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17.17日午後6時
銃声が聞こえた。
「どうしました、王海さん?」
峰岸には応えず、耳に集中した。
利根麻衣はもちろんのこと、公安部の男もそれに気づいた様子はない。おそらく、外からの音は遮断されている。常人レベルで聞き取ることは難しいだろう。音響の専門家である峰岸にも届かなかったのだから。
「ここの見張りは何人ですか?」
世良は、公安の男に問いかけた。
「心配しなくても大丈夫だ。表に一人を置いて、二階からも正面を監視している」
「裏手は?」
「そっちも万全だ。一部屋だけ侵入しやすくしてあるが、それは罠だ。その部屋へ入ったら、警報装置が作動する」
「その部屋には、だれか待機してるんですか?」
「いや。ただしカメラがあるので、監視チームが急行できるようになっている」
ということは、その部屋に何者かが侵入し、監視チームとやらが発砲したのだろうか?
「警報装置が作動したら、たとえば、ここにも伝わるのですか?」
「もちろんだ。われわれが使用している部屋になら伝わる。インターホンから、アラームが鳴るはずだ」
ならば、ちがう。
罠にかかったわけではない。
もし《U》が襲撃するとすれば、どこから乗り込んでくるだろうか……。ヤツほどの男なら、わざと侵入しやすくしてある場所に罠がはってあることなど、簡単に見抜いてしまうだろう。
世良は、すぐに答えを導き出した。
正面だ。正面から堂々と近づく。顔を隠す手段などいくらでもある。マスクをする、サングラスをかける。《U》だったら、相手と向き合うことなく倒すこともできるはずだ。監視カメラに映ったとしても、うつむくなどすれば、本人特定は困難になる。
《U》は、恐れることなく正面から近づいてくる。
当然、監視役の人間に止められるだろう。
一瞬のうちに監視役が倒されたとしよう。
二階からも見張っているから、応援が駆けつける。相手が伝説に近い殺し屋なのだから、一人では行かない。二人。
銃を撃ったのは、《U》か?
ちがう。ヤツは、ターゲットをやるのに音はたてない。それに銃器などに頼らなくても、ヤツなら殺せる。
撃ったのは、公安のほうだ。
発砲音に混じって……正確には直後、ガラスの割れる音もしたような気がする。さすがに、それには自信がなかった。あまりにも小さすぎるからだ。
そうだと仮定して、マンション内から外にいる《U》を撃った。
その弾は、当たったのか?
当たっていれば、いまごろ《U》の人相は確認されている。死んでいなければ、逮捕ということになるだろう。
(それはない……)
射殺、もしくは怪我を負わせたとすれば、すでにここにも連絡がきているはずだ。世良の耳には入らなくても、公安の仲間には伝えられる。だが、彼の携帯は音をたてていない。通話はもちろんのこと、メールのたぐいもない。
では──、当たらなかった。
しかし、発砲音は一度だけ。
はずしたあとに、やられた。
連絡がない……ということは、監視チームの全員が《U》確保に向かってしまった。もし一人でも残っていれば、迫り来る危機をだれかしらが警告してくるはずだ。
銃声がしてから、もうじき五分あまりが経とうとしていた。
いま、ヤツはどこにいるのか?
おのずと答えが出てくる。
すぐそこに──。
「麻衣さん、奥のほうへ行ってください」
「え?」
彼女の困惑の声は、無視をした。
「峰岸君も」
「王海さん?」
「いいから」
そのとき、ドン、ドンと扉から音がした。ノックというようなものではない。苦しまぎれに戸を叩いたような。
「ん!?」
公安の男が、立ち上がる気配。
次いで、インターホンが鳴った。玄関まで行かなくても、リビングで応対できるように設置されているらしい。
「どうした!?」
『や、やられた……みんな……逃げろ!』
受話器のようなものを取ったようだが、相手からの声はみんなに聞こえていた。
「なんだと!?」
『すぐに、ヤツが来る! いま一階で足止めしてるが、時間がない! は、はやく!』
「おい、逃げるぞ!」
公安の男が、室内にいる全員に言った。
「エレベーターホールとは逆側に、非常階段がある! 外からはわからないように設計されているから、ヤツに気づかれることはない」
峰岸と利根麻衣の足音が響く。
「動いてはだめだ」
世良は、彼女らの動きを止めた。
「なにしてるんだ、世良!?」
「いまの声は、ヤツだ」
公安の男が凍りついたのがわかった。
「すぐに応援を呼んでください」
世良の意見にも、すぐには反応できないようだった。
