一日遅れのクリスマス
十二月二十四日、世間はクリスマスイブだ。
今日仕事を定時で上がらせてもらった私は急いで彼氏との待ち合わせ場所へと向かう。
渋谷のハチ公前には予想通り恋人達が待ち合わせ場所として集まっていた。
少しずつ時間の経過と共に、恋人達が交差点を通り街の中心へと抜けていく。
気温は夜とは言えまだ暖かいので、私は薄手のトレンチコートと茶色のショール、中は最近購入したオフホワイトのニットワンピースに黒のストッキングと、黒のブーティーを履いていた。
普段、あまりおめかしはしないのだが、去年彼氏にもらったイヤリングと、誕生日に買ってもらった小さなハートマークのネックレスをつける。
姉からもらったお古の化粧セットは年に数回しか活躍しないのだが、今日は彼氏に会う特別な日だったので薄いブルーのシャドーに、ピンクのルージュ、頰には薄くチークを乗せて派手にならないようにメイクまでしていた。
待ち合わせ時間は十八時。
時間に遅刻しない彼から連絡がない。私は不安になり、彼の携帯に電話をかけた。
しかし、コールに出たのは機械音声で、メッセージをと言われたので、私は素直に「着いたから待ってるね。お仕事お疲れ様」と入れて電話を切る。
その後も恋人達は私の前で幸せそうに笑いあいながらごめん待った?と楽しそうに会話している。
私だって、今頃は…
携帯を開いても彼…俊ちゃんからの連絡はない。
どうしたんだろう。もしかして、彼はモテるから違う人と会う事になったのかな。
来れないなら最初から言って欲しかった。せっかく、俊ちゃんに見て欲しくて仕事ではしないお洒落とメイクまでしてきたんだよ。
もう一度電話しようか悩むが、もし仕事が忙しいなら、何回も連絡するのはしつこいかも。
待てばいい。昔は私だって、友達を六時間待ったんだぞ。あの時は裏切られたけど。
やだなあ、雪が降ってきた。思い出すんだ、待たされると、惨めに待ちつづけたのに、それを影で笑われた悲しい記憶。
いや、俊ちゃんはそんな人じゃない。来てくれる、もう少し。
「あれ、晶さん?こんな寒い中で何してんですか?」
「あ、彗さん。えっと、お兄さんを待ってるんです」
俊ちゃんの弟さんの彗さんが、彼女さんと一緒に腕を組んで歩いていた。
羨ましいくらい幸せそうな二人に、私は精一杯の笑みを返す。彗さんが何やってんだよ、と携帯を取り出したので、私は慌ててそれを制止した。
「俊ちゃんは仕事遅くなってるだけだから、大丈夫! 二人は楽しんでらっしゃい?良いイブを」
「え、えぇ。晶さんも、あまり兄貴が来ないようでしたら早く連絡した方がいいですよ?」
優しい彗さんの言葉に頷きながらも、私はまた小さなため息をついて彼が来るのを待っていた。
二時間くらい経って、ようやく周りが暗い事に気付く。
街並みのイルミネーションや、恋人達が甘い言葉を囁きあっている事に段々腹が立ってくる。
何がイブだ、クリスマスだ。彗さんにはああ言ったが、彼は、今日から仕事を入れていないはずなのに。
もう一度俊ちゃんの携帯に電話をかける。また機械音声かと思いきや、電話に出たのは女性だった。
『もしもし?』
私は唇が震えて声が出なかった。どうして俊ちゃんの携帯に女性が出るの、どうして俊ちゃんは私に連絡もくれないの。違う女性と会うんだったら、最初から期待なんかさせないでよ!
