08 藪蛇というより身から出た錆
クラウディアが成る様に成れとばかりに、夜着に尻尾、ナイトキャップに猫耳や犬耳、兎耳と様々な耳付きのものを使用しはじめて、かれこれ数日経ってからの早朝の一幕。実家から一緒にやってきた侍女――どちらかと言えば秘書に近い――アルマが彼女の部屋へと朝の準備の為に静かにドアを開いて入室してくる。彼女にはクラウディアから執事と同等の権利を与えられていて24時間基本的に何時でもノックをせずに入室が可能である。
アルマは部屋に入ると早速、目覚まし代わりの紅茶を用意して行く、目覚め用に準備する紅茶なのでBOPを使用した少しカフェインの大目の一杯がポットに用意される。部屋の中に微かに広がる香気が目覚めを促進させてくれるのだが、実家であれば普通にこの段階で起き上がるクラウディアはベットで身じろぎせずに固まっていた。ある程度予想が付いている彼女は既に主人も起きているだろう事は承知の上で快適な目覚ましを準備する。
「お嬢様おはよう御座います……お嬢様、本日もで御座いますね――では、失礼致します」
――カタン、ブワッ
やはり隣にイザベラ様がいましたね、とアルマは出窓を広げて外気を取り込むと共に朝日を部屋へと迎え入れた。
「ん……おはよう、アルマ。ご苦労だけどマルセルかマルガにイザベラの件伝えておいて、まだこんな状態だし」
「ね?」と微笑むクラウディアの隣には彼女の夜着を掴んで離さないイザベラの寝姿があるのだ。今もやっと日光を浴びて「うにゅう、にゅう」と声にならない謎の呻き声をあげていた。これでは流石に何時引っ張られてしまうか判らないのでベッドで紅茶を飲む訳にはいかない。
「畏まりました、では先に伝えて参りますので、紅茶は此方にご用意しております」
彼女は一礼すると部屋を後にする、この数日続いている出来事なので、紅茶を冷めないようにする準備も見事に用意されていた。魔導ポットウォーマーの上に乗せておけば紅茶が冷める事もないのである、ただ余りに長時間放置するとなれば香りも味も落ちてしまうので、そうそうノンビリはしていられない、此処からは如何にイザベラを眠りの世界から連れ出すかが重要なのだ。
既に数回に渡って、いや連続して毎朝この状況を迎えているクラウディアはイザベラの起し方を研究したので問題は無かった。と言うよりも実際にはフューゲル家のイザベラ専属の侍女にも愛くるしい姿の妖精の事は確認済みで、普段は令嬢らしく寝起きが良いことも判明している。つまり――これは狸寝入りというものだったのだ、とは云えど兎耳を付けたあどけない姿なので狸寝入りと評するのも憚られる愛くるしさなのだが……
――ムギュウ
幾ら愛くるしいと言えど、狸寝入りはクラウディアに通用しなかった。初日こそ萌に撃沈したクラウディアだったが、連日ともなれば耐性もつくし、何より手慣れて来たといった具合で彼女をホールドして抱きしめる。ただこれだけで十分だったのだ。別段鼻を摘むのでも無く口を塞ぐのでもない、ただそっと耳元で囁くだけで彼女は満足するのだから。
「おはよう、ベルちゃん、もう朝になっちゃったよ」
「おはよう、クレアちゃん……もう少しだけ?」
「うん」
ほんの数秒で十分なのだが、クラウディアはこの甘えがもしかすると先日の事件の影響ではないかと睨んでいた。事実、不審に思ったので調べてみたところ、クラウディアが屋敷に引っ越すまでは夜中に数回イザベルが起きだしていた事を家令のマルセルから聞き及んでいたのだ。もしもクラウディアがこうして一緒にいなかったら――仮定の話になってしまうが、イザベラは苦しみから逃れる為に己を変えていく事になっただろう。
十二分にクラウディアの抱擁を堪能したのか、イザベラは満面の笑みを浮かべて起き上がる。そして二人はベッドを抜け出すと、紅茶を共に味わってから身だしなみを整える準備を始めた、着替え一式は基本的に侍女の仕事であり、それを奪う事は仕事を無くす事に繋がりかねない。
