正直、この刑事のことは、あまり信用していなかった。無意識のうちに、探偵に視線を向けていた。むこうからは見えないはずなのに、彼は安心させるようにうなずいていた。
見えてるみたい……そう思わずにはいられなかった。
マンションでの犯人との会話などから、彼はおそろしく耳がいいということは推測できる。視力のない者のなかには、その他の四感が異常に発達するケースがあるというのを聞いたことがある。
彼も、それにあたるのだろう。
わずかな音や気配から、いろいろなものを察知できるのだ。
「探偵さんは、警察から依頼を受けているんですか?」
素朴な質問を麻衣はぶつけた。
「そういうことになるね。でも普通、探偵が警察に雇われるということはないよ。映画やドラマでは、よくあるかもしれないけどね」
そう言って、探偵は笑った。
麻衣は、自身の緊張が解けていくのがわかった。
「今回の事件に関係した依頼なんですか?」
今日の事件が起こってから雇われたということはないだろう。事前に、なにかしらの依頼を受けていたと考えるのが自然だ。
「ある誘拐事件のことでね」
探偵は、そんな曖昧な答え方をした。守秘義務もあるだろうから、詳しくは口にできないのだ。
「直接、今回のことと関係があるかどうかはわからないんだ」
「そうなんですか……」
「とても、澄んだ声をしているね」
突然、そんなことを言われたから、麻衣はどう反応していいのか困惑した。
「そ、そうですか?」
そんな褒められ方をすることは、ほとんどない。もし褒められるのだとしても、容姿にたいしてのことが多い。
眼が見えないからこそ、声や音だけで、いろいろなものを想像しているのだろう。
「レモン色をベースに、淡い紫がかかっているようだ」
「は、はあ……」
「王海さんの表現は独特だから。困ってますよ、彼女」
助手の人が、言葉を挟んだ。そこで一時、会話が途切れた。
麻衣は、ふと外の夜景に眼がいった。
十階からの眺めは素晴らしく、上京してから、ここまで本格的な都会の夜は、はじめてだった。
「すごい……」
「夜景?」
「そうです……あ、ごめんなさい」
思わず謝っていた。彼には見えない……。
「いいんだ。きみの声で、どれほど美しいのかわかる」
「むかしは、見えてたんですよね……?」
これまでの会話から、殺し屋に眼を潰されたということが判明している。
「ああ。九年前まではね」
すると、九年間でいまのように──まるで見えているかのような振る舞いを身につけたということなのか。耳のほうも、もともとよかったのだろうか? それとも、眼が見えなくなったことで、研ぎ澄まされたのだろうか?
たずねてみたかったが、失礼なような気がして、ためらわれた。
夜は更けてゆき、探偵と助手、そして刑事は、となりの部屋へ移動していった。正確には、刑事だけはドアの前で見張りにつくそうだ。
麻衣はベッドに入ると、すぐ眠りに落ちていった……。
* * *
これは、見たことのある光景だと思った。
いつだったか……。
記憶はさだまらない。
新緑の生い茂る山のなか。そう、おばあちゃん家のある場所だ。
虫の声がにぎやかで、むせかえるような緑の匂い。
麻衣の家は、茨城とはいえ街中にある。東京とくらべればド田舎だが、自然はそれほどあるわけではない。
おばあちゃん家に来るたび、周囲を冒険したものだ。
いつのゴールデンウィークだったのか……小学校に上がっていたのか、それとも幼稚園のころだったろうか……。
その日は、山がちがった。
どうちがうのかまでは説明できない。しかし子供心に、なにか不吉なことを連想していた。
あれを眼にしたからだ……。
かなり奥へ足をのばした。
おばあちゃんからは、よく熊が出るから遠くへ行ってはいけないよ、と注意されていた。麻衣は、嘘だと思っていた。熊に会ったことはなかったし、熊は動物園にしかいないものだと信じていたからだ。
いまにして思えば、なんて怖いことをしていたのだろう。
だが、おばあちゃん家は、山の斜面から見下ろせば、すぐにみつかる。迷う心配もなかったし、当時は、いまほど熊の生息地は人里から近くなかった。
だから山に入ることは、小さな子供でも特別なことではなかったのだ。
物音を耳にしたとき、熊なのかと心臓が踊った。
ガサガサ。
新緑が揺れていた。
麻衣は身を隠しながら、音の方向を覗いた。
人間だった。
なにかをしていた。
そこまでしか思い出せない。
人間は、一人だったのか、二人だったのか……それすらもわからない。
男だったのか、女だったのか……。
いったい、なにをしていたのか?
そのとき、その人物と眼が合った。
どんな瞳だったのか……なぜだか、麻衣にはわからない。
そして、いまもその人物は、こちらを睨んでいた。
麻衣は、これが夢だということを、かなりまえから気づいていた。
何者かもわからない人物から、ずっと睨まれている。その光景が、永遠のように続いている。
そういう夢だ。
これまでにも、見たことがある夢。
いや、これが初めてだったかもしれない。
それとも、毎日のように見ている夢なのか……。
* * *
目撃者の女子大生以外にも、《店員》に秘密にしていることがある……。
あの眼を潰した《おおやけ》──世良という男が、おれを追うきっかけとなった仕事。ターゲットの詳細は忘れたが、その殺害時、ある女に見られた。
ターゲットといっしょの部屋にいたから、おれは恋人だと考えた。悪人の恋人だから、女も悪だときめつけた。が、その女の顔は、悪に染まっているようには感じなかった。
それでも殺すつもりだった。見られたら殺す──それが、この業界の常識だ。
だが、どういうわけか殺すことをためらった。
きっと、ただの気まぐれだ。思えば、それまでも悪人しか殺さないという信念はもっていたが、顔を見られた人間を見逃すほど、おれは甘くなかった。
そのやり方が、あのとき変わった。
あの世良の命を取らなかったのも、その女を殺さなかったことが要因としてあるはずだ。
瞳を潰すこともなく、女を見逃した。
だれにも言うなと脅しはかけておいたが、どれほどの効力があるのか……。
その後、あの女がどうしているのかはわからない。
もう二度と会うことはないだろうが、もし再び眼の前に現れたら、次こそは殺すことになるだろう。
そんな日が来ないことを祈る……。




