足止め
信虎は南部に着くと、すぐに穴山信友を呼び出した。
陣中に畏まる信友を見て、信虎は事情を察知し笑いながら言う。
「案ずることはない。わしも煮え湯を飲まされておるわ」
籠手で佩楯の辺りを叩きながら、お主はまだ若い、と言い、良く持ち堪えてくれた、と続ける。
「一度は万沢を押さえましたものの、気付けば囲まれまして」
さもありなんと信虎は頷く。
「井出城の調略は見抜けたものの、その後夜襲に遭い奪われましてございます」
「上出来だ。井出城とて万沢を押さえればすぐに取り戻せよう」
だが、
――福島は何を狙っておる
福島の6千の兵は今頃万沢に移っている頃であろう。もし出ていないのなら、この地域の特性を理解できていない。
福島が万沢に構えていても、十分以上に戦える戦力はある。
「急ぎ万沢に進め」
休む間もなく信虎は指示を出した。
武田軍は今川に落ちた井出城を川の対岸に見ながら悠々と進んだ。城からは矢が射掛けられるでもなく、狼煙だけが上がっている。
「仕方あるまい。攻めたとて狼煙を防ぐことはできまい」
信虎は青写真を現実のものとするため、速度を維持することを徹底した。
予定よりも早く万沢に近付くと、そこには七枚根笹の旗が翻っていた。既に福島勢が陣を構えている証拠である。
「来おった」
信虎も正成も共に口にしたであろう。どちらにとっても「当たり」であった。
「ここで」
互いに決着を付けると考えたか、激戦が始まった。
7月下旬に始まった戦は、数日の間一進一退の攻防を続けることとなる。
兵力では武田が上回っているが、山間部であり大軍の移動は困難である。更に、出口に当たる万沢を今川が抑えているため、思うように動けない。
状況を打開するため、痺れを切らした信虎は西側の山間部の斜面に兵を回し、万沢を囲うように展開していった。
「ホウ、流石は猿の軍勢じゃ。山も道とするか」
正成は武田の意外な行動に驚きつつも、その対応に苦慮していた。万沢は台地であるが、西側は山である。ここを道とされては台地の利が生かせない。
「じゃが、我らの勝ちに近付いておる」
正成の脳裏には、昨夜富士川東岸を北上した雪斎の部隊が浮かんでいる。川の東は更に道が狭いが、その先にある井出城は既に今川の手にある。
「そろそろ逃げるか」
正成は武者隠しを利用しながら兵を東へ引かせると、万沢を武田軍に明け渡した。
万沢に陣を移した信虎の許に、駿府から氏輝が出兵したとの知らせが届いた。
武田が駿河に仕掛けた ―放火程度であるが― のが7月17日。今川家の反撃や穴山との小競り合いを挟み、万沢を押さえたのは28日。むしろ橋頭堡を確保できたことを考えれば、十分な合格点であろう。
そしてここから今川家は再び小競り合いを繰り返す。無論、万沢を押さえた信虎はその勢いを増し、周辺の城、砦の攻略に掛かるが、今川勢はあちらこちらに兵を置き、引いた思えば一点に集中し、伸びた武田勢の横を突いてくる。
決戦を望む信虎を嘲笑うかのように、今川家は巧みに兵を動かし、信虎の激しい攻撃を避けていた。気付けば既に半月を過ぎ、信虎の焦りも色濃く出るようになっていた。
そんな中、8月17日、信虎にとって最悪の情報が舞い込む。
「北条が足柄峠を越え御厨に向かっております。その数2万を超えております」
火急の伝令が届けた内容は、予想以上のものであった。氏綱は8月16日小田原を出、2万4千の大軍で甲斐に向かった。
――駿河そのものが罠であったか
信虎はその本能的な嗅覚で状況を悟った。
――本命は郡内か
信虎は自ら郡内に向かうことにした。国人の小山田氏に郡内を守らせるのは勿論であるが、それだけでは安心できない。兵力は勿論のこと、小山田家との関係があるためであった。
小山田(越中守)信有は郡内の有力者であり、現在の都留市谷村に館を構えている。鎌倉から続く甲斐の名家であるため、国中の武田家としても無下にできず、相応の扱いをしていた。しかし、小山田(出羽守)信有は甲府に屋敷を与えられており、家臣という形も取ってはいるため、駿河における葛山氏同様、半ば独立的な存在であったようである。
「しかし青二才め、見誤ったわ。」
信虎は今川氏輝に病弱な青二才 ―事実病弱であったようだが― という印象を抱いており、決断力に劣ると判断していた。だが、その母、寿桂尼の存在は評価していた。その寿桂尼が一線を退き、また、氏輝の方針が拓殖に向いていると判断できた為、自らの剛腕で東西の外交関係をまとめ上げ、間髪入れずに進軍すれば駿河を、少なくとも愛鷹山西部の富士川一帯を抑えることができると目論んでいた。
信虎はこれらの判断力や洞察力については、間違いなく優秀であった。だが、自身の動員兵力やその兵の質、兵の実情に正しく目を向けることができなかった。現代におけるブラック企業のワンマン社長と言えばイメージしやすいか。