勝沼
「また来おったか」
信虎は万沢から真篠城に本陣を移し、身延から東へ針路を取る予定であった。だが、富士川を渡ろうにも雪斎や栴岳承芳が東から妨害し、時に北へ回り込んでは逃げ、その移動を妨害してくる。
更に手薄になった万沢を氏輝や正成が伺い、信虎はにっちもさっちも行かない状況に追い込まれていた。
互いに決定打を与えられるような大きな争いは無く、ただただ時間が過ぎていく状況に信虎は焦った。既に8月20日になり、北条の郡内攻めは時間の問題であろう。
「信友よ」
信虎は郡内を守る弟のことを思い、願うように声を出す。
「信友よ、すまぬ。頼む。」
甲斐の虎の悲痛な叫び声であった。
富士五湖の一つ山中湖。甲斐国吉田(現在の富士吉田市)の南東に位置し、今日では御殿場と並ぶ富士山麓の避暑地として有名である。
駿河から甲斐に侵攻するには富士川沿いに北上するか、富士山東部を北上することとなる。無論、その逆もまた然り。そしてこの富士山東部には三国山と呼ばれる山があり、また、甲斐、駿河、相模三国を行き来する道がある三国交通の要であった。
天文4年8月21日、氏綱・氏康は親子は御厨を経て、要の一つ須走籠坂峠を越えて山中湖南岸に着陣した。奇しくも宗峰が通った道を逆になぞる様な進軍ルートで、その数2万4千。
既に武田勢は吉田から山中に向けて進んでおり、勝沼信友 ―武田信虎の弟― を実質的な総大将として戦に備えていた。
「殿は間に合わなんだか」
手入れの行き届いた髭を摘まみながら信友は言う。既に敵が来ている以上、明日には戦わねばならない。だが、大きな問題があった。
「我らは2千か」
自軍の兵力が少な過ぎる。が、信虎の本隊と合流できたとしても、2万に届くかどうかであろう。いずれにせよ、万全を期すのであれば籠城戦が望ましい。
だが、収穫前のこの時期に敵の侵入を見過ごせば、乱捕りをされてしまうのは目に見えてるし、何より郡内が北条に寝返る可能性も捨てきれない。小山田氏は過去に武田とも戦い、北条とも戦っている。信友から見ると、今でこそ姉の夫として義理の兄弟となっているが、武田が守る意思を示さなければどうなるか。
「わしの首で郡内を縛れるのなら」
安いであろう。小山田もここで家臣を少し失うこととなるが、弟を失う武田に比べれば負担は少ない。
「一族のため甲斐を走り、一族のため甲斐で死ぬ、か」
悪く無い。
元々信虎の一族は守護職にありながら力を失い、祖父信昌や、父信縄の代で権勢を回復したばかりであった。信虎は反発の残る甲斐一国を纏め上げるため東奔西走した、ある種偏執的なまでの努力家であったし、それを支えたのがこの信友であった。
――不惑を前に迷わぬとは、我もホトケに近付いたか
何やら可笑しさが込み上げてきて、信友の口元は綻んでいる。これまで死地に赴いたことは何度もあるし、死を意識したのは初めてのことではない。だが、今回はまさに必死の状況にある。
「誰ぞある、鏡を持て」
突如陣幕の中に鏡を持ってこさせると、信友は自らの兜を降ろし、髷や髭の様子を丹念に確認した。
「・・・殿?」
近くの侍大将が怪訝そうに声を掛けると、信友は「ん?」と言いながら目線を向けた。
「いえ、何をなされているのかと」
血よ。とだけ答えると、信友は満足したのか兜を被り直し、緒を少しきつめに締めると「いや、己を見せたいのかな」と恥ずかしそうに言った。現代で言うのなら自己顕示欲であろう。
甲斐武田家の一族として、敵に首を取られた時に恥ずかしい姿を晒す訳にはいかない。だが、それ以上に武田信友 ―今は勝沼姓だが― としての最後を飾りたいという気持ちが強かったか。
「心残りは歌を学ばなんだことか」
勝沼信友。辞世の句は残っていない。
過日、静岡市長さんが今川義元復権宣言なるものをされたそうです。
歴史好きとしては大変嬉しいことで、これまで徳川家康一色だった静岡市が変わると嬉しいです。
とは言え、家康の顕彰事業の二番煎じでは魅力も半減しますから、多くの声を取り入れて、是非歴史ファンが集まる様な内容にして頂きたいですね。