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09 君、君たらざれば、臣、臣たらず、師弟もまた然り?

 ――ヒヒィーン


 さてこれから、と――校長が壇上で新入生を迎える祝辞を述べようとした瞬間に講堂の外から馬の嘶きが聞こえた。普通に考えて魔導馬車や通常の馬車で乗り付ける貴族令息の通う学校であり、それ専用の出入り口が設けられている敷地内で馬の嘶きなど聞こえる筈がないのだが。イザベラとクラウディアはその嘶きに根拠も無くこう思った。


 ――あれはお父様(公爵)に違いないわ……


 その瞬間にクラウディアとイザベラの脳裏に浮かび上がったのは満面の笑みを浮かべながら警備員を押しのけて突っ切ってくるエアハルトだった。


 貴賓席に近い扉が開かれて現れたのは正しくエアハルトその人であった。王城からの道中を余程飛ばして来たのか髪が乱れている、だがフッと掻き上げた仕草は何故か妙に絵になり、途中入場でかなりの視線を受けても一切気負う事無く貴賓席へと歩んでいった姿は堂にいったものだった。

 表面上はそうした涼やかな態度なのだが、彼の目は厳しく一人の男性に向けられていた。


「フフフ、なんとか間に合ったようだ……覚えておけよ、城に帰ったら大量に仕事を回してやる!」

「まあ、待て、落ち着け、エアハルト、私は王として此処に来る必要があったのだ、仕方がなかろう!?」

「エアハルト殿、兎に角まずはお座りになられてはどうでしょう、ほら、あちらにイザベルちゃんもクラウディアちゃんも居ますし……ねえ、クリスタもそう思わなくて?」

「ええ、イリーネの言うとおり……ほんと殿方って何時までたってもこの幼稚舎の頃のままですわね、」


 周囲に彼らの会話は聞こえてはいない。だが聞こえていなければ良いというものでは決して無い筈なのだがどう見ても日常的なやりとりのようである。国王であるハインリッヒにこのような台詞を叩き付ける事が可能なことからも二人の関係が伺えるというものだ。

 そして名君――先日の様子からしても想像がつかないだろうが――として知られるハインリッヒも悪気が無かったとエアハルトに謝っている。こうした場合に止めに入るのは一緒に式典にきた第一王妃であるイリーネの役割であったが、イリーネもクリスタも共にこの幼稚舎からずっと親友であった間柄である。見事なまでに息の合った風に夫たちを捌いて見せた。


 一方で壇上では一人の男性が固まっていた。校長とてそれなりの立場にいる貴族なのであるが……一番この場で不幸だったのは他の誰でもない彼だっただろう。唯でさえ近年王族の入学が続いているのに加えて、例年入学式には顔を出さない第一王妃の臨席という事態に加えて、胃がきりきりと締め付けられる思いの中で気合をいれて第一声を上げようとすれば馬の嘶きに邪魔をされ、比較的に近い貴賓席で国王に向かって宰相が雷光でも迸るような勢いで詰め寄っていたのである。悪夢再びだ……そう呟きながらも彼は再起動した。


「今年度入学した諸君にまず祝いの言葉を――優秀な生徒も多く――この国の伝統的に――何かありましたら私達まで相談をするように、では以上を持ちまして私からの挨拶とさせて頂きます」


 彼のスピーチが予定の半分になったのは(ひとえ)に少しでも早く式典――いや、このような事態から来る腹痛から逃れたいが故だった。学生時代の国王と宰相の担任を勤めあげた当時も日々のストレスに晒されて、卒業後も見事にこうして時折やってくる試練……これに耐え切れたからこそ彼は校長という役職を得る事が出来たのかも知れない。


「引き続きまして国王陛下よりのお言葉を賜ります」


 司会を務める教頭の声を受けて壇上に立ったハインリッヒは先程までエアハルトと馬鹿な遣り取りをしていた時と違って、別人のように、これぞ国王だと思える風格をもっていた。伊達に大国の国王を務めているだけはあるというものか、切り替えも早く、威厳に満ちた声音は王者としての貫禄を示していた。


「幼稚舎に入る貴族の令息達よ、諸君はこれからの国を作る人材である。しかし今この場で難しい事を言っても仕方が無いだろう、故に――まずは学ぶ楽しさ、努力する難しさを、遊ぶ喜びを、この素晴らしい学び舎で経験するとよいだろう。貴族であるから特別なのではない、特別であるからこその貴族である。何れ出仕する其の日までに、この言葉の意味を考える事のできる人物になっている事を願い贈らせてもらおう、以上である」


 五歳児達にではなく明らかに保護者に送ったメッセージである。だが内容は子供達に対してのものであり、王からの期待を込めた言葉なのだ。少なくとも貴族だからというだけではこの国において特別ではないと王自らが宣言しているし、イザベラとクラウディアを見ながら微笑んでいる宰相も含めて腐敗貴族は見逃さない事で有名で、金が欲しければ商人を、名誉が欲しければ貴族を目指せと言われるのがこの国の貴族のあり方とされているほどである。

 勿論貴族には十二分の報酬が支払われているのだが、いつの時代も権力を持てば不正を働いてでも金銭を得ようとするのは人の常であるかのように、中々腐敗貴族を根絶やしにするのは難しいようで、特に官衣貴族にその傾向が強いのが問題になっている。帯剣貴族の採用制度や、一般市民からの試験通過者登用と同じように官衣貴族にも試験を導入しようと試みているらしいが、貴族の反対にあって実現していないことなども国王や宰相にとっては臍を噛むほどの思いなのだろう。


