長久保
氏康から長久保救援を求められた部隊は戸惑っていた。今川軍の背後を突く予定であったのに、既に今川軍が黄瀬川周囲に陣を張っていたのである。
――三嶋は捨て石であったか
一部の将兵は気付く。北条が三嶋を取り返すのも織り込み済みであったのだろう。少なくとも今川軍の防御陣地は「北条が三嶋を取り戻した」という知らせを長久保に届けさせないための街道封鎖レベルではない。明らかに三嶋から来る北条軍を待ち構える陣立てである。
一方の今川の将兵達も良く分からなかった。城攻めをする、という連絡を受けておきながら、彼らに与えられた指示は北上する北条を待ち構える、という内容であったのだから。城攻めの厳しさを予想し、身を固くしていた兵達にとっては拍子抜けする指示であった。
だが、彼らの目の前に三つ鱗の旗が靡いたことで、その考えは一変する。目の前の数は少ないようであるが、後方に本陣があるのであろう。緊張感が一気に陣中を支配する。
ところが、今川、北条とも期せずして膠着状態になった。今川軍には守備に徹するよう指示が出ていたし、北条としても予想以上に多い今川軍に手を出せずにいたのである。
義元や氏康のもとにそれぞれ報告が走るが、どちらも「それで良い」というのみで、指示の変更は無い。河東に不思議な空間が出来上がっていた。
一報の長久保城にはようやく変化が現れた。今川軍が動き出したのである。
城に籠る長綱は義元の奇策を警戒するが、見る限り不穏な動きはなかった。義元は城の南側に兵を展開し、東の黄瀬川対岸に一部の兵を展開する程度で、誰しもが考えそうな布陣である。
――罠か、それとも
長久保城が堅固であるからこそ、妙手が無いのかもしれない。だとすれば勝機はある。
西の断崖を利用するなど狂気の沙汰であるし、源義経の「鵯越」の再現はあり得ぬであろう。北の大堀は黄瀬川の水を引き込んであり、そう簡単に渡れるものではないし、東の黄瀬川はそれ以上の要害として今川に立ちはだかる。
――だが一つ
長綱には不安があった。それが武田の陣の存在である。
どうやら本陣は大石寺に置いたままとのことであるが、二千人ほどの兵が城の北側、やや離れたところに駐屯している。武田に動きはないものの、その沈黙が無気味であった。
「殿」
と、悩む長綱に副将の清水康英が声を掛けた。
「葛山より使者が」
「すぐ会おう」
二つ返事で使者の待つ部屋に行く。そこには農夫の格好をした使者が、その姿に似つかわしくない姿勢で長綱を待っていた。
使者は頭を下げると、自身の頭を覆っていた手拭いに気付き、急いで前に引き落とそうとしたが、後頭部がやや出ているのか上手く取ることができず、慌てて首の所に手を遣った。
その生真面目な姿が滑稽に見え、長綱は「良い、良い」とにこやかに言う。ここに来るまで一生懸命に農夫のふりをし、今ここで急に使者として態度を改め、緊張のあまり周囲が少し見えなくなっている。根っからの真面目な男なのであろう。
――わしもこうなのかもしれぬな
と、長綱は己が可笑しくなってきた。敗戦続きで今川義元という男に言い知れぬ恐怖を感じ、敵の一挙手一投足が罠ではないかと勘繰ってしまう。
「そのように固くなっておっては、話が聞けぬわ」
自分に言い聞かせたのか、長綱は笑いながら言った。使者は平伏し、そのまま氏元の言葉を伝える。
――なるほど、悪く無い
氏元は南北からの一斉攻撃を進言してきた。その日時も悪く無い。
既に勝敗は決している。今川家はこのまま河東一円を取り戻すであろう。だが、最後に一撃与えねば今後の力関係に影響が出てしまう。
少なくとも一度大打撃を与えれば、一時的とは言え今川軍の侵攻は止まる。上手くすれば関東も河東も助かるかもしれない。
――そのためにも
長綱は氏元の策を受け入れた。後は今川家を引き付けるだけである。
数日後、氏康は小田原に着いた。無論軍装のままであり、即座に関東に進まなければならない。だが、彼はここで一つの決断を下す。
