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遠い声  作者: てんの翔
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       16.金曜日午後6時


 出入口に見張りが一人。二階の部屋の窓からも監視している。

 おれは、とあるマンションをうかがっていた。べつに隠れているわけではない。だれも、こちらの存在には気づかない。防犯カメラの位置にだけ注意をはらえばいい。

 マンションの玄関口に立っている男は、耳に携帯電話をあて、いかにも一般人をよそおっているが、そうではない。通話はしていないはずだ。家族を気にして、電話をかけるために部屋から出てきた人間に化けているのだ。

《おおやけ》。おそらく、ここの何部屋かを彼らが所有している。こういうときに使用するためのものだ。

 すでに女がいる部屋の特定も済んでいた。予想がはずれていなければ、あのときの潜入も、いっしょにいる。

 いまは《おおやけ》では……警察官ではないだろう。さすがに盲目では、警官は勤まらない。しかし、こうしてここにいるということは、なにかしらの関係は続いているとみるのが妥当だ。

 おれは、運命を感じていた。

 自分が両眼を潰した男。

 悪人ではないために、命は取らなかった。

 後悔はしていないが、おれは、えも言われぬ不安を抱いていた。彼が最大の敵として、自分の前に立ちはだかるのではないか……。

(考えすぎだ)

 殺しておけばよかった、とは思いたくない。

 殺し屋としての、唯一の誇りだ。

 おれにとっては、殺しの技術も殺害人数も、それは自慢できることではない。所詮は殺しだ。人間として残された、たった一つの尊いもの──それが、悪人しか殺さない、というポリシーなのだ。

 おれは、マンションの裏手に回った。

 植え込みが、一階住人のプライバシーを守る役割を果たしている。なんの植物なのかは、おれにはわからなかった。人の身長ほどの植え込みに、身体を這わせた。

 やはり、裏手にも監視の眼はあった。

 二階のベランダに人が出ている。あれも《おおやけ》だ。

 女がいるのは、三階。

 マンションは五階建てで、一階から這い上がるのも、屋上から下りるのも、そう簡単ではない。普通のマンションに忍び込むのであれば、容易であろう。が、ここは公安職員の巣窟なのだ。

 ベランダを伝い、上がっていく、もしくは下がっていくとしたら、必ず監視者の眼に留まる。

 雑踏のなかで擬態するのはおれの得意技だが、さすがにこの状況では難しい。何気ない日常の動作ではない。マンションの壁を這うという行為は、非日常以外のなにものでもないのだ。

 ただし、一階のベランダからその部屋に侵入するのであれば、難しくはない。

 おれは植え込みを越え、建物に近づいた。ちょうど、監視の眼が届かない死角ができていた。

(ちがう……)

 おれは、植え込みの外へ逃げた。

 死角は、罠だ。

 わざと隙をあたえて、そこからカメラにおさめようとしている。

 忍び込もうとしたベランダに仕掛けられている監視カメラをみつけた。どうやらその部屋も、《おおやけ》の持ち物らしい。

 では、どうするか?

 裏手は、彼らが掌握している。ほかに隙はない。

 入り口には一人が立っていて、二階からも見張りの眼がある。

 裏も表も、彼らにとってみれば、万全だ。

 姿を悟られずに侵入することは不可能。

 ならば、姿をさらすしかない。

 おれは、黒い衣装に身を包んでいた。

 それを脱ぐ。

 なかには、ごく普通の私服を着込んでいる。キャップも用意していた。それをまぶかにかぶり、マンションの表へまわった。白いTシャツに紺のデニム。どこにでもいる格好。どこにでも存在している人間に──。

 携帯を耳にあてた《おおやけ》が、いまだ玄関前に立っていた。近づいても、しかし《おおやけ》は気づかない。

 十メートル、五メートル……。

 ようやく、《おおやけ》の表情が動いた。

 携帯を耳から離し、おれに歩み寄ってくる。

《おおやけ》は、おれの顔を確認するように覗き込んだ。だが、まぶかにかぶっているから、そう簡単にはいかない。

 おれは《おおやけ》を通りすぎ、エントランスへ向かった。

 彼が追ってくる。

「ちょっと!」

 おれは、声をかけられた。

 振り返らない。歩みも止めない。

「待て!」

《おおやけ》が、肩に手をかけた。

 その瞬間だった。

 おれは、振り向きざまに肘を叩きつけた。

 顎を打たれて、彼の意識は飛んでいた。

 かまわずに、エントランスへ。

 しかし、そのさきはオートロックのために進めない。

 それでいい。計算どおりだ。

 いまの顛末を二階から監視していたであろう《おおやけ》二人が、慌てたように駆けつけた。

 それぞれの手には、自動式拳銃。

 おれは、拳銃をかまえるフリをした。むろん、その手にはなにもない。

 だが彼らには、それだけで充分だった。

 驚きに眼を見張って、一人が銃口をおれに向けていた。

 おれは、かまえを解かない。

 通常の刑事ならば、銃をかまえている犯人であれ、少しは発砲をためらったはずだ。

 が、彼らにそんなしがらみはない。

 発砲に慣れているということではない。犯罪捜査に従事することのない彼らにとって、犯人と対峙するという場面は多くない。

 とはいえ、活動が表に出ることのない公安なればこそ、一般の警察官のように処分を気にする必要がない。

 一人が、引き金を絞った。

 銃声と同時に、ガラス扉が貫通する。

 おれは倒れた。

 仕留めた手応えを感じたのか、二人が外へ出ようとする。

 自動開閉のドアが開いた。

 その刹那、おれは立ち上がっていた。

 二人の唖然とした顔が凍りついていた。

 迅速な動きで、おれはエントランスのなかに入った。再び二人は銃口を向けようとするが、おれはそれを許さなかった。

 一人を首筋への打撃で昏倒。

 二人目が、顎。

 表の一人を合わせて、警察官三人が嘘のように気を失っている。

 撃たれたように偽装することで、彼らは絶対に生死を確認しに、ドアを開けることになる。その一瞬を見逃さなかった。

 だれにも顔を見られていない確信があった。

 防犯カメラにも映っていない。映っていたとしても、けっして判別できない角度にとどめている。

 それができなければ、ここまで生きてはこられなかった。

 おれは、階段で三階をめざした。

 上から降りてくる気配はなかった。一気に駆け上がる。下から追ってくる気配もない。

 おれは、女が匿われていると目星をつけてあった部屋の前で立ち止まった。各部屋のなかにいる人間がだれも出てこないところをみると、このマンションの部屋には防音設備が整っているようだ。

 銃声も届いていなかったのだろう。

 おれはドアの鍵穴に、細いピンを差し込もうとした。すぐにあきらめた。最新式の鍵だということに気がついたのだ。簡単にピッキングできるような代物ではない。

 ならば、どうするか?

 なかの人間に開けさせるしかない。


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