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河東の乱  作者: 麻呂
花蔵
22/52

思惑

 信虎が甲斐を纏めるのに苦労をしていたことは先に軽く述べた。甲斐の内乱は今川家の手によるものが多いが、信虎は一門や国衆を何とか纏め上げ、甲斐一国の主として君臨する。

 幾度かの内乱の中に西郡の大井信達ら大井氏によるものがあり、和睦の証、と言えば聞こえは良いが、実質人質のような扱いで嫁いだ女性が信虎の正室、大井の方(大井信達の娘)である。

 今更語るまでもないが、戦国時代における有力者の婚姻は政略結婚である。主観がどちらにあるかで変わるが、友好の証であり隷属の証であり、言わば人質という形態と、有力者との繋がりを得るためのものが主な形であろう。

 信虎は前者の形で妻を得、晴信は後者の形で妻を得た。そして今回、駿河の若造が自らと繋がりを持ちたいと言うことである。


 今川家との婚姻話が出た際、信虎は我が意を得たとばかりに喜んだ。今川北条は主従関係であり姻戚関係であり、濃密な関係を続けている間柄である。花蔵の際に義元を応援することで、その関係に楔を打ち込むことを目論んでいたが、見事に、それも大きな楔を打ち込めたことに満足していた。

――勝った

 縁談の話はすぐに広めた。この話が進んでいる、という事実が一つの楔となるのである。北条に聞かせる必要もあったし、これが破談になったとしても北条は今川を信用しなくなるであろう。

――松が嫁に出なかったのもこのためと思えば

 信虎夫人の大井の方は永正16年に長女松姫を産み、その後晴信、信繁、信廉を産んでいる。この時代の女性にしては珍しく、子の教育を重視する母であり、彼女の強い意向を受け、子供達は甲斐における高等教育を施された。

 個性が強い人間ほど家族や身近な者に対する愛憎が激しいのであろうか。信虎は松に対して深い愛情があったようであるが、それは娘の我儘を聞くだけの父の姿とも言え、既に縁談を幾度か流していた。だが、今回に限って否やは無い。

――行き遅れては困ったところだ

 正直な気持ちであろう。松姫はこの時18歳であり、義元と同じ年である。戦国の姫として政略結婚する覚悟はできていたであろうが、今川家に、しかもつい先日兄を殺し内乱を鎮めた戦国の申し子のような男に嫁ぐなど、夢にも思っていなかった。


――弟は「晴」であるのに

 聞けば嫁ぐ相手は「義」元であるという。将軍義晴から頂いた字の重みだけで、その価値が分かろうというもの。

――父は大層ご苦労なさったと聞いたけど

 信虎は粗野に見えて諸事明るく、将軍や天皇の価値も理解できていた。だからこそ甲斐国主として跡取りに諱を賜ったり、公家との関係を築こうと努力しているが、彼が散々努力した結果が「晴信」 ―恥ずかしくない成果であるが― であり、比較してしまうと複雑な胸中となるのも分からなくはない。

――私が公方様に連なる方に輿入れするなんて

 分からない。自分は甲斐のどこか、有力国人に嫁ぐものとばかり思っていた。正直なところ父の周囲は教養の無い者ばかりで、詩の一つも詠めない男ばかりであるように思えたし、そんなところに嫁ぎたくは無いと思っていたから、今回の縁談は松姫にとって瓢箪から駒のような出来事であった。

――玉鬘のようにはなれないけれど

 ともすれば行き遅れと言われそうな松姫であったが、偏にその教養の高さが問題であったと言える。源氏物語の登場人物に己を重ねたくなる姫は、この時代、甲斐ではただの変わり者である。

 一人クスクスと笑う松姫を周囲は気味悪そうに見ることもあったが、これまでの縁談を拒否 ―本人にそのつもりはないにしろ― してばかりいたことを考えれば、今の様子は良いことであろうと皆が納得していた。



 躑躅ヶ崎が穏やかな空気に包まれる中、小田原は剣呑とした空気に包まれていた。無理もない。安全保障の前提が覆されるような話が舞い込んできたからである。

「まさか、とは思うが」

 氏綱はその重大情報に接し、すぐには信用できずにいた。これまでの経緯から考えれば信じられぬ話であったし、信じたくない話であった。

 風魔からの情報では、既に駿府や甲府では輿入れの話が噂になっているようで、戦に飽いた民衆からは好意を持って受け入れられているという。

「この話、更に調べよ」

 そして何事も準備せよ、と続ける。風魔の報告者であるこの男にそう伝えれば、後は分かるであろう。

――オモテからも確認せねば

 今川家はまだ友好関係であると言える。形式上かもしれないが、少なくとも内乱直後の今川家であれば、そう簡単に直接の敵対行為は起こせないであろう。だが

――滅びる

 氏綱の脳裏には三方向から攻められる最悪のシナリオが浮かんでいる。

 相模を守るためなら悪鬼とでも手を結ぶ覚悟がある。だが、四面楚歌に追い込まれた後では地獄の悪鬼は手招きしかしてくれない。

――義元は何を考えておるのか

 花蔵の折には北条も義元側として兵を出した。武田よりも多く出しており、当時の義元勢にとってこれ以上ない援軍であった。

 だが、義元の答えは武田と結ぶというもの。しかも自らの正室を武田から迎えると。

――オモテは三郎が良い

 北条長綱。幻庵という名の方が有名であるが、今は箱根権現で僧籍にある。仮に今川家が敵意を持っていたとしても、弟であり僧である長綱は使者として適任であった。

「長綱を呼べ」

 外交ルートと並行して諜報活動を行う。ありきたりではあるものの、最適な対応である。場合によっては風魔に流言や暗殺等の妨害を行わせ、この同盟成立を阻止させなければならない。

「これも戦よ」

 誰にともなく氏綱は呟いた。

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