03 艱難汝を玉にすとかいうけれど体の方が大事だよ?
ジークフリートの訪れた翌日からシーレ家の屋敷はごった返していた、勿論明日に伺う茶会の準備もそうだが、クラウディアが公爵家で一緒に暮らすという異例の扱いを受けることになった為の騒ぎである。唯の子供が引越しをするならこのような騒ぎにはならなかっただろう。
「お嬢様、この商品の開発についてのスケジュールですが――」
邸宅のクラウディア専用の執務室、そこで青年は持ってきた企画書を取り出して説明していく。シーレ商会の魔導具開発担当である彼は二十歳を過ぎた頃のだろう、それが五歳児に商品用の開発スケジュールを説明するという、なかなかシュールな光景が展開されている。だが説明する方もされる方も真剣そのものだった。クラウディアも動きやすいながらも洗練された白いシャツに臙脂色のスカート、装飾はかなり少なめで髪を結い上げるという子供らしからぬ装いでその報告を真剣に聞いていた。
「ええ、大筋はそれで問題はないでしょう、それと――――材料確保も見通しがついたという事ね、それで進めて頂戴、私たちシーレ商会が目指すのは生活の向上よ! でも自然は絶対に壊さない事、いいわね失った自然を完全に回復させるのは無理よ、壊した自然は巡り巡って自分の首を絞めることになるわ、他所の商会もできないようにお父様から各国には奏上してもらってるから安心して取り組みなさい」
「はいっ!」
地球での前世の経験を生かしたアドバイスを交えて彼女は報告を聞き終える。青年はそれを活かして手配すべくその場を後にする前に深く礼をして部屋を後にした。
実際この場に押し寄せてきたのは会話からも判るように、シーレ商会でクラウディアが指示を出している部下達であり、彼らは悲鳴を上げたい思いを押さえ込んで今後の指示を受ける為にと飛んできたのだ。
父親の面目丸つぶれと思う無かれ……父アンドレアスは優れた商人であり豪商の名に恥じない手腕をもっている。ただ、彼女の考えた企画で齎された新規商売が順調だっただけだ。何故なら彼は彼女が一番最初に手を出した紅茶部門を一手に引き受けて現在進行形で奮戦していたのである。
何しろ次の新商品だけでなく、既にこの国で紅茶といえばシーレ商会とその筋では言われる程の急成長振りであり、彼女が最も力を入れているだけあって、シーレ商会の大黒柱的な稼ぎ頭になっていたのだ。
しかし、彼女が手を出したのは紅茶だけに留まらず、お菓子の製造、ビールの製法から蒸留酒、化粧品の開発や魔術と工作機械の融合と途轍もなく多岐に渡っていたのだ。
この世界の社会構造は国王を中心とした政治体制であり、絵画や音楽などの文化も地球でいうところの西欧の中世そのものであったが、魔法や魔術といった科学に代わる技術が存在していた為に、恐らくは同時代の中世のそれと比べれば格段に優れた町並みであり、色んな意味で暮らしやすい世界だったのだが、彼女にはやはり足りないと感じる物が多かったのである。
例えば、魔導馬車という車よりも優れた排気ガスさえも出さない乗り物は存在するし、転移門などという長距離を一瞬で移動できる装置も存在するのだが、もっと生活に密着した魔導具は本当に無かったのだ。魔導具の開発は当然のように魔物を退治する事を前提に開発はされるのだ。
魔導焜炉や魔導冷蔵庫という物は辛うじて存在するが魔石の消費量が大きいなど改良が全くされておらず、一般家庭に普及していないのが実情だった。そこで彼女は紅茶の次はこれだと狙いを定めてしまった。
――まずはドライヤーとカーラーは大至急ね、それと洗濯機、乾燥機、掃除機、湯沸かし器、エアコン……これは全部作り上げるわよ。
より快適な生活を送るための製品を最初に彼女は求めた、それからは勢いでミシンを作ろうとしたりと次々に新部門となる事業を作り上げた……天才な我が子が求める物を与え続けた結果、その投資額の数千倍の額がもどってきてしまった父はその頃紅茶の現地を行き来して居たために気がつかなかった。豪商から世界的な巨大企業へと変貌を遂げていく最初の一歩を自分の商会が踏み出していたことに――
そういう訳で彼女が公爵家の屋敷に移るとなれば気軽に合えなくなってしまう。一例を挙げれば化粧品担当の女性だろうか、クラウディアの指示を受けて開発を担当していた彼女の焦りは凄まじかった。
「お、お嬢様が公爵家に行ってしまうと国の女性達が待ちわびる新製品の開発が!」
「大丈夫よ、貴女も成長しているのだから、それに化粧品関連は公爵夫人もお使いになられているのだから困ったことがあれば使いを遣してくれればいいのよ、同じ王都なんだから、ね?」
「はい――なんとか頑張ってみます」
一応は励まされて頑張ろうと上を向いた彼女をみてクラウディアも大丈夫かなと思ったがその分注意することは忘れなかった。少々彼女達の妄信は凄まじく、頑張るとなったら徹夜を一週間ぐらいは続けそうなのだ。
「でも頑張りすぎては駄目よ、結婚したばかりなんだから家を一番にしなさい、シーレ商会はブラックじゃないのよ?」
「そのブラックは何かわかりませんが、残業はさせないよう徹底してます」
化粧品としてクラウディアが基礎化粧品などを開発するまでの物は粗悪な物が多く、種類も蜜蝋や亜鉛入りの白粉や香油といったものしかなかった。そこで彼女が洗顔料、化粧水、乳液、眉墨、口紅、ファンデーション、マニキュア、香水などを材料を指示して作らせた物を販売した事は貴賎を問わず多くの女性達に激震を走らせた。