こうして朝の早い時間から彼女達が用意を始めたのには訳がある。新しい春を迎えた二人は共に通学する予定なのだ。悪役令嬢になる筈だったイザベルが通う事の無かった王立貴族幼稚舎、所謂小学校に相当する教育機関に通うという事である。別にこの幼稚舎には通わずとも家庭教師をつけて学力さえあれば問題は無いのだが、貴族社会とは将来は魔窟へとなっていくが、そんな魔窟で何よりも重要とされるのは人と人の繋がりである。幼稚舎から中等部そして高等部へ余程の事情がなければ地方で任官している貴族の令息達は必ず通うと言っていい。
前に述べたがこの国の領土の殆どは王家が抑えている王領であり最も力を持つのは王族に連なる者達だ、そして宮廷貴族が力を持っているのだが、帯剣貴族も官衣貴族も全員がこの学校に通っていると言えばお解り頂けるだろう。 それだけにクラウディアはこの国の未来が心配ではあったのだが……王権と軍事力の一元化がなされていて、功績を挙げなければ貴族でいられなくなる制度と、親が名誉貴族としての地位さえあれば子供も通える事が唯一の救いだろうと考えていた。
クラウディアは一般の学校に通う予定だったのだが、イザベルの学友としてこの王立貴族幼稚舎に通う事に決めたのである。王妃達の配慮によって本人が名誉貴族として伯爵位を有するので通うのに問題は一切無かったのだけれども。
◆◇◆ ◆◇◆ ◆◇◆
「やあ、おはようベルちゃん、クレアちゃん今日も二人は仲がいいな」
「ええ、本当に姉妹のようよ」
「ハッハッハ、本当に我が家の子になってもらいたいのだが、クレアちゃんの実家の事もあるのが残念でならないよ僕は」
朝食を取る為に食堂へと赴くと、既に其処には公爵であるエアハルトと公爵夫人のクリスタが二人を待っていた。満面の笑みで出迎えた男性がこの国の宰相閣下と言われる男性であるとだれが気が付くだろうか……愛称で呼ばせて欲しいと涙ながらに訴えられた事はクラウディアにとっては未だに記憶に新しい悪夢だった。魂の年齢から換算してしまうとかなり年下でもあるのでなんとか耐え切ったが、二十五歳という若さで宰相に任じられ普段は“氷笑”の異名で知られている彼がこのような人物だなんて外に知られる訳にはいかないだろうと思うほどのデレデレ振りだった。
「おはようございます、パパ、ママ」
「おはようございます、エアハルト様、クリスタ様」
「今日もかわいいなあベラは、でもクレアちゃんが未だにエアハルト様って呼ぶよぉ」
「おはようベラちゃん、クレアちゃん、私たちの事は家族だと思ってくれればいいのよ?」
一種の無茶振りでしかない、相手は公爵にして宰相閣下である。顔が引き攣りそうになるのをクラウディアは抑え込み笑顔を浮かべる。
「ですが、流石にお二人を父や母とお呼びするのも相応しくありませんし……」
「だからパパと」「ママと呼んでいいのにぃ」
だがここでパパ、ママとでも呼ぼうものならそのまま済し崩しに養子の話が進みそうである。若そう、いや実際に若いのでオジというイメージはクラウディア的にそぐわないのだ……
「間違えてお呼びしたら大変な事になりますから、オジ様」
「グハッ、何かダメージがあるよ!?」
公爵家ということで数代前に遡れば当然のように王族に連なる為に所属的には宮廷貴族であるが一種特別な存在でもあり、今の国王とは竹馬の友で、当初はその地位も幼馴染だから登用されたのではないかと言われた彼だが、その政治的手腕は高く、論争で負ける貴族が続出、腐敗貴族を宰相になってから叩き潰したのは両の手でもっても全然足りない程である。そして断罪した時の微笑みが余りにも冷酷であったから“氷笑”という異名で呼ばれているのだが……中身が此れではどうなのだと思わずに居られない。
「ベルちゃんもクレアちゃんも、今日から学校にいっちゃうんだよねえ。寂しいけど仕方がないか、でも式にはなんとか都合つけて行くからね!? 全く国王のせいでッ……あっ、パパも通った学校だったけど変な男子生徒だっているからね! 気をつけるんだよ?」
しかし、彼は流石精神的にもタフなのか、オジ様呼びからのダメージから回復してきて何やら不穏な台詞を吐いていた。しかし多少はダメージがあったのか自らの失言に気が付かなかった。
「フフ、でもアナタってば結構悪戯ばかり国王陛下……当時の王子様としておられましたわよね? 私も何度も被害にあいましたもの」
