掌編『荒野にて死は光となる』
渇いている。この心と体を表すなら、その一言に集約出来た。見上げれば太陽は灼熱。それを避けて俯くことを許さないかのように、照り返しが私の目を焼こうとしていた。そこへ行かないなら此処で朽ちろ。
私は四人の亡霊と共に荒野を歩いていた。亡霊達は赤い。私は、この亡霊達に生きる事と死ぬ事を監視されている。
目的の町は、まだ遠く離れていた。金曜日迄に、つまり明日迄には町に着かなければならない。それが約束だから。
私は西へ向かい歩いて行く。空は抜けるように青く在った。荒野は熱気を孕み、揺らめいている。
乾きの中を歩いて行くと、私は不意に馬の嘶きを聞いた。私は嘶きのする方へと進んだ。褐色の岩が屹立する陰で誰かが休んでいた。『ツァディ』という曲を掠れた声で歌っている。鹿毛の馬を連れている。私を囲んで砂埃が立ち、私の髪に絡んでベタついた。あれは私が町まで行くための馬だ、私はそう思った。
私は銃の撃鉄を起こし、歌っている白い者に近付いた。そして、撃った。鋭利な砲音が伸びやかに谺する。硝煙の香りが鼻を衝いた。二発、三発、立て続けに五発撃った。悲鳴と呻きを発しながら日向に逃げ、蠢く体。脳天から血飛沫が上がると、その者は動きを止めた。不浄鳥が天空を旋回している。死骸を食べに降りて来る。次いで二位の天使が降りて来た。肉体を撃ち殺すと霊体と魂が脱出する。その霊魂を殺すために天使達が降りて来ている。あらゆる獣の要素を混ぜた恐ろしい容貌で現れ、霊魂を挟んで二位で立ち、その首を絞め、殴る蹴るを繰り返し、物凄い力で手足を引き千切った。やがて、霊魂は橙と緑の色を発する光となり、蒸発するように消えた。
私の右手には『アフェシスの銃』がある。これは私への褒章であり、持物である。くすんだ灰青色、有翼の銃身。握りには蛇の彫刻が入っていた。弾倉には人挿し指の骨がひとつだけ詰めてある。私が幾ら撃っても、その骨が無くなる事は無かった。
私は、『ツァディ』を歌っていた者が所有していた品物の幾つかを私の所有とした。鹿毛の馬、馬に備えてあった鞍や轡などの馬具。燐寸。残り少ないウイスキーの壜を一本。私はフェルトの帽子を被り、履物を脱ぎ捨てて、拍車付きの革長靴に脚を突っ込んだ。薄汚れたチュニックの腰に銃帯を巻いた。そこにアフェシスの銃を終い、吊り下げる。銃はずしりと重いが、時折、不意に軽くなる。それは銃身の翼が羽ばたく時だった。
私は馬に跨がった。踵の拍車を当てると馬が走り出す。私の頭の中で『ツァディ』が再生されていた。
馬はよく走った。私が馬に乗るのは初めての事だったが亡霊達が手伝ってくれたお陰でぐんぐんと速度が上がる。過ぎて行く、壮大で荒い景色。繊細さの無い力でざくざくと造り上げたような風景。瑠璃の青と赤褐色が滲む地平線。髪を靡かせて馬上に跨がる私は、赤い亡霊のように見えるだろうか。
途中、平原に線路が這い、それに沿って進んでいた幌馬車を白い追い剥ぎの集団が襲っていた。私は馬を駆りながら、少し離れた位置から見ていた。高級な衣服を身に纏う男が馬車から転げ落ちた。その男も白い。互いに撃ち合い、馬上の私の耳にまで銃声が届いた。
巨大な夕陽が荒野と私達を、真っ赤に染め上げて行く。程無く、夜が迫るだろう。私は軽い眠気に襲われ、馬を止めた。涼しい風が遠くから荒野に吹き渡る。
陽が落ち切ると私と亡霊達は、星明かりの中で辺りの枯れ草を集めて焚き火を起こした。それは焼けた死体の匂いに似ていた。赤い亡霊達は泣き叫んでいる。その嘆きと匂いを嗅ぎながら私はウイスキーを飲んだ。
私は、いつの間にか眠っていた。その間、夢を見ていた。死に掛けた四人の体から数十発の銃弾を除いて消毒し、包帯を巻いてやる夢を。四人から問い掛けられ私が頷く。夢の中で微かな鐘の音が聞こえた。それは私の古びた夜が死に絶える合図だった。目を覚ませば、今日は金曜日の朝。
私は再び西へ向けて馬を走らせた。
やがて、太陽が南へ達する頃、遠くに集落が見えた。町だ。井戸があるだろう。私は其処で水を得る。私は西へ向けて馬を走らせた。砂埃が荒野に舞う。
町に着くと私は馬を降りた。側にユッカの木が数本生えているのが目に着いた。鋭く厚い葉。
町の入り口には、柱を二本立てただけの門がある。そこに掛けた横木に数人の赤い者が首を括られ吊り下げられていた。遺体は私刑を受けて傷だらけだった。
