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河東の乱  作者: 麻呂
三国
12/52

宴会

 明けて天文5年2月。北条の拠点小田原城には今川氏輝や福島正成らが訪れていた。先の万沢・山中における戦勝祝いである。

「流石は越前守殿、武田の者共は手も足も出なかったそうで」

「いやいや、某よりも相模の精強さが天下に鳴り響いた戦でございました」

 来客との祝宴である。互いに互いを褒めちぎり、酒の席に言葉で花を添える。

 福島正成は既に今川家筆頭家老として、また、氏輝の義理の叔父として大きな力を持っている。北条が気を使うのも道理であった。

 そんな正成の後ろには綱成がおり、酒を飲みながら話す父の姿を観察していたが、若干二十歳の綱成にはただの遊びにしか見えていない。そして、同じように父から少し離れた位置に座る氏康も同じであった。

――つまらぬ

 北条家の跡取りとしてこの場にいるが、やはり今川家の家臣達からそのような目でみられ、そのような対応を受ける。既にオトナとして幾度もこうした場に出てはいるが、どうも居心地が悪い。

 先の戦で活躍したという福島正成を見てみると、とても剛の者には見えず、むしろ細い目の祐筆のような印象を受ける。そしてその後ろには同じ年頃の、やはりつまらなそうな表情の若武者がいた。

――やはりそうか

 場を楽しんでいるのは相応の年齢の者達で、二十歳ではこの場を楽しめぬのであろう、と、氏康はそんなことに安心をし、同時にこの若者を憐れに思った。



 上座に並ぶ氏輝は、鯉の味噌煮を口に運ぶと氏綱に言った。

「今日こうして我ら並んでおるのも、全て宗瑞(早雲)殿のお導き。何とも有り難いことよ」

「その言葉、父が聞けばさぞ喜びましょう。箱根に弔っておりますれば、是非お立ち寄り下され。薬湯もございます故、よろしければ御逗留なさるがよかろう」

 箱根温泉は奈良時代からあるが、有名になったのは皮肉にも豊臣秀吉の小田原攻めの際である。

「有り難きこと。いずれ左京大夫殿を駿河の油山にご案内しましょうぞ」

 伊豆・箱根は現在でも有名な温泉地であるが、富士山周辺には有名無名問わず温泉が多い。火山活動の影響であろうが、25年前にも噴火をしており、現在の我々が抱く「美」を強調するだけの存在では無い。

 小田原からの帰路、氏輝は火山活動の恩恵の一つ、熱海温泉に立ち寄ったようである。

「次は甲斐を治めた後、一月かけて富士を周る宴などよろしいでしょうな」

「それは」

 思いもつかぬことを申される、と氏輝は笑った。日ごと移動しながら宴会をするなど考えたことが無い。

 春とは言えまだ肌寒い日もある。駿河も相模も温暖な気候であり、早春の味を楽しみながら将来の話をする。贅沢な宴であろう。

「この後も、我ら手を携えて参りましょう」

 夜が更けてきたところで祝宴は終わった。

 この日は月が良く見えており、氏輝の目には相模湾の水面が波に揺れ、月の光を白く砕く様子が美しく映っていた。



 同じ月は駿河の地も照らすが、駿河は朧月夜であった。

 そこには現状を望む者、変化を望む者、栄達を望む者、機を待つ者、様々な者がおり、様々な思惑の中で当主の帰りを待っていた。

 今川氏輝、小田原から帰った後、翌3月に死亡している。

旧暦では5月19日でも、新暦では6月12日。

今から457年前の今日、桶狭間で戦国史を書き換える大事件が起こりました。


そんな日ですので、ちょっと早めに。

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