「ア、アハハハハ、それはアレだよ好きな女の子に――」
「ウフフフフ、そうですかあの当時エアハルトに、それはそれは沢山の女生徒達が被害にあってましたが?」
「や、やだなあ、それは悪戯であって、好きな子に――」
とてもではないが宰相とは思えない態度と酷い会話内容である。“氷笑”は間違いで“失笑”宰相なのではなかろうかとクラウディアには思えてならない。だが家庭の顔と仕事の顔が違う事など普通であり、失笑だと思える程に家庭では素でいるのだとも彼女は正確に理解だけはしていた、決して納得していた訳ではないが……その理由が服選びや夜着の趣味が宰相発案だったからなので致し方ないだろう。
「大丈夫よパパ、だってクレアちゃんと一緒だし。クレアちゃんには私がいるのだもの」
「うん、そうだよね! フフフ、そうか、うんうん、クレアちゃん、変なのが居たら教えてね?」
見た目はこの妖精イザベラの親であるのが納得出来るほどの美丈夫であるだけに本当に……とクラウディアは思わずにはいられなかったのだが、社交界で其の名を轟かせている公爵夫人クリスタだが、毅然とした態度で知られる彼女もまた可愛い物には目が無いという一面が存在したのである。そう、あの夜着は提案こそ夫であるエアハルトの一言だったのだが、実際にデザイナーの手配から生地の選定や縫製に至るまで全てがクリスタの指示によるものだったのである。勿論クラウディアの分を手配するとなった時に「実はもう用意してあったりするのよ~」と侍女に一声かけて取り出した時には流石のクラウディアも呆れてしまった程である。だが単に呆れる事は出来ない、何故ならこの国で一番イザベラの容姿を飾り立てさせたら右に出るものは居ない審美眼も持っている事は確かである。その一点だけをもってしてもクラウディアがクリスタを尊敬するに値するのだ。
「まあ、この人の戯言は無視しても構わないのだけれど、何も無いとは思うのだけど気をつけてね? それにしても、残念だわぁ」
「すいません……」
「いえ、いいのよ用心する為だものね」
クリスタはクラウディアの装いをみてそうぼやいた。何故なら彼女が用意した服装では無かったからだ。イザベラもフリフリではない常識の範囲内に収まるドレス姿で、クラウディアは『流石に学校に通うのにフリフリのドレスは無いわよね』と動きやすいシャツに袴の様なスカートパンツである。基本的に共通の学年校章を付け、色違いの紐付きの外套さえ羽織っていれば服装に規定がない為このような違いになったのだが、此ればかりはクラウディアも流石にお揃いの色違いを着る訳には行かなかった。何故なら彼女の用意した手袋には先日使ったような魔術用の処理が施されていたり、色々と護身用の準備がされているのである。
「ええ、もしも私やベルちゃんに悪戯なんてしたら、其の時は後悔させますね」
「後始末なら任せなさい、そんな不埒な生徒にはお仕置きして問題ないわ」
「ハハハ、私もよく吹き飛ばされたものさ! 其れぐらいなんて事は無いさ――ジロッ――あ、でもやっちゃう場合はその前に相談してね?」
クリスタからアナタが言うな的な眼光が飛ぶ、察するに学生時代に吹っ飛ばしたのはクリスタのようである。引き攣った声でエアハルトがそう締めくくった。
出掛ける寸前になっても流石に宰相という仕事は忙しいらしく、同行できないエアハルトの絶叫が響き渡り「絶対に間に合わせて見せる! 邪魔する奴は国外追放だ!」と城へ単騎で駆け出す一幕が見られたのだが、誰一人突っ込む者は居なかったというのは余談である。
◆◇◆ ◆◇◆ ◆◇◆
木製の落ち着いた装飾の机と椅子が扇状の教室に並び、次々に生徒達が挨拶をしていた。担当教諭の挨拶が終わってから入学式の会場へ移動する前にまずは自己紹介という運びになったのだ。そうして彼女達の番になる。出席番号などは無く自由に着席出来る為二人は最後列の窓付近を勝ち取っていたので必然的に一番最後の自己紹介となった。すっとクラウディアが立ち上がって自己紹介を始める。
「クラウディア・エーレ・ベリル・シーレです、ご存知の方もいらっしゃるでしょうけれど、私は先日叙爵されましたので貴族と言いましても名誉爵位を頂いたばかりの成り立てです、宜しくお願いします」
