初手
小田原城に雪の舞う躑躅ヶ崎館から使者が訪れた。
武田とは昨年同盟を結んだとは言え、上杉に対する軍事同盟という位置付けであり、使者は侵攻の申し入れと思っていたが話が違った。
「和睦とな?」
使者は河東における戦の火種が残っていると、いつ背後を突かれるか分からないと言う。上杉との戦に集中するためにも、今川と和睦してはどうずらか、と。
――今川から、北条との和睦が成らねば上杉と結び、相模を挟撃するとの話が出ておる。上杉と結ばれては我らも身動きができなくなる故、氏康殿に和睦を勧めよ――
使者はこのような武田首脳部の意向を知ない。だが、彼は日頃の甲州弁を控えようと努めながら、精一杯の真摯な姿勢で、それでも所々に甲州弁を交えながら言った。
――今川と和睦、か。
北条は富士川東岸の拠点として、新たに吉原に城を築いていた。これは北条の戦意が衰えていないことを示すと共に、今川が攻め込んでくると見込んでのことである。
――父ならば、どうか
晩年今川に激しい敵愾心を抱いていた父が、果たしてこれを呑むか。
――有り得ぬ
相模を守るため、河東は緩衝地帯として必要不可欠である。和睦により返還するなど有り得ない。
更に、氏康の判断材料には武田との同盟が関わってくる。
同盟の効果は共同して上杉を攻めるだけでなく、上杉からの侵攻を牽制する効果もある。つまり、上杉が相模に攻め込みにくい環境が整っており、北条の眼は自然と西の今川家を向くこととなる。
「御申出承ったが、何分急な話でな」
追々考える旨の、婉曲な断りを入れて使者を帰した。
――それにしても何故この時期に
と、駿府にいる4歳年下の義元を思う。
――我らの同盟が成り、危険を感じ取ったか
18の若さで家督を奪った男であるが故に、危機に敏感なのかもしれない。北条が侵攻してこないよう、布石を打とうとしたか。
――武田はどう出るか分からぬ
対上杉同盟があるとは言え、今川の扱いについては互いに言及していない。今川に下手な手出しはできないが、今川がこちらを恐れていることは分かる。
「玉縄の叔父上を」
この頃玉縄城を支配する長綱を呼ぶ。
――西は叔父上に任せよう
駿河の義元は父と戦い、父に敗れはしたものの、更なる侵攻を食い留めている。下手に手を出すよりも、手慣れた将に任せるのが無難であろう。
――妻にも顔が立つ
氏康の妻は今川家から嫁いでいる。河東の乱があっても北条のために尽くし、氏康の息子達を大切に育んでいる。
父は今川氏親、母は寿桂尼。つまり、義元の姉妹であり、氏康と義元は義理の兄弟となる。
恐妻ではないが、息子を強く育てようとしている節があるのは、寿桂尼の影響か。
「さて」
風魔にもう少し働いてもらわねば、と一人ごちながら席を立ち、何の気なしに外を見る。
相模湾には漁船であろう、小さな船が多く浮かんでいた。
道増という僧がいた。
父は近衛尚通。聖護院の門跡であり、この頃37歳。今川義元に乞われて駿府を訪れていたが、箱根の木々が芽吹くと共に小田原の氏康の下を訪ねた。
「街道の争いを収められましては」
どうやら今川家との和睦の使者であるらしい。
だが、それだけの立場では無い。氏綱は側室に近衛殿と呼ばれる女性を入れていたが、彼女は道増の妹であった。
門跡という高位にある縁者からの提案、という形でもある。
だが、北条家には独立独歩の考えがあるのかもしれない。都から駿河に流れた伊勢新九郎盛時がそうであったように、既存の権威というものがあてにならないと考えている節がある。
小田原評定と呼ばれる北条の合議制度は、北条の身内だからと言って軽々しく物事が動くものではないし、だからこそ家臣は北条家を信頼できた。
河東の権益は既に一部家臣にとって必要不可欠なものとなっているのである。
――またか
春先に武田からの提案を断ったばかりである。今川は余程焦っているのか、それとも三河尾張に大規模な侵攻を計画しているのか。
――それとも
兄を殺していながらも、義兄弟が家督を継いだ北条家に期待を抱いているのか。
――いずれにせよ、受ける訳には行かぬ。
今川は吉原城を拠点とした北条の勢いに不安になっているのであろう。西を攻めれば背後を突かれると。
氏康の使命は北条家を守ることであり、義元の支援をすることではない。隣国の肥大化は誰も求めていないのである。
「よろしければ妹君と昔話でもなされては」
氏康は道増の提案を受け入れず、身内としての話に終始した。