「どういうことなんだ!?」
「監視チームは、すべて倒されてます」
「それは……全員殺された、ということか!?」
「悪人でないのなら、命はあると思います」
世良の遠回しな言い方に苛立ったのか、それとも危険に直面したからなのか、公安の男から舌打ちのような音がもれた。
「どうすればいい!?」
「応援を呼んでください。ドアにも近寄らないで。拳銃を奪っているかもしれない」
「ここのドアは、うちの使っている口径じゃ貫通はしない」
「しかし、大口径の銃を持ち込んでいるかもしれない」
「《U》は、銃を好まないと、資料にはあった」
「いままでがそうだっただけかもしれない」
「世良……正直なところ、どうなんだ!? あんたは、ヤツを一番よく知っている……すくなくとも、生存している人間では」
公安は、すがるような声で言った。
「ヤツは、これからどんな手に出る!? いまなにをしている!?」
「扉の前で待っている。おれたちが出ていくのを」
「ヤツほどの人間なら、ピッキングの技術にもたけているかもしれない……なかに入ってくることはないのか!?」
「鍵穴に、なにかを差し込んでいる音はしていない。ただ待っているはずだ」
来客者を映すモニターがあれば、ヤツが本当に扉のすぐ外にいるのか、どんな顔なのかを見極められるだろう。峰岸から、ここのインターホンの仕様を聞かされてはいないが、これまでの様子や言動からは、モニター機能はないようだ。
外を覗けるレンズはあるのだろうが、扉に不用意に近づくのは自殺行為。公安の苛立ちも理解できる最悪の状況だった。
「そうだったな……ここの鍵は最新式のものだ……ピッキングはできない……」
なんとか、そのことを思い出せたようだ。
「な、なあ……裏から登ってくることはないか!?」
監視チームがいないのではあれば、どんなに裏手をカメラで防御していても無意味になる。顔さえ隠せばいいのだから。
「とにかく、応援を呼んでください」
「あ、ああ……」
そこでようやく、公安は携帯を操作したようだ。
手短に状況を説明して、通話は切られた。そして思い出したように、監視チームへ連絡をとったようだ。
「ダメだ、やはり出ない……」
「王海さん、裏にはだれもいませんよ」
峰岸が外の様子を見てくれたようだ。
たぶんヤツなら待ちつづけるだろうと、世良はふんでいた。
裏から急襲するような卑怯な作戦は使わない。なぜだかわかる。ヤツはいまでも、ドアの外でジッと息をひそめている。
世良の命を取らず、瞳を潰したのは、ヤツなりのルールがあってのことだ。ヤツは、ルールを重んじる。ドアをノックし、インターホンを使ったのは、一種の宣戦布告のようなものだ。
すぐにこの場所をさがしあてられたということは、おそらくヤツは、現場を離れていなかった。利根麻衣の聴取にも、ヤツは外から眺めていた。それはつまり、世良の存在にも気がついている可能性が高い。
ヤツは、わざと声を聞かせた。
世良は、立ち上がった。
「王海さん?」
インターホンの受話器に手を伸ばす。これまでの、公安の男の行動から、おおよその位置は推測できた。
「どうするつもりだ!?」
世良は、話しかけた。
「《U》だな?」
応答はない。
「そこにいるな?」
やはり、ない。
「おれがだれだか、わかるな?」
『……まだ、《おおやけ》なのか?』
声がした。さきほどの演技をしていたものとは異質だ。黒い。しかしそのなかに、どこか明るい光のような色も混じっている。
「ちがうさ。いまは探偵をやってる」
『おれの声がわかったのか?』
「もちろんだ。忘れるはずがない。その声だけをさがしていた。ずっと、ずっと……」
知らずに、感情がこもっていた。
「今日の殺しの現場でも、声を出したな?」
『聞いていたのか?』
「喫茶店のなかからな」
『……どうやらおれは、モンスターをつくっちまったようだな』
「彼女は殺させない」
『おれは、悪人しか殺さない』
「また眼を潰すのか?」
沈黙がはしった。
「彼女から手を引け」
『それはできない』
「もうすぐ、応援が駆けつける」
『わかってるさ、そんなこと』
「ぐずぐずしていていいのか?」
『おれは捕まらない』
「日本の警察をあまくみるなよ」
『みるさ。もし、おれを捕まえることができる警察官がいたとすれば、それはあんただけだ』
世良のほうが沈黙する番だった。
遠くのほうからサイレンの音が響いた。世良の耳だから、とらえることができる。外にいる人間になら、常人並の聴力でも聞こえるはずだ。
世良は、受話器を置いた。
「王海さん? 殺し屋は?」
「消えた」
室内に、安堵の空気が流れた。




