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遠い声  作者: てんの翔
12/50

13

       13.17日午前9時


 約束の時間の三十分前には到着していた。

 いつものように、べつのテーブルには峰岸が待機している。

 指定された青山にある喫茶店だった。いま堤という男は、この近くの会社に勤務しているという。

 もうすぐ、約束の九時だ。

 仕事前に会ってくれるのだろうから、堤の会社は午前九時半か十時からといったところだろう。IT関連の業種は、どちらかといえば先鋭的だから、出勤時間も自由なのかもしれない。いや、堤がIT企業に勤めているとはかぎらない。どんな会社かまでは、電話で訊くことはできなかった。

 川崎のことだと伝えると、声から動揺が伝わってきた。川崎が何者かに殺害されていることは知っているようだ。それとも、川崎との過去をほじくり返されたくないということなのかもしれない。

 世良は、耳を澄ます。

 待っている時間にできることは、健常者にくらべれば、かなり制限される。ポータブルプレイヤーで音楽を聴くこともできなくはないが、世良にとって、街のざわつきや騒がしさも、立派な音楽なのだ。

 店に流れる有線。

 カップとスプーンがぶつかる音。

 客の話し声。

 店内だけにはとどまらない。

 いつも以上に、集中する。

 店の外。急ぎ足でアスファルトを叩く靴音。

 通行人は、みな無言のようだ。

 ちがう。話し声もする。女の子同士の明るい会話。それが、いくつも。あっちでも、こっちでも。

 世良には、それがどういう情景なのか連想できなかった。そういえば、この店に入るとき、峰岸が言っていたことを思い出した。

 行列ができてます。どこかのお店がセールでもやるんですかねぇ──。

(なるほど)

 世良は、さらに集中力を高めた。

 視力を失ったことで、これほどの能力を手に入れたなど、かつての自分は想像もできなかっただろう。

 なにを話しているのか? たんなる暇つぶしだが、ここまで聴力を上げたことは滅多にない。

 つきあってるカレのこと。

 これから買うのは、限定販売されるバッグのようだ。

 バイト先の愚痴。

 昨日観たドラマの話。

(ん?)

『鈴木さん!?』

 その声は、ほかの会話とは異質のものだった。

 だれかを呼び止めていた。

『見え……か』

「!」

 よくは聞き取れなかった……。

 だがその声に、世良は戦慄をおぼえた。

 聞いたことのある声。

 いつも、脳裏に鳴り響いてる声……。

 あいつの声!

 世良は、立ち上がっていた。

王海おうみさん!?」

 突然立ち上がったからか、峰岸が声を発した。

 いまは邪魔だ。

 聞きたいのは、あいつの声だ。

 世良は、出口に急いだ。店の構造は、事前に峰岸から教えられている。

 扉を開けた。それまでフィルターにかけられたようだった外のざわめきが、ダイレクトに耳へ届いた。

 その直後、女性の悲鳴があがった。



 堤という男が殺害されたことを知ったのは、一時間ほど経ってのことだった。

 現場は、騒然としていた。

 何台もの警察車両のサイレン。警官の怒鳴り声。野次馬の囁き声もする。

 世良自身は、こういう殺害現場に足を運んだことはなかったが、規制線のなかで動き回る鑑識や捜査一課の刑事たちの姿なら脳裏に浮かべることができる。ただしその像は、一般人と同じように、ドラマの受け売りでしかないのだが。

「世良さん!」

 長山だった。峰岸が連絡したのだ。

「マル害と待ち合わせをしていたって、本当ですか!?」

「はい」

「彼にまちがいないですか? 確認を──」

「ムリです。顔では」

 おそらく堤の遺体は、ブルーシートの幕で覆われて、野次馬からは見えなくなっているはずだ。たとえ見えていたとしても、世良には見えない。長山も、言葉の途中でそれを悟ったようだ。

