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河東の乱  作者: 麻呂
河東
38/52

裏切り

 父を追放した晴信は、父が行っていた信濃侵攻を継続した。いや、これまで手を出さなかった諏訪にまで手を広げており、侵攻を本格化させた、と言って良いだろう。

――信濃を獲らねば、武田は亡びる

 信虎の生霊が乗り移ったのではないか、と本気で心配する者もいたが、晴信はようやく甲斐を知ったのである。

――父は遠慮していたのだ

 あれほどの戦を繰り返していた父であったが、今の晴信が見れば「手緩い」とさえ言えよう。

――まずは諏訪を

 諏訪頼重は父の盟友でありながらも、晴信からすれば信用し切れない同盟相手である。

 元々信虎と頼重は争っており、武田の駿河攻めの際に手を結んだに過ぎない。その後も利害関係の一致から、共に佐久を攻めたりしているが、その関係は微妙なものであった。


 「武田信玄」が好きな方なら疑問に思うかもしれない。南無諏訪南宮法性上下大明神を旗印に、諏訪法性兜を被った武田晴信が、何故諏訪を攻めるのか。諏訪頼重は諏訪大社の大祝である。

 諏訪大社と言えば二社四宮の神社であり、古代から続く神社の一つである。蝦夷征伐の頃より軍神として崇められ、鎌倉、室町と武士に崇敬された。晴信もその神威を敬う一人である。

 諏訪は戦国期を待たずして大祝を中心に武装化し、地方領主化していたため、晴信からすれば小豪族の一つに過ぎなかったのかもしれない。


 晴信にも言い分はあろう。

 滋野一族の海野氏の生き残り、海野棟綱は山内上杉氏を頼り旧領回復を目指していた。その山内上杉氏の信濃攻めに際し、頼重は単独で講和をし、領地割譲したのである。

 信虎や晴信からすれば、諏訪の武田・村上に対する裏切りであろう。

 無論、頼重はそう思わない。そもそも諏訪頼重は諏訪大社の大祝おおほうりである。諏訪の生き神として君臨する立場であり、武田が村上がと言う立場では無い。

 鎌倉公方と大祝のやり取りに、地方豪族が文句を言う方が間違っているのであり、そもそも約定通り佐久を攻めており、裏切りなどと言われる筋合いは無い。


 晴信は父が結んだ諏訪との同盟を破棄し、諏訪領に攻め込んだ。

 この時は小競り合い程度で終わるが、晴信はクーデターから1年程度の時期であり、足元を確認するためであったのかもしれない。諏訪を攻めることは諏訪を信仰する家臣の動揺を招く恐れもあり、慎重に行わざるを得なかったと思われる。

 武田の侵攻から諏訪を守り通した頼重は、翌年信濃守護小笠原長時らと甲斐攻めを行うが失敗する。

 繰り返すが、この時代は小氷河期とも言える時期で、寒冷地の耕作には厳しい時代であった。諏訪は甲斐よりはマシな程度であるが、それでもその台所事情は厳しく、1郡しか支配していない諏訪が敗北するのは、支持基盤を失うことにも繋がりかねない。

 宗教的権威を持つ頼重であったが、一門から見れば当主の重なる失策は交代のチャンスでもあり、その結束にヒビが入るまでそう時間は掛からない。

 晴信は諏訪一族内の不和を受け、一門である高遠頼継らを味方に引き入れることに成功した。頼重亡き後も同じ諏訪氏が継げるということを暗に示し、諏訪家臣の動揺を誘う。


 天文11年6月、晴信は頼継らと共に頼重を攻め、矢崎原や桑原城で戦った後、7月に和睦を申し入れた。大祝たる頼重の命を保障する内容であったが、晴信は頼重とその弟を自害させ、高遠頼継との間で諏訪領の分割を行うが、更にその2か月後、頼継との間で戦が起こり、晴信は諏訪領を手中に収めることに成功する。



 この頃の河東は、武田が信濃へ、北条が関東へ手を伸ばし、今川が尾張へと行動していたため、目立った動きはみられない。

 だが、時を置いた天文13年、武田と北条の間に上杉家を対象とした甲相同盟が結ばれた。

 これにより、河東がまた騒がしくなる。

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