「武田の使者をこれに」
氏康が小田原に戻るまで待っていた武田の使者がいると聞き、即座に会うことにした。氏康としては現実的になった和睦に向け、今川が求める和睦案がどうなったか知りたかった。
戦帰りのまだ荒々しい空気を纏う氏康を前に、使者は緊張した面持ちで和睦案を伝える。
「今、何と?」
氏康は思わず聞き返してしまった。
「天文6年の戦の前にまで戻れば良いと」
つまり、義元の和睦案はこれまでと変わらず、旧領回復のみを望む、というものであった。
――これならば
河東を棄てることとなるが、悪い話ではない。義元が相模にまで来ないということを約するということである。
氏康としてはすぐに喰い付きたい話であるが、不安が残る。北条が一斉に関東を攻めた時、義元が裏切ったらどうなるか――
「御館様が申すには」
義元は他家との約定を破ったことがない、という。それは松平のような小さな家でも、武田のような大名でも変わらぬ、と。
事実、花蔵の乱で約した晴信と三条夫人の婚姻のような穏やかな話から、武田の高遠攻めと言った荒事まで、義元は約定を頑なに守っている。
――だが、我らとの縁を踏み躙ったのも駿河ではないか
と、言いそうになるが、ふと気付く。
――父との齟齬か
義元の婚姻を知り、父は烈火の如く怒り狂っていた。芝居も入っていたであろうが、相模の脅威であるとして軍勢を整え、破竹の勢いで河東を蹂躙した。
義元は全てにおいて後手に回り、最後は吉原付近で父に敗れ、河東は北条のものとなった。
――そうか
と、自身が逆に攻められたからこそ義元の立場が見えてきた。そして義元が最初から提案しているこの和睦案が上手いということも。
戦を経ずして氏康がこの案を呑むことは無かった。負けた側が返してくれと言ったところで、勝った側が「はいそうですか」と返す訳が無い。ところが戦が始まり北条が劣勢になってくると、この時点でこの和睦案は検討に値する内容となる。
だが、事はそう簡単に進まない。関東と駿河からの挟撃であったが、そのタイミングはややズレがあったため、北条としては和睦を蹴り、河東を守った上で関東に向かえると判断し、河東防衛に力を注いだ。ところがそこを見計らったかのように関東が本格的な動きを見せる。北条首脳部の絶望はどれほどのものであっただろうか。
そして今、北条は関東を守らねばならない状況に追い込まれ、今川がどこまで攻めてくるのかに関心が移っている。既に長久保落城も時間の問題であるが、それでも今川が「旧領回復」のみを提示していれば、北条は「仕方ないな」という態度で河東を明け渡し、対外的にも顔が立つ。そして本願である川越防衛戦に全力を挙げられる。
「大膳大夫殿に」
伝えてくれ、と言う。長久保を明け渡し、河東は天文6年以前に戻そうと。
小田原から早馬が送られる。氏康の書状を携えた者は長久保城に入り、次いで葛山や深沢といった主要な城を回る。
一方、武田の早馬は大石寺、そして長久保に布陣する義元の許へ。
――戦とは
不思議なものよと義元は思う。
数年前に氏綱と富士川東岸で肉薄し、混戦の中返り血を浴びながら戦ったのも戦であるし、こうして血を流さずに城を得るのも戦であると。
――百戰百勝、非善之善者也、不戰而屈人之兵、善之善者也
師に教えられた書は見事である。こうして自らの実感と共に、その本質が見えてくる。
「駿府に早馬を」
義元は雪斎に向け書状を書くと、兵を引き上げさせて何事も無かったかのように駿府への帰路に就く。
――五分に勝ったぞ
と、善徳寺の小坊主のような悪戯心で書きたくもあったが、流石に国主たる立場では悪戯も書けない。
馬上にあってそんな悪戯をした時のことを考えながら、ふと左手に広がる海を見る。
秋が深まり風が冷たくなってはいたが、駿河湾の風は心なしか暖かく、戦に疲れていた義元を優しく抱く。
――美しい
と、改めて思う。北に富士を頂き、南に駿河湾が広がる。駿河は良い国であると。