無言のまま私は携帯を切り、溢れた涙を乱暴に拭うと駅の方へと足を向けた。
※ ※ ※ ※
「38度だ……」
熱っぽいな、と思っても実際に熱を計るとその温度にガッカリしてしまう。
私は泣いて帰宅したクリスマスイブ。
何度か俊ちゃんから電話が入っていたのに気づいていたが、全て無視し続けていた。
やけ酒のようにコンビニで買った杏露酒をロックで飲み、二本ほどジントニックを飲んだところでやっと潰れて寝た。
エアコンもつけてない、リビングで倒れていたんだから風邪を引いた所で自業自得だ。
職場にはクリスマスは彼氏と過ごしたいから、とみんなが休みを希望する中、何とかあみだくじで勝ち、二十六日まで三連休を勝ち取っていた。
しかし、この発熱が明日まで続くのであれば今度はインフルエンザの検査に行かなくてはならない。
「最悪。私にはマリア様のご加護なんてないね」
気だるい身体は高熱と、二日酔いのせいでうまく動かない。
汗か酒か分からないその匂いが嫌だったので私はふらふらしながら浴室へと足を向ける。
泣いて、メイクはまだらで、目の下にはくま。
酷い顔だった。こんな顔ではとても外には行けない。
シャワーを浴びていると再び遠くで携帯が鳴っていた。メールでお詫びでもすりゃいいのに、余程自分の口で言わないと納得出来ないのか、俊ちゃんからは電話の着信しかなかった。
熱いシャワーを浴びてから部屋着に着替えてストックの解熱剤を飲む。
ショックのせいか、お腹は空いているのに食欲なんて無かった。
毎年イブは俊ちゃんとケーキ食べてたのに。今年は一人か。あ、それ以前にこんなフラフラでコンビニ行くのも辛い。
「あーっ、しんどい」
私はテーブルに突っ伏しながら、見たくもないクリスマス特番のテレビをつけた。
世間の話題は恋人達の話ばかり。冷蔵庫からペットボトルの水を取り出して乾いた喉を潤す。
その間に再び携帯電話が鳴っていた。もう無視し続けてあちらも辟易しているだろう。
真面目な彼も、私がこの電話に出たらブチキレて関係も終了? 嫌だ…俊ちゃんと離れたくない。いい加減電話に出よう。
「もしもし…」
『ようやく出よった。心配しとったんやぞ、このアホ』
いきなりアホと言われてカチンときた。こういう時すぐに怒りのスイッチが入ってしまう私は二言くらい余計な事を言ってしまう。
「へえ、イブに女性とご一緒だったんでしょ?さぞ綺麗な人だったんでしょうね。地味でアホでブスな私と、仕事も出来てフットワークも軽くて、イケメンでモテモテの俊ちゃんとは、最初っから釣り合わないって分かってたわよ!」
『は…? 晶、どないしたんや。オレは…』
「こんな何十回も不在着信並べるくらいだったら、最初から会えないってメールくらい送ればよかったでしょ! 私は…!」
勢いのあまり怒っていたらいきなり目眩がしてきた。
電話の途中だったが、私はそのまま意識を失ってしまったらしい。
遠くで俊ちゃんが私の名前を呼んでいる声だけが聞こえていた……
※ ※ ※ ※
目を覚ました場所は病院だった。私は発熱による軽度なや脱水で軽く倒れてたらしい。
病院の白い天井を呆然と見上げ、意識も戻ったし点滴だけして帰りましょうと言われる。
ああ、同業者の体調管理不足。情けない…
いつの間にか繋がれている点滴をぼんやりと見つめていると、遠くから聞き慣れた関西弁が聞こえて来た。
その足音と声は次第に近づき、私が眠っていたベットのカーテンを豪快に開けて入って来たのは、先ほど此処に着いたという容姿の俊ちゃんの姿だった。
彼の精巧な顔立ちは少し崩れており、その目には珍しくくまが浮かんでおり、どこか少しやつれた印象がある。
「やっと起きたんか」