入り口にいた二人の白い子供達が吊り下がった遺体に石をぶつけて遊んでいる。アフェシスの銃翼が羽ばたき始める。私は躊躇したが、四人の亡霊が私を監視していた。私は銃爪に指を掛ける。私はそのまま首括りの門を潜った。子供達は私を目掛けて石を投げて来たが、私は私に当たる前に石の礫を撃ち落とし、次いで二人の子供を撃ち殺した。抜け出た霊魂を天使達が処理する。その光景を横目に何気無く門の柱を見ると、この町の名前がナイフで彫られていた。否、この場所は、そんな名前では無かった筈だ。
私は真っ直ぐな大通りを歩いた。砂埃の舞う通りには木造の建物が並んでいた。どの建物にも張り出した軒があり、それが廻廊のように連なっている。雨宿りに適していると私は思ったが、空は群青で塗り込められて、雨が降る気配は無かった。人影は無い。通りに出ている者は無いようだ。酷く暑いことが原因だろうか。
軒を支えている柱には指名手配書が貼り付けてある。どの建物の柱にも貼り付けてある。その全てが私の顔であると、私は感じた。
歩みを進めて行くと、町の中央には酒場が数軒あった。扉は発条式開閉。私が中に入ると扉は勝手に閉まった。扉は閉まり、此処からは、もう、出られないのかも知れない。
酒場に入ると粗野な男達が私を睨み付けた。店内は薄暗いが南向きの壁の隙間から一条の光が射し込んでいた。何人いるかを数える。九人。四人の者は牛追いのようだったが、金塊を積み上げた卓子を囲んでいる五人は、強盗団の類だろう。
強盗達の大袈裟な自慢話が耳に入って来る。
「騎兵隊のマヌケどもは、盗まれた事に気付いてやしねえ!」
金塊は騎兵隊から盗んだものらしい。私が卓子の間を歩いて行くと、ポーカーをしていた牛追い達が大声で言った。
「おい、お前は幾らだよ? 俺が買ってやろうか」
酒場に下品な笑い声が響く。別の白い男が言う。
「こいつ、銃をぶら下げてやがるぞ。撃てるのかよ?」
私の代わりに黒い男が答える。
「撃てる訳がねえさ。自分の股に突っ込むんだろうよ」
その場に嘲笑が起こったが私はそれらを無視した。アフェシスの銃が黙っていたから。
二階で少女が客を取らされているようだった。男の怒号と少女の啜り泣きが聞こえて来る。数える。これで十人。
私は仕切り台をコツコツと叩いた。髭面の白い男が顔を出す。この男が此処の経営者らしい。数える。これで十一人。私は聞いた。
「食べる物はありますか?」
「豆の煮物しかない」と髭面の男は答えた。
「……では、それをひとつ。水も下さい」
そう言うと豆類と挽き肉の入った赤く辛い煮込み料理が出てきた。それと水の入ったグラス。私の亡霊達が、私と共に立ったまま食べて、飲み始める。経営者は小声で私に問う。
「あんた、シスターだろ? 隠してるつもりだろうが首にロザリオを掛けてるのが分かるぞ。この辺りに伝道所は無い筈だ。あんた、何処から来た?」
「……ホワイトクレイ・クリークです」
「ほお……去年の暮れに騎兵隊が大活躍した所だな。奴等を浄化するのを見たか?」
「……見ました」
「そうか、さぞかし気分が良かったろう。アメリカ軍の勝利を見るのは」
「……」
「それで? そんな遠い所から一人で何しに来たんだ?」
「……」
「言えないことをやろうってのか? ひとつ良いことを教えてやる。俺は信心深いからな」
「……なんでしょう」
経営者は私に忠告をした。
「……此処から逃げた方がいいぞ。あそこで金塊を囲んでウカれている奴等がいるだろう。盗まれた物を取り返しに、そろそろ騎兵隊が来るぞ。保安官が連絡しやがったんだ。この酒場もお仕舞いって訳さ」
経営者はニタリと笑った。騎兵隊の者と通じているのだろうか。だとすれば保安官も。
ポーカーをしていた黄色い牛追いが勝利を誇っている。剣の標を並べた手札で勝ったと騒いでいる。手元を見れば右手の人差し指が無かった。
経営者である髭面の男は更に小声になり、早口で言った。
「じゃあな、俺は逃げる。すぐに来るぞ。早く此処を出ろ。出ないならば此の酒場と一緒にスプリングフィールドの餌食になるぞ」
「スプリングフィールド?」
「騎兵隊が使ってるライフル銃だ。連中は三十人くらいで来るぞ。そいつらは皆、悪い奴等だ。もともと何処からか金塊を盗んで来たのは奴等なのさ」
「二階にいる女の子は、どうするのですか」
「あんな親無しの混血はもう用無しだ。知ったこっちゃないね。あんた欲しければやるよ。幾らか払えばな」
「……いえ、欲しくはありませんが……」私は食事を終えた。
「あんたが独立して伝道所をやるときに使えばいいだろ」
「……」
それは叶わないと思った。食事代を幾ら払えば良いのか分からず、私が50セント硬貨を出すと、男はそれを引ったくるように奪った。その時、酒場の裏口から保安官が影のように現れた。胸に着けた銀色の標章が光っている。背が高く、他者を憐れむような眼をしていた。数える。十二人。私の亡霊達がざわめき出した。
