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遠い声  作者: てんの翔
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14

       14.金曜日午前10時


 混乱、混乱……恐怖。

 鳥肌がおさまらず、震えも止まらない。

 鼓動が、風のように速い。

 自分の心と身体機能をコントロールできないままに、麻衣はワゴン車のなかにつれていかれた。

 後部の座席は三列になっていて、その真ん中の列の奥に座らされた。座席は、それぞれが回転できるようになっているようだ。前列の三席が麻衣と向かい合うように回された。

 車内に三人が入ってきた。前列の席に座っていく。

 いずれも男性で、奥が五十歳ぐらい、真ん中が三十代、扉側が二十代だと思われた。麻衣をつれてきた刑事がすぐ横にいて、後列にも一人乗っている。麻衣は、五人の男たちに囲まれていることになる。吐き気に襲われそうだ。

 全員が刑事だろうか? だが、ドラマに出てくるような刑事は、前列の奥にいる五十代の男性だけだった。

「はじめまして、世良といいます」

 真ん中に座る男性が言った。

 眼を閉じている。いや、開かれた。

 麻衣は、違和感をおぼえた。視線が、どこかズレているような……。

「名前は?」

「利根麻衣。十九歳です」

 答えたのは、となりの刑事だった。

「麻衣さん、あなたが殺害現場を目撃したことにまちがいはないですか?」

 さきほどから、しきりに刑事たちが不可解なことを訊く。

 目撃もなにも、あんな白昼、大勢が見ているまえでおこなわれたのだから、自分だけでなく、目撃者は大勢いるだろう。

「見ました」

「どんな男だったんですか?」

「鈴木さん」

「鈴木さん?」

「アパートに住んでいる人。203号室」

 それを耳にしたからなのか、となりの刑事が、後部座席の刑事に目配せのような仕種をした。すぐに背後で動く気配がした。後列の刑事が外へ飛び出していく。

「殺した瞬間を見たんですか?」

 麻衣は、首を横に振った。

 ハッキリとは見ていない。鈴木が、その手を殺害された男性の首筋にあてたことしか……。麻衣は見たままを説明した。

「鈴木さんと話したことはありますか?」

「いいえ……」

 一応、挨拶のつもりで頭をさげたことはあるが、いつも無視される。

「あ、あの……」

 麻衣は、たまらずに声をあげた。

「ど、どうしてわたしだけ……」

 ほかの目撃者にも同じように事情を聞いているのかもしれないが、麻衣にはどうしてもそう思えなかった。自分だけが、ほかと隔離されているとしか……。

 いっしょに買い物にきた先輩とも、引き離されたままだ。そんなことはありえないが、自分はこのまま帰れないのではないか──そんな恐ろしい想像が浮かぶ。

「目撃者は、あなただけです」

 となりの刑事に、そう言われた。

「え?」

 そんなバカな。麻衣は思った。通りには、大勢いたではないか。

「どういうことですか?」

「きみの見た男は、普通とはちがう」

 前列真ん中の男性の言葉だった。どういう意味だろうか?

