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河東の乱  作者: 麻呂
三国
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湖上

 数の少ない武田が朝駆けをするであろうと、氏綱は四千の兵に番をさせていたが空振りに終わった。

「逃げてくれるか死兵となるか。いずれにせよ信虎が来る前に吉田を押さえねばな」

 いつものように寅の刻(午前4時)に起きると、東南の高地から西を眺めた。まだ秋の日は上っておらず篝火が点々としており、兵が動いている気配は無い。

「逃げぬか。困ったものよ」

 困ったと言うものの、いつも通りの硬い表情で陣幕に戻り、近習に手伝わせて緋縅の大鎧を身に纏うと、小田原鉢の筋兜を持ってこさせる。大将としての様相を呈したところでやや遅めの太陽が昇ってきた。

 氏綱は東南の鶴岡八幡宮に向けて遥拝した。



「皆、よう聞け」

 不惑に満たない信友の声が響く。

「相模の亀共が山中に陣取っておるが、奴らに呉れる米などこの甲斐には1粒も無い」

 兵は農民である。戦で乱捕りをした者もいるであろうが、させるつもりは無い。

「我らには逃げ場などない。村へ逃げたとてすぐにやつらに奪われよう。ここで持ち堪えねば郡内は奪われる。見てのとおり奴らは多い。だが、奴らにはそれだけ米がある。」

 慢性的な欠食にあった戦国時代においても、甲斐は特に酷かったであろう。そんな甲斐に生きる兵を鼓舞するには、何より米である。

「良いか、一人殺さばお主が食える。二人殺さばカカァも食えよう」

 所々で品の無い笑いをする者が出た。

「三人殺さば子も食えよう。十人殺さば若い娘も手に入ろう」

 いつしか拍子を取って歌う者まで現れた。死地に向かう今、自分を狂わすものが欲しい。生きていても重い税や兵役に苦しんでいるのが甲斐である。どんな形であれ楽になれるのならば、そこには光明が見える。

 信友は兵の士気が落ちていないことに満足すると、馬に乗って東に向かい鬨を上げた。

「エイ、エイ、エイ」

「わあああああああ」

 所々隊列を乱す者がありながらも、餓鬼達が進み出した。



 氏綱の許に先戦端が開かれた報告が入ったのは巳の刻(午前十時)を過ぎた頃であった。夜襲に備えていた兵は後方に下げ、また、別働隊を東から迂回させ、道志方面からの援軍に備えつつ、挟撃ができる態勢が整ったところであった。

「船は用意できているか」

 山中での戦いがあると踏んだ時点で、氏綱は簡易な海戦を意識していた。無論、武田にその発想は無いため、一方的に湖上から射掛けることで、戦況を有利に進めるためのものである。

「はっ、20漕できております」

「良い。すぐに」

 氏綱の指示を受け、即座に伊豆衆を中心とした海戦の手練れが湖上に漕ぎ出した。



 勝敗は始める前から決していた。戦に勝つことだけを考えれば、信友は吉田に引くべきであったし、そこで籠城して信虎を待つのが上策であろう。だが、政治的な戦略は戦術に優先される。

 信友は武田家の戦略を理解したからこそ自らの死を選択し、そしてその最後を飾ることを望んでいた。

 山中に行く途中にある忍野八海周辺は林が多く、北条側から絶好の目隠しとなる。無論互いに斥候を出し合っており、いかに早く相手の情報を得ることができるか勝負となるが、今回に関しては山中湖の北へ出るか南へ出るか、戦力差を度外視した信友の気持ち一つである。こうした欲得無い者ほど戦場での扱いに困る者は無い。

 定石であれば ―引かぬ時点で外れているが― 北へ向かい、道志方面からの援軍がいるように見せかける等の小細工を弄すべきであるが、信友は華々しい戦を、それも甲斐源氏の末裔として絵巻物にあるような悪鬼羅刹の如く振る舞える戦いを望んだ。

「南へ出よ」

 信友の指示は、北条本隊へと真っ向から当たるものであった。



 街道の狭さを利用して、戦端が開かれた時こそ優勢であった武田勢であるが、圧倒的な兵力差の前に擂り潰されるように数を減らし、午の刻(正午)を過ぎる頃には武田勢の数は3百も無く、最早壊滅を待つばかりとなっていた。

「小林左京介様、お討死」

「小山田弾正様、お討死」

 次々に入る劣勢の報を聞いても、信友は平然としていた。彼はここで死ぬことを求められた政治上の駒であり、武田一族の名を高めるための役者であった。既に死に対する感情は無く、最後の舞台を待つだけの信友であったが、そんな彼の表情を変えるものが一つあった。

「ほう、これは異なものを」

 山中湖に浮かぶ船である。決して大きなものではないが、海戦をしたことがない信友にとっては珍しいものであった。

「我らの船を見たいものであったが」

 今生では無理だな、と口元を綻ばせると、フゥと大きく息を吐いた。

 良く整えられた髭を右手で擦り、兜の緒を掴んで下に二度引き、乾いた口に残る唾を呑み込みむと

「遠からん者は音に聞け、我こそ武田左京大夫が弟、勝沼安芸守信友なり。北条の者ども、我を討って手柄としてみせよ」

 あらん限りの大音声で叫ぶと、自らを鎌倉の武者と重ね合わせ、武田家のために馬の腹を蹴った。


 郡内の寺に残る記録によれば、この日武田勢3百以上が打ち取られ、7百以上が打ち捨てられた。

 北条勢も数百人が打ち取られているものの、この日のうちに吉田に攻め上がり火をかけている。

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