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河東の乱  作者: 麻呂
三国
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万沢

 南部は甲斐南西部の南方に突き出た一帯であり、富士川により東西に縦断された地域である。駿河国と国境を接する重要拠点であり、富士川西の台地にある万沢には、武者隠しと呼ばれる造りが今でも残っているほどである。

 万沢の北では富士川が東へ向きを変え、すぐに南へ曲がったかと思うと、また北東へと流れており、天然の要害ともいえる一帯であった。今川家は万沢の北東に葛谷城、東南に白鳥山城、さらに東南に尾崎城を構え、武田は北に井出城、北西に城山城を構え、その間を少し北上したところに真篠城を構えており、万沢が戦場になるのは誰の目にも明らかであった。



 天文4年8月、武田方の穴山信友は台地であるこの万沢を抑えようと軍を進めた。東側から来る今川家を抑える為には、この要害の地を手に入れる必要がある。

「福島正成とはどれほどの武将か」

ふと思い出したように、信友は近くで馬に乗る兵に聞いた。ぽつぽつと答える兵は逆光のせいで顔が見難いが、聞き覚えのある遠縁の者であったようだ。

「猪武者か」

 聞けば正成は勇猛ではあるが、甲府に迫った際には寝返りを受けた挙句、横槍を入れられ退いたという。正成を討てるかどうかまでは考えていないが、猪武者が平地で走ってくるのならば対策の仕様はある。正成は過去武田家に辛酸を舐めさせた武将であり、甲斐の入り口でそれを退けたとなれば、信友にとってこれ以上の名誉は無い。何より今川と武田に揺れる家中を纏めるために、信友はここで活躍する必要があった。父も祖父も家中を纏めきれずに暗殺されている。

「殿、あれに」

 先ほどの兵が川の下流を指している。人差し指の先には100人程度の兵がおり、川沿いに進軍していた。

 威力偵察か囮であろう。斥候にしては無駄な人数であるが、本気の進軍には足りない。

「丁度良い。万沢口で待ち構えよう」

 信友は馬の足を速めながら伝令を呼び、足軽大将らへの指示を伝えた。



 福島正成の攻め方は、硬軟織り交ぜた老獪なものである。14年前は敵地奥深く入り過ぎ、同心した筈の国人衆に裏切られ敗退したものの、甲州人にとって福島正成は恐ろしく、忘れられない存在であった。

 正成は葛谷城から井出城に向かい兵を出した。どちらの城も富士川の東岸であることから、双方ともに予想している通常の寄せである。だが、正成の狙いは穴山衆の寝返りにあった。井出城が事前の打ち合わせ通り寝返れば、万沢に出てくるであろう信友は、即座に兵を引かざるを得ない。

「合流できるかのぅ」

 これまでも穴山衆は武田に付き今川に付き、風見鶏のように所属を変えてきている。だが、それは家中の意見を統一できるだけの存在が無かったからであり、逆に言えば各々が意見を持ち合わせているため、少し突いて内応者を出すのは容易である。しかし、その内応がどこまで信用できるかは流石の正成も不安が残る。

「柳を流すには風を吹かし続けねばならぬな。」

 老将、と呼ぶにはまだ早い正成は、尾崎城から富士川沿いに100人を先発させ、時間差をつけて400人を送り出した。


「葛谷城、尾崎城から兵が出た模様です」

 伝令の報告を聞くと、正成の息子、綱成は白鳥山城の兵達の前に姿を現した。萌木色の甲冑姿が映える若武者であり、威のあるその姿は正成が期待をするだけのことはある。

「これより我らは万沢を取る! 既に東の兵は出ており、我らは背後から敵を叩く!」

 正成の策は多方面から翻弄し、敵を疲弊させるものである。敵が万沢を抑えに来ていなければそのまま抑えて真篠城を伺えば良く、定石どおり来ていれば、尾崎城の先発隊が囮になるであろう。囮に掛かって出てくれば引き、後発と合流して持ち堪えればれば、万沢を押さえた綱成と挟撃できるし、囮に掛からなくとも万沢を東と南から攻められる。


 兜の緒が少しきつかったか、などと思いながら正成は床几に腰を下ろした。

「さて、読まれたとして」

 自分が武田ならどうするか。

「全力で万沢を抑え陣を敷き、井出の兵に東を抑えさせ、信虎を待つ。が」

 既に北条からの援軍が小田原を発っているはずである。足柄より御厨に入り、須走を経て吉田へ攻め上がる。

「甲府の信虎は郡内衆を取るか、わしと今一度会うか」

 昔の恋人を想うかのように正成は遠い目をした。信虎が来るのならここで全力で叩く。だが、そうでないのなら兵を減らしたくない。ここでしばらく持ち堪えるだけで武田は負ける。自分達が一気に北上するのは、もう少し後のことである。

「会えるものならもう一度会いたいが、福島のためには会わぬが吉かな」

 それにしても食えぬ男よ。と、正成は思う。

「氏親公の血かな。人使いが荒いが上手い」

 甲府を見るか、などと発破を掛けてはいるが、正成が甲府にまで攻める必要は無い。それを承知の上で信虎を意識させ、武田と戦わせる。平たく言えば良い大将であろう。だが、正成の目は是とも否とも取れぬ遠い目のままであった。

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