「あの男が堤という確証はないんですね?」

「でも、無線でそう言ってたって」

 口を挟んだのは、峰岸だった。

 殺害された男性の荷物から免許証などが発見されて、身元がわかったのだろう。無線の会話を、世良が《耳》で傍受したのだ。

 ツツミサダオ、と警官は告げていた。

「ですが、あの男が堤だとしても、世良さんと会うことになっていた堤だと、断定はできませんよね?」

 長山の言うことは、もっともだった。

 殺害された男性の肉声を聞かなければ、そうだとは決めつけられない。

「川崎の関係者なんですか?」

「川崎に福永さんを紹介した男です」

 福永の情報をもたらしたのは、ほかでもない長山なのだ。

 堤の紹介で、福永は川崎のおこした会社に転職している。

「そもそも川崎と世良さんの関係は、どうなんですか? 世良さんの過去から推察はできますが……公安時代ですよね?」

「そうです。潜入先でいっしょでした」

「川崎は、テロリストだったんですか?」

「いいえ、そんな大それたものじゃありません。私のセクションは『赤』でしたから」

 警視庁公安部の国内担当は、総務課と公安一課から三課があたっている。このうち、総務は共産党や市民デモ、そして近年脅威となっているカルト教団もここがおもに担当している。一課は、極左。二課は左派のなかでも革マルと労働争議にかかわる。三課は右翼。世良が配属されたのは、公安一課になる。

 テロリストという響きからは、やはり中東系の過激派を連想するものだ。が、それを担当するのは外事になる。国内過激派は、極左暴力集団と定義され、一課の範疇になるのだが、実際にテロを企てようとする組織力のある集団は、もうどこにもない。せいぜいが、他セクトとの抗争や内ゲバだ。一課は赤軍の担当でもあるのだが、過去の遺物との戦いであることは明白だ。

 世良は労組にも潜入しているから二課ともとれるが、当時は左派の人員が縮小傾向で、宗教関連に人員がさかれるようになっていた。一課や二課も、カルトの監視をすることがあった。その関係で課の役割区分が、かなり乱れていたのだ。いまはどうだろう?

「しかし過激派なんですから、テロリストでもおかしくはない」

「日本の組織に、そこまで力のあるグループはありません。テロリストは、おもに外事三課の担当です」

 外事三課は、中近東イスラム圏を中心とした国際テロリストを担当するセクションだ。

「川崎が殺されたのと、関係があると思いますか?」

「わかりません」

 世良は、率直に答えた。

「……では、誘拐事件に関係はありそうですか?」

「長山さんには申し訳ないが、それもよくわかりません」

 ため息が聞こえたが、表情を眼にできないので、どれほどの失望を感じているのかまではさだかでない。

「世良さんの能力も信じていますし、判断も疑いません。好きに捜査してください。ですが、一刻も早い解決が望まれます。少女が生きているというつもりで」

「もちろんです。しずくちゃんが生きていることを前提としています」

 世良は、誓いをたてるように言った。

 すると──。

 大勢の足音が、こちらに近づいてきた。

 長山がいっしょではあるが、規制線の外にいた。同じ警察官でも直接関係のない誘拐事件を捜査している長山では、そう簡単に入れない。

 足音は、あきらかに意志をもって、世良のもとをめざしていた。

 一、二……五人いる。

「世良王海だな?」

 声をかけられた。男の声だ。足音には女性のものはなかったから、全員が男と考えていいだろう。

「あんたたちは?」

 長山が訊く。どうやら、その人物たちに囲まれたようだ。

「おまえは?」

 逆に問いを返された。

 声音から判断するに、長山よりもずっと年下だ。だが、長山は怒ることもなかった。

「鹿浜署の長山というものだ」

「なぜ、ここにいる?」

「誘拐事件の捜査でね。あんたたちは、捜査一課か?」

 世良には、男たちの正体がわかっていた。

 眼が見えずとも、男たちの圧を感じ取ることができる。

「世良王海、話を聞きたい」

「だから、あんたたちは何者なんだ?」

 世良は、長山を手で制した。

「むかしの同業者だな?」

「公安!?」

 峰岸の、素っ頓狂な声がした。

「話を聞きたい」

 男の一人が、繰り返した。

「どこへ行く?」

「警戒しなくても大丈夫だ。そこの喫茶店はどうだ?」

 世良は、うなずいた。

「二人も同席していいか?」

「かまわん。そっちの男は、あなたの助手の峰岸だったな」

 男たちは、こちらの素性と活動を調べあげているようだ。

 男たちに囲まれるまま、さきほどまでいた喫茶店に入った。客は、騒動のために少なくなっているようだった。物音や気配の数で推し量ることができる。店員の動きもあまりない。もしかしたら、窓から外の様子を眺めているのかもしれない。

