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亡国記  作者: 上中 志織
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私が倒れた日から、嫌がらせは有難いことに収まりつつあった。

流石にやり過ぎたと思ってくれたのか、それとも、様子を伺っているのだろうか。

一時のことと思いつつ、この期間に私はなんとか体調を元に戻すことができた。


そして、驚いたのだが、寝台から起き上がれるようになった頃、男から香油が贈られた。

肌に、髪にと、厳選されたその香油を、侍女の手によって塗り込められ、体調を崩す前以上に、私の肌や髪は艶めいていた。


男は殊の外それを喜んだ。

私の元へ訪れる度に、髪を撫でる回数や肌に触れる回数が増えていき、さらには、三日に一回の訪れが、毎日になった。


だが、やはり懐妊することはなく、思い出したように嫌がらせも続いた。



男の、毎日の訪れが日常化したある日。侍女は慣れたように、そろそろ男が来る頃だと、準備を始めた。

だが、その日、男は深夜になっても訪れなかった。


とうとう、私にも飽きたかと、私はぼんやり思うだけだったが、侍女はとても狼狽えていた。

男の寵愛を失うのは、この後宮では死に直結する。そのことを、彼女も良く知っているのだろう。

侍女を宥め、先に休ませてから、それでもしばらくはそのまま待ってみたものの、やはり男の訪れはなかった。



私は、久し振りに一人で広い寝台に体を丸めて眠った。




うつらうつらとした眠りの中を揺蕩っていると、バタンという大きな音がした。

驚き、寝台から上半身を起せば、扉が開かれている。逆光の中、見慣れた体躯から、立っているのが男だと分かった。


「…陛下?」

先程まで寝ていたせいで、少し舌足らずな声で呼びかけてしまい、視線を彷徨わせる。


「正妃よ」

男は恐ろしい程に機嫌の良い声で私を呼び、私の方へその歩みを進めた。

と同時に、以前嗅いだあの匂いーー血生臭い匂いが鼻をついた。


いや、以前よりその匂いは濃い。


私が顔を顰めたのが見えたのか、男は笑声を上げた。


その機嫌の良さに、男がして来たことを私は察した。


察してしまった。



それでも男を迎えるべく寝台から出て立ち上がろうとした。だが、男の手でそれを制され、私は寝台の上で男を迎えた。

寝台に上がってきた男の目は、爛々と輝いていた。

男は、いつもより一枚ばかり纏う衣が少ない。道中で、放ってきたのかもしれない。その着捨てられた衣が血で濡れているだろうことは、私にも容易に想像できた。



「俺はお前だけで良い」


男はそう言って、腕を私の背中に回した。私と男に隙間が生じないよう、強くしっかりと抱き締められる。


くん、と男の鼻が鳴った。

私が男に贈られた香油を使用しているかどうか確かめたのだろう。


「清玲。お前だけだ。後は、いらない」


初めて、名を呼ばれた。その声の熱に、私も男の背に腕を回す。


「だから、後宮にいる全ての妾たちを殺したのですか?」

「…ああ」

「だから、私の両親や兄を殺したのですか?」

「…ああ」

「だから、私に子が出来ないように、食事に薬を混ぜるのですか?」

「ああ。そうだ」


私は質問を繰り返し、男は肯定を繰り返した。


「清玲を害する者たちも、清玲に縁ある者たちも、清玲を分かち合う者も、俺には必要ない」



そう言って、男は私の髪に指を差し込み、顎を上げさせる。

泣き笑いに似た表情を見せる男が、そこにいた。


私は、男のこの表情と、私の名を呼ぶ声音を、二度と忘れないと思う。



「英彰様」


男の名を呼べば、男ーー英彰はその言葉さえ飲み込むように私の口を覆った。


この方は、全て、捨ててしまいたいのだ。



嗚呼ーー。

早く、この方を殺してくれる誰かが、現れてくれたらいいのに。


私は、口付けに応えながら、そう思った。






反乱が起きた。



侍女からそう聞かされ、私は首を傾けた。


「今更何を言うの。国の至る所で、毎日のように起きている事でしょう?」


王軍と反乱軍の対立は、今に始まったことではないし、英彰の施政で、反乱が起こらぬはずがない。


そう思っていれば、規模が違うのだと言う。


「反乱軍の新しい指導者が、とても秀でた方なのだそうです」

眉を寄せ、指を弄び、落ち着かない様子は、侍女の不安な心境を物語っていた。

「そうなの…」


私は、部屋の扉を見ながら、この扉を通って、今夜もやってくるだろう英彰の顔を頭に思い描いていた。



その日の夜。

私が想像した通り、英彰は楽しそうな表情で、私の元へやって来た。


「英彰様。ご機嫌ですのね」


そう言えば、英彰はふんと鼻で笑った。


「その逆だ。反乱を鎮圧出来ぬ屑のせいで、王軍の指揮に立つ羽目になった」


嫌そうに表情を歪めながら、それでも英彰の瞳は、悦楽の色が濃く現れていた。


どう嬲り殺すか。

英彰の頭にあるのは、それだけなのかもしれない。

それは、反乱に与している者たちだけが対象ではない。

使えないと言う味方であるはずの臣下にも、言うなれば、平等に与えられるものだ。


私が体を震わせたのを、英彰は敏感に悟ったのだろう。私の体を引き寄せ、噛みつくように口付けてきた。


英彰の熱が私に移って、ようやく英彰は唇を離した。


そして、いつものように、髪を撫でられた。

それだけのことで、私を先程とは違う震えが襲う。

英彰へ手を伸ばせば、英彰はそれを受け入れた。そして、私の手を自身の背へと導いてくれた。


「清玲よ。暫し、留守にする」


その一言は、私の耳元で囁かれた。


「英彰様。ご武運を」


私は英彰の耳元にそう囁き返しながら、私は時が来たのだと悟った。



英彰が出立した日。私は机に向かって一枚の手紙を書いた。



『反乱軍の指導者様』


その一文で始まる便箋を、私は丁寧に三つ折りにし、封筒に入れて、侍女に渡す。金貨の入った袋も一緒に渡せば、侍女は小さく頷いてから、部屋を出て行った。


正妃宮のみが機能するこの後宮で、侍女一人が抜け出て戻ることは、容易い。


私は、手紙の宛名の男に手紙が無事着くことを祈り、寝台に入った。

そして、体を丸め、目を閉じた。


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