 男性は、再び瞼を閉じていた。

 瞳があらわになっていても、閉じていても、この男性には見られている、と感じていた。

 顔や姿を、ではない。

 うまくは説明できなかった。もっと、根本的なものを。

「普通とは、ちがう……?」

「姿をとらえることも難しい」

 それではまるで、透明人間ではないか……。

「あなたの見た男は、《U》と呼ばれている。日本での活動がおもだが、海外でもその名が轟く殺し屋だ」

 となりの刑事のセリフが、冗談のように聞こえた。

 というより、笑い話以外のなにものでもない。ここは平和な日本だ。殺し屋なんて、マンガや映画のなかだけに存在するものだ。

「これは、おとぎ話じゃないんだ」

 瞼を閉じたままの男性が、諭すように声をあげた。

「生きたまま《U》の顔を見た人間は、きみを入れて二人しかいない」

「……」

「あとは、殺されている」

 笑えない冗談だと思った。

 信じられるはずがない。これは、ドッキリなのだ。

 最近はテレビ局も視聴率がとれないから、大がかりな仕掛けで騙しているんだ。

「怖がらせて悪いと思ってる……けどね、あの男はきみを必ず狙ってくる」

「じょ、冗談ですよね……?」

 しかし、男性の首は横に振られた。

「でも、安心してほしい。きみのことは、おれが守る」

 どうしてだろう。男性がそう言ったと同時に、両脇に座る二十代と五十歳ぐらいの男性が険しい表情になった。

 となりの刑事の顔は変わっていない。

「わたし、殺されちゃうんですか?」

 自分でも、声が静かだと感じていた。現実味がないのだ。

「ちがう。ヤツは、きみを殺すことはできない」

「どうしてですか? すごい殺し屋なんですよね!?」

「ヤツは、悪人しか殺さない」

 意味がわからなかった。

 悪人でなければ、殺されない!?

 そんなお人好しの殺し屋なんているのだろうか?

「だが、ヤツはきみを狙う。命を奪われることはないが……」

 そのさきを、男性は言わなかった。

 麻衣も聞きたいとは思わなかった。

 暗黒に支配されたかのように、車内の空気が重く、淀んでいた。

「一つ、いいですか……?」

「どうぞ」

「顔を見て生き残っているのは、わたしをふくめて二人いるんですよね?」

「そうです」

「もう一人は?」

「おれです」

 男性が瞼を開いた。

 そこで、男性の言わんとしたことが、なんとなく理解できた。

 男性は眼が見えない。

 瞳は、本物ではない。義眼、というやつだろう。

 それはつまり、眼を──。

「つぶさ、れ……」

 麻衣は眼をつぶった。

 瞳を隠すんだ。視力を奪われるのはイヤだ!

「絶対に、きみを守る」

「あなたは、眼が見えないんですよね!? そんな人が、わたしを守れるんですか!?」

 失礼なことを言っているのは、百も承知だ。

 だが、言わずにはいられなかった。

「実際に守るのは、われわれですよ。警察が、あなたの身を守ります。まあ、むこうがあなたに目撃されていたと気づいているとはかぎりませんが」

 となりの刑事の言葉は、どこか信用できなかった。それに、むこうも気づいている。言葉を交わしたのだから。

 その話は、言っていなかった。

「公安がねぇ」

 前列奥の一番刑事らしい男性が発言した。まるで、皮肉のように……いや、そうとしか聞こえなかった。でも、この男性も刑事なのだろう。

 盲目の男性は、ちがうはずだ。警察の採用基準を麻衣は知らなかったが、それでも眼の見えない人では勤務ができないであろうことはわかる。

 扉側の若い男性も、警察官ではないようだ。根拠はないが、盲目の男性につきしたがっているような。普通に考えれば、身の回りを補助するヘルパーのようなものだろうが……しかし二人の空気感が、介助するほうとされるほう、そんな雰囲気ではなかった。

「世良さん、あなたは《U》を捕らえるのに協力さえしてくれればいいのです」

『さん』付けが、とてもぎこちなく耳に届いた。

 強面刑事の皮肉を、盲目の男性に返したようだった。いつもは横柄に呼び捨てにしているのではないか、と勘繰ってしまう。丁寧な言葉づかいにも、裏が感じられた。

 公安……。ベテラン刑事の言葉どおりなら、そういうところの人間なのだ。刑事ドラマで観たことがある。詳しくは知らない。それでも、いつも悪者になっていることが多いような気がする。

「《U》の顔を知っている人間と、声を聞き分けられる人間……二人の協力があれば、必ず《U》を捕まえます」

「抹殺、じゃないでしょうな」

 また、強面のベテラン刑事が皮肉めいたことを言った。

 となりの公安刑事は、やはり表情を変えない。言われ慣れているのか、もともと感情を表に出さないタイプなのか……。

 すると、さきほど出ていった刑事がもどってきた。

 後列に座る間際に、となりの刑事に耳打ちする。

「そうか」

 無表情を崩さずに、公安刑事は声を発した。

「どうしました?」

 と、ベテラン刑事。

「彼女の住むアパートに捜査員を派遣したが、鈴木の部屋はもぬけのからだった」

 この話をしてから、まだわずかの時間しか経っていないというのに、もうアパートを捜査したというのだろうか?

