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12.金曜日午前1時
「悪いな。また急な仕事だ」
「概要は?」
「訊くな」
深夜のレンタル店。
店員と客。
「またか? このあいだもあったな」
「こっちにも、いろいろと事情がある」
「依頼人は?」
「だから身元は明かせない」
「だれなのかを訊いてるわけじゃない。善人か悪人かだ」
「それは、どうでもいいことだ」
「ふざけるな」
「仕留めるのは、悪人だ。それでいいだろう?」
「……」
「報酬は、いつもの倍だ」
「それも、虎ノ門のときと同じだ」
「深く考えるな。おまえは、冷酷な殺人者であればいい」
「おれはいつでも、冷酷な殺人者だ」
* * *
バイトの先輩(女)から、青山のブランドショップの開店セールに誘われた。限定販売のバッグがあるから、徹夜でいっしょに並ばないか、と。
そんなものに使うお金はないから断ったのだが、一人で行列に並ぶのは大変だから、どうしても付き添ってくれと頭を下げられた。
深夜一時。翌日──いや、日付でいえば本日の講義は、評価の甘い教授だけだから、一日ぐらい休んだところで成績にひびくわけではない。
「ありがとう! ホント、助かる。一人じゃトイレ行くのも大変なんだから」
先輩は、心の底から感謝しているようだった。そういう殊勝な態度をとられると、麻衣としても悪い気はしない。
「でも……早すぎたんじゃないですか?」
「はは、は」
麻衣の指摘に先輩は、ぎこちなく笑った。
先頭……というか、自分たちしかいないから、正面ドアの前に二人だけがポツンとたたずんでいる。
座れるように敷物や防寒対策のタオルケットなども持ってきた。準備万端。いざ蓋を開けてみれば、気合だけが空回りしてしまったようだ。
これから、店が開店する午前十時まで並ばなくてはならない。
二時。三時。
いっこうに、だれの姿もない。通りを行く車だけが頻繁に通過していく。二人は、会話をし続けた。意外なほど、話すことはいっぱいあった。一人ではないし、場所柄、交通量もあるから、心細くはなかった。
四時。五時。
だんだんと東の空が白くなっていく。
さすがに、会話も途切れはじめていた。
六時。
やっと、後続の客があらわれた。
麻衣も先輩も、なぜだか安堵感に満たされた。
七時。
増えはじめると、あっというまに行列ができていた。
八時。
眠気を通り越して、ハイな気分になっていた。ここにきて、また会話がはずみだした。ただし言っていることの何割かは、支離滅裂だ。
九時。
あと一時間。
* * *
目的の男は、イレギュラーな行動をとっていた。
渡された資料では、まっすぐ会社へ向かうはずだ。いや、向かってはいたのだが、会社の入っているビルを通り越し、べつの場所へ足を運ぼうとしていた。
朝に仕事をすることは、めずらしい。
至急、という依頼だからだ。
どうすべきか、おれは考えた。遂行するのに場所は選ばない。
ならば、ここで仕留めよう。
おれは、ターゲットに近づいた。
人通りは多かった。というより、長蛇の列がつながっている。
どうやら有名ブランド店で、なにかがあるらしい。
その店の真ん前を通過した。
大丈夫だ。だれも、こちらには眼を留めない。
擬態している。だれにも見られることはない。
* * *
麻衣は、知っている人を見たような気がした。
歩道は列によって大半が占領されているが、そのわきをだれかが通り過ぎた。
しかし、見えない。
「あれ?」
「どうしたの?」
突然、声を発したから、先輩に問われた。
麻衣は、視線をめぐらせる。
* * *
ターゲットの真後ろについた。
今日は、針状のものを使う。
長さは20センチほど。アイスピックの柄から取りはずしたものだ。先端部分だけなら、手のひらにおさまる。
無造作に左手を動かした。
ターゲットの首筋を撫でるように。
* * *
突如として、歩道で男性が倒れた。
具合でも悪くなったのだろうか?
麻衣は、その会社員風の男性に視線を合わせた。
様子がおかしい。
フラついて倒れたというより、すでに事切れて崩れ落ちたような……。
「え? どこいくの!?」
先輩の声を背中に浴びながら、麻衣は歩き出す。倒れた男性のもとへ。
そのとき、だれかとすれ違った。
顔を見た。
いや、そこにはだれもいない。
それはおかしい。必ずいるはずだ。
うっすらと遠ざかっていく後ろ姿が見えたような気がした。
「鈴木さん!?」
思わず、そう声をかけた。
うっすらとしか見えていなかった人影が、ハッキリと確認できた。
その人物が振り返った。
「見えたのか?」
「え……」
声には、どこかで聞き覚えがあった。鈴木さんとは、これまで言葉を交わしたことがあっただろうか?
いや、挨拶しても、いつも無視されている。
では、どこで?
すぐには浮かばない
なぜだか、イヤな予感が駆け抜けた。
反射的に、倒れた会社員に眼を向ける。
首筋。わずかだが、血が流れていた。
「う、うそ……」
悲鳴をあげそうになった。できなかった。
なにかのまちがいかもしれないからだ。
(まさか、鈴木さんが!?)
振り向いて、人影に瞳をもどした。
だが、そこには……その空間には、だれも存在していなかった。
麻衣は、そこでようやく悲鳴を放った。