今では自然素材を中心に様々な製品がクラウディアの手を離れても出来上がっているのだが、女性の大多数が美に対してが執念を燃やすのは当然であり、この分野でクラウディアは尊敬を通り越して崇められていたのだ。時折「そういえばこういう材料もありだと思うの」という一言から生まれる化粧品や香水等は必ず大ヒットする上に、この部署に関わった女性全てが化粧品を実際に使って出会いや良縁の末に結婚していたともなれば崇められるのも仕方が無かった。そして更に発展を続けるのには理由があった、そうして幸せになれば家庭に入りそうなものだが、彼女達は同じ幸せを多くの女性にと更に力を入れたのである。
これが全部の部門、特に開発系では化粧品と同じようなふいな発明騒ぎが起こっていたのだからクラウディアが実家にいる今のうちに指示を貰おうと責任者が詰め掛けたのは仕方が無かったのである。
なんとか全部の部門の責任者と顔を合わせ終わった時には夕食の時間も過ぎてしまっていた。五歳にして見事なワーカーホリックぶり……
「はあ、あ、お腹が減ってきたわ」
ぐっと手を上に伸ばして背筋を伸ばす姿はとても五歳児のする仕草とは思えなかった。クラウディアの無茶には慣れていた家令でさえもこれは宜しくないと苦言を呈した程だった。
「お嬢様、少々働きすぎで御座いますぞ、先々代からシーレ家に仕えさせて頂いておりますけれどこのお歳でこの様な事をされた方は誰一人いらっしゃいませんでしたぞ」
矍鑠とした老人から注意されれば心配させてしまった事を彼女は素直に詫びた。片眼鏡をつけた瞳からは本当に心配している眼差しが向けられていた。少々クラウディアはこうした真摯な老人などに弱い部分がある。
――確かに、これはやりすぎだったわ、魔力があると疲れにくいからついつい無理しちゃうのよねえ。
生存の為にと鍛え上げた魔力が何故かブラック企業も真っ青な子役タレント並みの忙しさを生み出すとはトコトン努力と根性に極振りした人生設計だったと言える。
「ごめんねヴォルフ、気をつけるわ。それで夕食なのだけれども何か残っているかしら?」
「勿論ご用意いたして御座いますとも、こちらにお持ちいたしましょうか?」
「ええ、お願いするわ」
扉までヴォルフは歩いていき、外で待機していた執事の一人に指示をしている。そんな姿を見つめながらボーっとしていたのだが、ふと公爵家に連れて行く侍女を決めていなかった事を思い出した、なんとなくヴォルフの事だから既に手配をしてくれているだろうなと考えながらも、ヴォルフに思いついたとばかりにクラウディアは問いかけた。
「ねえ、公爵様の家に連れて行くのはアルマでも構わないのかしら?」
「そうで御座いますね、出来れば護衛もこなせる者が好ましいですが、お嬢様とアルマは相性が宜しいですからな、そう仰ると思ってお供して行くように用意しておくように申し付けております」
家令や執事とはこうあるべしと言った手際の良さである。主人の望みを言われてからするようでは二流の執事であるとはよく言われる事ではあるのだが、涼しい顔なのは此れぐらいは当然であって誇ることでもないと態度で告げているのである。彼にしてみれば五歳児などと思わず次期当主への対応を当然として行っているだけなのだった。それ故に他の事も既に手を打ってあったので序でとばかりに報告を始めた。
「お嬢様、一応は例の件調べさせておりますが未だ犯人との内通者は見つかっておりません、故に十分にお気をつけを、我が家からも連絡要員として数名は受け入れて頂けるように話は着けておきましたが襲撃があったのは事実、腕はお嬢様の方が上で御座いましょうけれども、何卒ご油断なさいませんように」
「有難う」
事件の手引きをした者が居た筈だろうというのは、彼女の記憶からの知識と実際にそうでなければ在り得ない事件だったという判断からなのだが、ヴォルフにはその辺りの情報収集をさせていたのだ、そこに更に連絡要員として護衛を送り込む手際は流石といったところだろう。
突然の茶会と公爵家への転居という出来事にこうして対処している内に夜は更けていった。
「お嬢様、明日は茶会で御座います、ご無理を為さいませんように早めにお休みを」
「ええ、有難うでは、食事も頂いたし――」
「浴槽には先ほど湯を張るように指図しております」
――できればヴォルフにもついてきて欲しいなぁ。
完全に上手の家令に礼を述べて風呂に入ったクラウディアは明日の茶会は大丈夫だろうかと少しだけ心配をしつつもベッドに入り込むと夢も見ないほどの眠りに沈んでいった。魔力の力で肉体は活性化していると言えどやはり五歳児にはハードだったようだ、見回りにきたヴォルフは優しい眼差しで彼女の上掛けを掛けなおし「ご自愛下さいませお嬢様」と小さく呟くと寝息もたてない小さな主に礼をして部屋を後にした。
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と期待してみたり……
まあ、冗談はおいて置きまして、どうだったかなぁと心配しつつ眺めております。実際楽しかったと読んで思っていただければ幸いなのですが……
誤字脱字は一応5回見てます、みても多分脳内補正で間違いが見つかりません、ご指摘いただけたりすると感謝感激します。