「さすがに早いですな、公安のやることは」

 そういうベテラン刑事に、となりの公安刑事が、心なしか冷たい視線を飛ばしていた。

「最初から、住み着くつもりなどなかったのでしょう。仕事のために、一時だけ借りていた」

 盲目の男性が言った。彼は、いったいどんな職業の人なのだろうか。麻衣は、次第にふくれあがる彼への興味を自覚していた。

「もうそこにはもどらない。公安部をふくめた捜査員たちは知らないようですが、ヤツは彼女に見られたことを知っています」

「それは、どういうことだ!?」

 公安刑事の無表情が崩れた。とても重要なことだったようだ。

「きみは、ヤツに『鈴木さん』と呼びかけたよね?」

「は、はい」

 麻衣は答えた。そのとおりだ。

「そしてヤツは、なにかをきみに言った。みえる……よくは聞き取れなかったが、そんな言葉をつぶやいていた」

「そ、そうです……『見えるのか?』って言いました」

 どうして、この人が知っているのだろう……。

 あの場にいたのだろうか?

 いや、いなかったと思う。不思議な顔をしてしまったのか、その理由を盲目の男性が語ってくれた。

「喫茶店のなかから聞いていたんだ」

 麻衣は納得し、数瞬あとに首をかしげた。

 喫茶店のなか?

 たしかに、麻衣が「鈴木さん」と呼んだ声は大きかったのかもしれない。しかし鈴木さんの声は、小さかった。麻衣にしか聞こえないほどだったのだ。

 そもそも喫茶店とは、どこのことだ?

 そういえば、並んでいた通りに喫茶店はある。すぐ近くとはいえ、外の声をなかにいて聞き取れるだろうか!?

「あ、王海おうみさんは、とても耳がいいんです」

 言ったのは、若い男性だった。

 さきほど公安刑事が口にした『世良』、そしていまの『王海』。

 盲目の男性の名は、世良王海というようだ。

「まずいな……本格的に襲ってくるぞ」

「だから、おれが彼女を守ると言っている」

「世良、いきがるなよ! 眼の見えないおまえに、なにができる!」

 激昂する公安刑事と、あくまでも冷静な世良王海。

 麻衣は、素直に思った。どちらに命を託すのか、と問われれば、世良王海にお願いしたい──と。

「われわれが喧嘩をしていても、はじまりませんよ」

 ベテラン刑事が割って入った。

 身を乗り出しかけていた公安刑事は、その声で座りなおした。

「あの……、また質問していいですか?」

 麻衣は、勇気をもって切り出した。

「世良さん……でいいんですよね?」

「そうです」

「世良さんは、なにをやられている人なんですか?」

「いまは、小さな探偵事務所を営んでいます」

「探偵……さん?」

 はたして眼の見えない彼に、探偵がつとまるのだろうか?

 それを確かめるための問いは、さすがに出てこなかった。

「所詮は、探偵です。警護などできるわけがない」

 侮蔑をふくんで、公安刑事が言った。

「まあまあ」

 やはりベテラン刑事がなだめようとする。

「こういうのは、どうです? 世良さんは現在、私の依頼で、ある誘拐事件を調査してもらってます。その過程で、《U》という殺し屋の事件にぶつかった。もしかしたら二つの事件は、どこかでつながっているのかもしれない」

 車内のだれもが、その発言を固唾を呑んで見守った。

「ギブアンドテイクというのは、どうですか?」

「どういうことだ!?」

「公安部と世良さんとで、情報を共有する。ここにいる利根麻衣さんの警護も、おたがいが協力する」

「バカな! 話にならない」

「どうしてですか?」

「警察は、探偵の力など借りることはない。長山さん、あなたは借りているようだが」

 そのセリフにも、侮蔑がありありとふくまれていた。

「それはおかしいですな。私には公安畑の知り合いがいないので、それほど詳しくはないのですが……公安というところは、一般の人間をSにしたてて、情報を集めているというじゃないですか」

