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河東の乱  作者: 麻呂
花蔵
21/52

婚姻

「不思議なものよ」

 商人がしみじみと呟く。一年前には誰も想像できなかったであろう。駿河と甲斐を行き来する者が増えたのである。

「うちも忙しくなるかな」

 一介の商人に国のことは分からない。だが、人や物の動きが良くなれば、それは商いにとって良いことであることは分かる。

「そうなれば川を使いたいが、ま、無理であろう」

 富士川は急峻な川であり、物流に使うためには整備が必要である。江戸時代になってから整備されたが、この時代この商人にとっては障害でしかない。

「何にせよ、新しい御館様が上手くやってくれれば」

 うちらは助かる。と、商人は北へ進む。



 花蔵の乱は恵探の死を以って終結し、義元は論功行賞に移っている。以前にも述べた岡部家への感状を始め、戦以外の部分でも正しい評価を下さねばならない。

「御師が上手くやってくれれば」

 助かるのに、と、愚痴をこぼしそうになるのを堪え、義元はいつ終わるともしれぬ報告書に目を通す。

「何か」

 何時の間に立っていたのか、雪斎が静かに問うてきた。

「山猿の婚姻よ」

「あぁ、その話で」

 義元らは信虎の息子、晴信に対し左大臣三条公頼の娘を嫁がせようとしていた。晴信には既に正室として上杉朝興の娘がいたが、二年前の出産の折死去している。

 信虎にとっては公家と繋がるまたとない機会であり、花蔵の折に義元に付く理由の一つとなっていた。

「善知識なれば」

 と、義元は笑みを浮かべた。自らへの皮肉にも聞こえる。利益を与えると言いつつ、義元はそれ以上の見返りを得ている。また、信虎のことを善知識と呼んでいるかのようにも聞こえる。だが、義元は輿入れのことなど考えてもいない。ただ、雪斎の言葉に上手く反応し、愚痴を隠せたことを子供のように笑っているだけだった。


「ところで」

 と、雪斎が場の空気を絶つ。何とは無しに義元の表情も硬くなるが、その後の言葉は難しいものではなかった。

「御館様の婚姻も考えませぬと」

「あぁ、その話で」

 義元は当然のような声色でそう言うと、

「既に考えております」

 と、若い坊主が問答を解けたかのような顔つきで答えた。

「信虎を我が父としようかと」

「ほぅ、それはまた」

 雪斎としては意外なことであるが、驚くような話ではない。花蔵の際に武田北条が義元を支援したことで、これまでの懸念事項であった甲斐が友好国となった。東の北条はその成立の頃から親今川であり、新たに親今川となった武田と婚姻関係を結ぶことで、その縁を確実なものとすることができる。

「御師、お忘れか。全ては三河よ」

 義元にとって石高の低い甲斐には何の興味も価値も無い。武田はそのまま甲斐の山中に籠っていれば良いとまで思っている。

 一方、三河や尾張は岡崎平野、濃尾平野と魅力的な土地であり、一刻も早く抑えたいところであった。

「確かに」

――だが早い

 雪斎の見るところ、義元はその若さに似合わず深謀遠慮な為政者であり、将来は名君となるであろう。だが、若いことは経験不足であり、何より大切な挫折を知らない。

 三河を望むのは雪斎自身も同じこと。だが、家中が収まりきっていない今、若さに自信を加えた義元の判断は危ういと言える。

――が、良い

 北条はどうでるか。恐らく怒るであろう。氏綱は領国維持、相模を守ることを第一に考えており、その脅威となる武田・上杉に対抗するため、今川との同盟関係を選択している。

 義元は北条との友好関係は永続すると考えているようだが、同盟関係の前提条件を崩すような婚姻が歓迎されるか。

――学ぶであろう。

 名君になるためには挫折が必要である。それもなるべく若いうち、そして大きなものが良い。

 雪斎は報告書を読み耽る義元に目をやると、そっと目を細めた。

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