「いらっしゃいませ」

 八人がいっせいに入ったからか、店員の声音に戸惑いがある。

 男たちに誘導された席へついた。たぶん、通りからは一番奥の席だ。となりには峰岸。正面に男の一人。そのとなり──峰岸の正面に長山。残る四人の男たちは、すぐそばのテーブルについているようだ。

「あなたのことは知っている」

 正面の男が言った。

 店員の近づく足音がしたが、べつのテーブルについた男が、全員コーヒー、と告げ、店員を寄せつけなかった。

「なぜ、ここにいた?」

「待ち合わせをしていた」

「だれと?」

「たぶん、いま殺された男だ。堤という」

「どういう関係だ?」

「むかしの知り合いの知り合い」

 世良は、遠回しな言い方をした。

「堤が、だれに殺されたかわかるか?」

「いま発生したばかりの事件の犯人がわかるのか?」

「《U》だ」

 男の発言にも、しかし世良は動揺しなかった。

「知っていたみたいだな?」

「声を聞いた」

「なに!?」

「王海さんは、一度聞いた声を──」

「そんなことはわかってる!」

 男が、邪魔をするな──と言わんばかりに、峰岸の言葉をさえぎった。

「あなたの特殊能力は、こちらも把握してますよ。そして、あなたが《U》に接触して唯一、生き残った人間であるということも」

「《U》は、なぜ堤を殺した?」

「ヤツは、殺し屋だ。マンガのなかの話みたいだが……いや、ヤツのことなら、われわれよりもあなたのほうが詳しいか。依頼があれば、どんな人間でもその手にかける」

「では、その非情な殺し屋に、だれが依頼したんだ?」

「それは、われわれにもわからない」

「まさか、川崎も?」

「そうだ」

 男は、冷然と答えた。

「川崎のことは、こちらもマークしていた。元左翼組織に所属し、あなたとともに《U》を追っていた過去がある」

「その後の川崎は、そっちからは足を洗ってたのか?」

「質問をするのは、われわれのほうだ」

 男に、ペースをもどされた。

「あなたは、なにを調べてる? 《U》か?」

「さきほど、長山さんが言ったとおりだ。誘拐事件を追っている」

「その誘拐事件と《U》は、関係があるのか?」

「おれにわかるわけがない」

「声を聞いたのは、まちがいないか?」

「あの声を忘れるわけがない」

 そこで一旦、会話が途切れた。

 数秒後。

「どうやら、いまの現場……目撃者がいるようだ」

 意外な内容だった。

「本当か?」

《U》は、だれにも目撃されない。

 もし眼にしたとしたら、その人間は殺されている。

 殺されなかったとしても……。

「その目撃者は、無事か!?」

「どういう意味だ?」

「どこにも怪我はないか?」

「ないようだ。まあ、心のほうは、どうか知らんがね」

 それはつまり──眼を潰されていない。

「目撃者に会いたい」

 世良以外で、はじめての生存者ということになる。しかも、五体満足で。

「……もうじき、この現場はわれわれが主導することになる」

「公安が?」

「世良王海……あなたの時代から、《U》との戦いははじまっているのだ。実際に政府高官が、何人かヤツにやられているしね。どうやら、政治的思想があっての依頼ではないようだが……。ヤツに殺された政治家や官僚には、裏があった。口には出せないような、ドス黒い部分がね。だから、テロリズムのたぐいではない。本来なら、われわれの仕事ではないのだよ」

 それはあたかも、世良によって開戦にいたった《U》との死闘が、のちのちまで続いているのだと言われているようだった。

 おまえのせいだ、と。

「それは、ご苦労さまです」

 皮肉をこめて、世良は言った。

「……捜査一課が撤収したら、目撃者に会わせてやろう」


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