経営者は裏口へと急いだ。外から馬の足音は聞こえない。だが、包囲されている気配がする。強盗達は酔って騒ぎ、気付いていない。私の居る位置からは裏口の扉とそこへ走り込む経営者、そして保安官の姿が見えている。保安官が銃に手を掛けた。
撃たれる。そう思うと同時に私もアフェシスの銃を抜いていた。保安官が銃爪を弾き、私が銃爪を弾く。鉛の弾丸が飛んで来る。私の額に命中するかに思えたが、その時アフェシスの銃翼が強く羽ばたき弾丸の軌道を変えた。保安官の撃った弾は逸れて、黄色い牛追いを殺した。酒場にいる粗暴な者達が一斉に銃を抜き、身構える。私の手は震えていた。首筋に汗を流していた。私が撃った弾は保安官に当たらなかった。経営者と保安官は影のように裏口から出て行った。
「撃ちやがったのはテメエか?!」
ポーカーをしていた黒い男が私の頭に短銃を突き付ける。
「……違います」
強盗の一人が外の様子を窺おうとして扉に近寄って行く。胸から血を流す黄色い牛追いに天使は降りて来なかった。何故ならば、アフェシスを使っていないから。霊魂は揺らめきながら、通りに出て行った。強盗の一人が叫んだ。
「ちくしょう! 囲まれてるぞ!」
その瞬間、轟音が起きた。雨弾。鉛の雨が強く降り注いだ。卓子や椅子、酒壜が砕かれて行く。酒場には一分の間に二百発の弾丸が撃ち込まれた。今も断続的に数十発の弾丸が撃ち込まれている。
私は死んだ。身体中に鉛玉が埋め込まれ、血みどろの床に倒れていた。
だが、私の額から私の中に赤い亡霊達の一人が入って来る。亡霊は静かに言った。
「死ぬは無い。まだ、約束がある」
私は意識を取り戻した。血と壜の破片が散らばる床を這い、仕切り台の奥に隠れた。ポーカーをしていた四人と強盗の五人は即死していた。霊魂が浮いている。二階に居た男の霊魂が階段を降りて来た。何が起こったのか分かっていないようだった。十人の霊魂が雁首揃えて彷徨いていた。天使達は降りて来ない。この者達は、まだ消えない。
アフェシスの銃翼が大きく羽ばたいた。引き揚げられるように私はよろよろと立ち上がる。戸口にはライフル銃を構えた騎兵隊が数人いた。赤い亡霊の一人が叫んだ。
「そいつだ!」
私は銃爪を引いた。骨の弾丸が火球のように弾き出される。殆ど同時にライフル銃からも弾が発射された。アフェシスは戸口にいた数名の騎兵隊を殺したが、私の胸にもライフルの弾が命中していた。崩れ落ちそうになるその瞬間、赤い亡霊が素早く私の中に入った。私は左足で床を蹴り付け、体が倒れる前に息を吹き替えした。私はアフェシスの銃を戸口と通りに向けて乱射した。通りからも無数の弾丸が撃ち込まれて来る。
怪我と疲労で腕が上がらない。銃身の翼が大きく羽ばたき私を支えた。撃つ。何度も。何度も。
やがて、私の頭の中で鐘が鳴った。どのくらい経ったのかは分からないが、銃声は止んでいた。あれから私は二度死んだ。赤い亡霊達は、もういない。私の魂の替わりをしたから。
私はふらつきながら、酒場の外へ出た。酒場は穴だらけになり半分崩れていた。
渦巻く天使の軍勢が舞い降りている。騎兵隊の霊魂が次々と光に変わって消える。後に残るのは、三十余りの死体。
眩しい。教会の時計台を見上げると午後三時だった。アフェシスの銃が重い。朦朧とする意識。町並みの輪郭すら定かではない。
「おい、シスター」
声がして振り返ると、私は撃たれた。
私は虫の息だった。酒場の経営者と保安官が倒れた私を見下ろしている。保安官は、もう一度、私を撃った。心臓を。
「まさか騎兵隊相手に、あの銃撃の中を生きてるなんて思わなかったな」
経営者が言うと、保安官が答えた。顔を見合わせている。
「内情を知った奴は殺しておいた方が何かと良い。うまい具合に金塊は全て、俺達のものになる」
私は、私を見下ろした二つの脳天に弾丸を撃ち込んだ。続けて二発。経営者と保安官は血を噴いて仰向けに倒れた。私とアフェシスの銃は二人を殺した。この時、私の中に混血の少女の魂が入り込んだから。
天使が新たに四位、天上から降りて来た。酒場の経営者と保安官の霊魂が私刑を受けている。私は疲れ果てた声で天使達に聞いた。
「……はぁ……これで、もう終われますか?……」
天使達は答えなかった。殴るのに夢中であるかのようだった。やがて、霊魂はゴミ屑のようになり、橙と緑の光を発した。
完全なる解放。荒野にて死は光となる。
『了』