 大きな拍手と共にハインリッヒが壇上を降りると、次に王妃が紹介されて壇上へと上がる。


「私からは難しい事は言いませんがこの学び舎を卒業した先輩として、共に学ぶ友人を得る大切さを皆さんに伝えておきましょう。何を隠そう私達は全員がこの学び舎の卒業生です。恥じることの無い素晴らしい学生生活を送ってくれるように願います。ですから――女生徒に悪戯をするような真似をしないよう注意をしておきましょう。決して可愛い子がいてもそのような真似をしてはいけませんよ。まあ、そのような子は居ないと思いますが、可愛い薔薇にも棘はありますから、刺さっても文句は受け付けないと私から注意の言葉を送っておきましょう」


 これは詰まり王妃からの撃退許可という訳である。「ですから――」から続いた言葉と共にクラウディアに向けたと思われるウィンクこそがその証拠だろう。勿論、もとよりそうした撃退行為が咎められる事はないのだけれど、不用意に体に触れたり、スカートでも捲ろうものなら吹き飛ばしてもいいという意味である。当然そうした事は学生間では不文律として存在するのだが、こうして名言されれば、貴族といえど悪戯好きの子供はいるので、例えそれが王族でも吹き飛ばしていいという事になる。

 この宣言をもって式典は終了したのだが、ハインリッヒとエアハルトの目線は何処か明後日の方角に向けられていた、彼らの胸中や如何に……

 エアハルトは過去の行いを思い返して冷や汗を流しただけだが、ハインリッヒはそれに加えて『息子達大丈夫だろうか!?』という心配もしたのだとか……




 ◆◇◆          ◆◇◆          ◆◇◆




「ではみなさ~ん、今日は初日と言うことで、校内の施設について順番に説明しながら案内しますから~、先生に付いて来てくださいね~」


 教室に戻った新入生達に今日は授業がなく、オリエンテーションのように校内見学だけになりますよと、どこか間延びしたポワっとした口調で告げる担任。しかし、そこで一人の生徒――クラウディアが声を上げた。


「其の前に一つ質問があるのですが?」

「はい、どうぞ~」

「私達、まだ先生のお名前をお聞きしておりません」

「そうでしたかぁ?」


 クラウディアは頭を抱えたくなる気持ちをなんとか抑え付けた。そして何故この教諭が教鞭をとっているのかと不思議に思い、その理由を知りたいと感じたのは当然の事なのだが、案外理由は簡単だったりする。この女性教諭も貴族であり、幼稚舎で教鞭をとるとなれば、まず第一にそれなりの立場の出身である必要があるのだ。そして人当たりもよく、問題を起こさない事がなによりも重要視されていた。決してポヤっとしているから担当になった訳では無い。


「はい、私達の自己紹介の後かと思っておりましたが、そのまま講堂へと移動しましたので……」

「あれぇ、失礼しましたぁ、私の名前はイルゼ・ルービン・ザックスですよ、イルゼちゃんと呼んでください」


 少なくとも教員になる為には高等部まで卒業しているということであり、十八歳以上である事は間違いなく、クラウディアの調べた所だと、数年のキャリアがなければ幼稚舎の低学年の担当になどなりはしない。であるから少なく見積もっても二十五歳以上の筈なのに関わらず、親しみを持たせる為だといえど、「イルゼちゃん」と“ちゃん”を自らにつけた暴挙に対して――クラウディアの好意的見解としてそれが限度だった――聞き流すといった以外の対応策をクラウディアは持ち合わせていなかった。


「ではイルゼ教諭――」

「イルゼちゃんでいいですのに……」


 故にこうしてイルゼ教諭と続けたにも関わらず、自らイルゼちゃんと言っている事から、クラウディアの好意的見解は間違いだった事が証明されてしまった。故に少し声音が下がった程度……目つきが冷ややかになった程度は致し方がないだろう。そして不必要な一言が更にクラウディアの声音を低くする結果となる。


「――イルゼ教諭」


 顔は大変可愛らしくにこやかなのだが、反論など許さないと五歳児に思えない迫力をもって眼光がイルゼを射抜いていた。


「はい……」


 その返事をもって、良しとしたのかクラウディアは提案を続けた。半分程しか生きておらず、しかも相手の中身が一流の名が付くエリートであったクラウディアならばこうした展開になるのも致し方あるまい。


「お名前もお伺い致しましたし、速やかに次の行動に移りませんか? 既に他のクラスは移動し終えているでしょう、それに……これまでどうなのか存じませんが――お解りですよね?」

「はい……」


『お解りですか?』この一言に詰め込まれた意味、つまり教師は教師らしくしろという訳である。

 因みにだが、イルゼはルービン、つまり上級侯爵家の令嬢である。年齢は二十三歳、クラウディアの想定よりは二歳程若い、これは男性教諭が付くことをエアハルトが嫌うだろうという配慮によって、適任者を探した結果、最高位の貴族令嬢だからと若手で且つ実力も確かだと推薦されたのである。どちらかと言えば友達感覚に近い大人として生徒には大人気だったのだが、見事に撃沈してしまったようだ、泣き出さなかっただけまだ良くやったと褒めてあげたい。


 クラウディアとイザベラの学生生活は如何にも波乱が待ち受けていますといった様子で幕を開けた。

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