「……」

「たしかに捜査一課ならば、そういう意識は強いでしょう。ですが、公安にそんな常識があるとは思えません。使えるものは、なんでも使う──それが、公安というものでしょう? それに、世良さんは元同僚ということになる。協力者にしたてるには、ちょうどいいんじゃありませんか?」

 麻衣には言っていることのほとんどが理解できなかったが、公安刑事がなにも言い返せないところをみると、的を射た発言だったらしい。

「わかりました……」

 公安刑事は苦渋の決断をするように、そう応じた。

「上に、相談してみましょう」


        * * *


 あの車のなかに、女がいることはわかっている。

 彼女とは、何度か顔を合わせている。覚えられているとは感じていたが、あそこまでしっかり認識されるとは考えていなかった。

 名前を呼ばれた。むろん、仮の名だ。

 墓地での殺しにも居合わせている。

《店員》なら、まちがいなく、消せ、と言うだろう。

 今回は、殺す場面を見られた。

 もうその話も警察にしているはずだ。

 だが警察に、おれを追い詰めることなどできない。

 ここ数年、刑事部ではなく、公安部がおれを追っているらしい。

 そうだ。八年前になるのか、九年前になるのか……ある男の眼を潰した。それからだ。

 男は、公安の潜入だった。

 いや、男の身元など、おれには関係なかった。

 公安であろうと、警官であろうと、ただの通行人であろうと、顔を見た人間は排除しなければならない。しかし、その潜入していた男は、悪人ではなかった。おれがそれまでに殺した人間は、みな悪人だ。

 おれは、悪人しか殺さない。

 だから、眼を潰した。

 潜入していた男が悪人でないことは、眼を見ればわかった。皮肉なことに、その曇りのない瞳を潰してしまったことになる。

 職業柄、罪悪感に悩まされることはなかった。

 が、あの男のことをいまでも夢に見ることがある。きまって、あの男に追い詰められる夢だ。

 現実味がある。

 夢だとは思えない。

 とはいえ、あの男に、それができるはずはない。視力を奪われているのに、おれを追い詰めることなど不可能だ。

 と──。

 ワゴン車から、刑事(おそらく《おおやけ》)につれられて、女が出てきた。

 同じアパートに部屋を借りている。すでに、そちらのほうにも捜査員が向かっているはずだ。どうせ、たいしたものは置いていない。個人を特定されるような証拠も残していない。帰らなければいいだけだ。

 それよりも、おれはこれからどうするべきか?

 女の口を封じるか……。

 だが、女は悪人ではない。

 それに……彼女には、《やってもらわなければならない》ことがある。そのために、ここへ呼び寄せたのだ。

 殺しはしない。

 眼を潰すか。

 どんなに顔を覚えられたとしても、それを確認できなければ、口を封じるのと同じことになる。

 もしかしたら、いまワゴン車のなかで、似顔絵を描いていたのかもしれない。

 いや、《おおやけ》にそういう発想はない。

 それに、彼女はおれのことを知っている。同じアパートに住んでいる鈴木さんです、と証言すれば、わざわざ似顔絵など用意する必要はない。

 が、いずれ知ることになる。アパートからは、なにも出てこない。そして近所を聞き込みしても、おれのことを知っている人間はだれもいない。

 人の記憶には残らない。それが、おれの特殊能力だ。

 やるなら、いまのうちだ。

 まだ似顔絵を残していない、いまが──。

 だがそれをすれば、目的が失われる。《店員》にも知られていない目的が……。

 どちらにしろ、おれは動けなくなった。

《おおやけ》と女のあとに続いて降りてきた男を見たからだ。

 二十代の線の細いエンジニア系の男に先導されるように、その男が車外に出てきた。

 知っていた。

 おれ自身が、その眼を潰した男──。


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