無難な挨拶に止めたクラウディア、この場で一番位の高いのがイザベラであるのは今までの自己紹介で判っていても爵位だけで考えても上には上級伯爵や侯爵といった面々がいるのだ。正確に言えば彼ら彼女らは未だ令息であって実際の爵位持ちのクラウディアが立場的には上ではあるが宮廷貴族の令息達もいることを考慮したのだ。着席したクラウディアに続くイザベラにはそうした配慮は必要ないからか、自然と主張が前にでる挨拶となった。
「イザベラ・リタ・ザフィーア・フューゲルです、クラウディアさんの親友ですの、彼女共々これから宜しくお願い致しますわ」
イザベラの親友発現はクラウディアに好奇の目が向けられていると彼女が感じたからであるが、その辺りは少しの嫉妬といったところだろうか。しかし、別の意味で彼女もまた注目の的であったのは当然である、周囲からしてみれば、既に妖精のような容姿の二人が並んでいただけでも十二分に話題になりえたのだ。さらに親友宣言とまでくれば注目を浴びて当然で、貴族の子供としての教育を受けているとは言えど、殆どの子がまだ五歳であり当然教室はざわめいた。
「妖精が……」「か、可憐だ」「可愛い」「あの子が?」「あの?」「お人形さんみたい」「公爵令嬢か……」「名誉伯爵……」「私のお姉様に……」
概ね好意的な視線だけであるのは悪いことでは無いだろうとクラウディアは安堵した。彼女達の事は親から聞いているのだろう、時折化粧品や紅茶といった取り扱ってる商品名が飛び交っているし、イザベラについては地位もさることながら見た目がまさに妖精なので男女ともに憧れているなと人事のように関心していた、自分をこうした場合に含まないのが意識の低い所だろうが、所詮モブだしと心のどこかで思っているのが大きかったりする。
「はい、お喋りもいいですが、これから式場へと移動しますよ~? 皆さん遅れずについて来て下さいね~」
のんびりとした担任の掛け声で講堂へと向かう事になったのだが――彼女達の前に数名の男子が殺到したのである。恐らくなんとかお近づきになるように言われていたのだろう、子供に似合わない気障なセリフは一体誰に仕込まれたのか……
「お嬢さん方、是非エスコートの――ドンッ――ぅぉお?」
だが彼らは最後までそのセリフを言い切ることは叶わなかった。容赦の無い一撃と同時に男子との間に女生徒の壁築き上げられる。
「邪魔でしてよ! さあ、私達と参りましょう!?」
「そうですわ、エスココートとか全く――これだからお子様な男子って嫌なのよね!」
「お姉様、さあ」
一人の男子生徒が見事に吹き飛ばされて部屋から追い出されたこの光景は、もしも其れがヒロインだったら間違い無しに悪役令嬢の取り巻きのような状況であるが、完全な防御機構が形成されているだけである。この中には数人は本当に取り巻きに将来なったであろう女生徒も混ざっていたのだが、流石に名も無き本当にスチルに収まっていただけの面々まではクラウディアとて知るはずも無い。
兎も角そんな風に女生徒によって周りを囲まれながらも二人は手を繋いで仲良く講堂へと歩き始めた。若干一名女生徒でも隔離した方が良いのではないかと思われる発言と挙動を見せている者がいるが、今の所は実害が無いようだ。どちらかと言えば積極的に威嚇して回っているのでクラウディアからすれば柴犬のような耳と尻尾があるように思えてならなかった。
――あー同級生でこういうのって初めてだけど、これって下級生のアレよね?
既に前世で似たような体験は済ませているだけに冷静に見ることができる、彼女の経験から言えば扱いさえ気を付けておけば問題には発展しないタイプだ。お姉様と慕ってくるのは三通り存在する。ガチなそちら方面の女子、純粋に羨望を抱いている場合、そしてなんとなく自分の印象から呼んでいるだけの場合だ。
恐らくは問題ない憧れと回りの雰囲気でそう呼んでいるだけのようだとあたりをつけた。一つ間違えば危ない――ガチになりえる――爆弾ではあるが、他人の心までは今の所は仕方が無いと諦めてクラウディアはイザベラと共に女生徒に囲まれながら移動するのだった。