ため息をついた俊ちゃんは、私を冷たい目で見下ろしていた。そして無言でまたため息をつく。
これは不機嫌な彼の態度だ。言葉は少なく、どこか苛々した様子はあるが、それを出さない。
息苦しい沈黙を破ったのは、彼のインテリ弟の彗さんの笑い声だった。
「しかし、何年かぶりの暴風雪のせいで、新幹線が徐行とストップでしたもんね、兄貴もこちらに来るの間に合って良かったですね?」
「あっ、コラ彗! 余計な事言わんでええ!」
ニヤニヤと後ろで彗さんが笑っている。全く状況の飲み込めない私は、機嫌の悪い彼から、大阪は大雪と、暴風雪のため交通マヒのニュースを見せられる。
イブの日に、俊ちゃんは東京行きの新幹線に乗る予定だったが、前日の朝から暴風雪という異常気象に、雪に慣れていない関西地方は珍しく交通マヒを起こしていた。
それのせいで新幹線を諦め、深夜バスに切り替えようと彼が手続きで奮闘している間に、偶然かかってきた電話に、同じく東京に向かおうとしていた同僚が代わりに出てくれたらしい。
その後のフォローの為に、何度電話をしても私が勘違いをして全く着信に出ないので、俊ちゃんも困っていたのだ。
「俊ちゃん…ごめんね」
「仕事納めしてきたから、後は年明けまでこっちでゆっくり過ごさせてもらうわ。誰かさんが怒ってるみたいやから、彗のトコ厄介なるかな」
「えっ……だめ!」
私は点滴していることも忘れて、去ろうとした俊ちゃんのダウンを引っ張った。
点滴スタンドが倒れそうになったので、慌てて支える。
振り向いた俊ちゃんは口元にだけ意地悪な笑みを浮かべていた。
「どうして欲しい?」
優しい声で囁かれ、大きな手で頭を撫でられる。
その後ろでは彗さんがウンザリしたように大きなため息をつき、病院なんでそういうのは帰ってからにしてくださいよ、と苦言を呈していた。
彼が再びカーテンを閉めて密室空間を作ってくれたのをいい事に、私達はこっそりと唇を合わせた。
その後点滴は一時間で終了し、ただの脱水だったので、私はすぐに家に帰る事になった。
少し前を歩く俊ちゃんに慌ててついていき、その手を握る。
「あのね、俊ちゃん! うちに、来てもいいよ?」
「アホ。最初っから晶んトコ行くに決まってるやろ」
少しだけ呆れた声でそう囁かれ、近くに誰も居ないことをいい事に、彼は私の耳朶を噛み、耳の中をペロリとなめた。
突然の事に驚く私を尻目に、彼は楽しそうに口笛まで吹いている。
「ちょっと!」
「お前が、オレが浮気したとか、ありえんコト妄想した罰や。覚悟しとけよ?」
表情はそのままで、彼は小さく笑い、私にその手を伸ばした。
優しくて大きなその手を取り、私は彼に抱きつく。
「慣れない深夜バス、疲れたでしょ?」
普段、絶対そんな移動手段なんて使わない彼が、どれ程私を心配して急いで来てくれたか。
1日遅れのサンタクロースは、私の目の前に恋人達の祝日をくれた。
私は背伸びをして、彼の頰にそっと唇を寄せる。
「メリークリスマス、俊ちゃん」
「ほんま、お前は……」
可愛すぎるやろ…と小さな声が頭上で聞こえたと思い、ふと顔を上げると、獣になった彼は私の唇をさらに深く塞いでいた。背中をかき抱かれ、口の中には彼の舌が私のに絡みついている。
ここ、病院の前なんですけどっ!!
…これも、俺様彼氏の独占欲なんだなと思い、私は甘んじて彼の小さな嫉妬を受け入れて、彼の広い背中を抱きしめた。
世間はクリスマスも終わったけど、私達にとっては、今日が特別な記念日です。
皆様も、素敵なクリスマスイブをお過ごし下さいね(〃ω〃)
何気ない日常の中に、幸せはあります!
俺様彼氏の何気ない優しい一面をお楽しみ頂けたら嬉しいです。




