援軍
朝比奈泰能は躑躅ヶ崎館に入ると、悠々とした所作で控えの間に座る。甲府は蒸し暑かったが、床板の冷たさが丁度よく感じられ、思いの外心地良かった。
「備中守殿、こちらへ」
ほどなく信虎の近習が声を掛け、信虎の下へ案内すると言う。
歩きながらに周囲に目をやるが、無骨と思ってしまうほど館の造りは質素であり、武田家の懐事情が苦しいことが伺えた。
信虎を前にしても、先の戦の傷が癒えぬ武田にどの程度期待できるのか、そんな不安が脳裏を過る。だが、そんな不安はおくびにも出さず、慣れた様子で挨拶の口上を述べると、書状を渡して信虎の反応を待った。
「まさか義元殿がこの信虎を頼るとはな」
開口一番、信虎の言葉は正直な気持ちであったろう。氏輝が死去したとは言え、つい先日刃を交えたばかりである。
「某も同じ気持ちにて。この首が胴と離れて帰る覚悟もできております」
義元に対する嫌味であろうか。立場やこれまでの状況を見れば斬られてもおかしくない。
「越前守が謀反を起こしたとなれば、随分と手を焼いておられような」
見てきたかのように信虎は言う。事実、彼がこの時代で最も福島正成の手強さを知っているのかもしれない。
「先の戦では越前守にしてやられてな。弟の助けにも行けんかったわ」
笑顔で言う信虎に対し、泰能は何も言えない。ただ黙って頭を下げ続け、床板に見える節と目を合わせていた。
「安心せい。そちの首は刎ねぬ。刎ねるのは越前の首ぞ」
義元殿に伝えよ、と言うと信虎は泰能に近付き肩を叩く。
既に配備してある国境沿いの兵は正成を討つ為であり、義元の援軍としての大義名分を得た今ならば、何の遠慮も無く駿河に入ることができる。
――正成もこれで終わる
ここで義元に恩を売って北条との間に楔が打てればそれで良い。正成の居ない駿河は物の数ではない。
信虎は仇敵の使者を前に、終始笑顔でいた。
武田からの援軍は義元達の予想を超える速さで駿河に入った。先の戦のしこりはあるものの、打倒恵探、打倒正成で一致しており、その連携に齟齬は無い。
日を置かずして北条からの援軍も駿河に入った。これにより義元側の勝利は確実となったと言える。
既に正成は自軍の不利を悟っており、独自のゲリラ攻撃に軸を置いている。
一方の恵探も正成の方針に沿って戦線拡大に奔走してきたが、行く先々で先回りされており、敗戦を重ねるうちに正成の戦略眼に疑問を抱き始め、拠点である花蔵城での籠城策を選択した。
「籠ったか」
今川館に恵探籠城の報告が入ると、義元はこれまでにない笑顔で頷いた。
「我らの兵に武田北条を合わせ、1万5千は下るまい」
総攻撃の下知が下る、と考えた家臣は拍子抜けをすることになる。
「恵探側に付いた者共に降伏の機会を呉れてやれ」
これだけの数に刃向う者は出ないであろう。戦意を喪失した相手に戦いを挑む必要は無い。
今後のためにも今川の兵力を惜しまねばならぬし、武田北条の援軍バランスはとり続ける必要がある。
「正成に気力があろうとも兵が付いて来まい」
義元が他国の兵力を引き入れたのは、戦闘要員というよりも、相手の援軍に対する期待を潰し、精神的な圧迫感を与えるためのものと言える。
絶対的な数の差があってなお戦える者はまず居ない。逃げ道が用意されていれば猶の事である。
「正成も」
逃がして良い、と言う。討ち取りたいが、最後の悪あがきに付き合って兵を損なっては、今後の運営に支障が出る。正成が相手では小さな損害では済まないであろう。
――花蔵は別だがな
血の制裁が無ければ今川家は纏まれない。血を分けた兄弟であるからこそ、恵探には死んでもらう必要がある。
修羅道とは何か。義元は昔の癖か、禅問答に耽りながら報告を待った。
お付き合い下さっている方々には申し訳ないですが、諸事情で当面の間更新が遅れます。
ここ数週は推敲もろくにせず投稿しており、低レベルに輪をかけるのも心苦しく、落ち着き次第再開したいと思いますので、その際はまたお付き合い頂けますようお願い致します。




