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亡国記  作者: 上中 志織
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ゴロリと、驚く程雑な音を立てて、女の頭が転がった。

血の匂いが鼻をつく。


首だけになった女の、見開かれた瞳が、私を見ていた。

血の匂いが、充満している。息ができない。


首を失った胴体は、目の前ーー寝台に座った男の腕の中にあった。

その女の胴体は、肌を露わにした服を着ており、男の愛妾の一人であったのだろうことは、容易に想像出来た。



私もこの女のような道を辿るのだろう。


呆然と、女の首と胴体に視線を向けていた私に、男は、ふんと鼻で笑った。

ドサリと、これまた雑な音を立てて胴体を放ったのを目で追ってしまう。


「お前は、叫ばないのか」


気に食わないと言わんばかりに呟いた男に、ようやく視線を向ける。


こんな状況でなければ、見惚れただろう整った顔立ちの男は、寝台の上で片膝を立てて座っている。黒い瞳は、今は充血しており、私に鋭い視線を投げかけ、首から胸にかけて豪華な刺繍が施された衣装は、血に染まっていた。

右手には、血で濡れたままの刀を握っている。


「おい、何か言え」


男は、女の首を絶った刀の血糊を払い、私を見た。


私は、それに気付かないふりをして、男に向けて膝を床につけ、下げた頭の近くへ両手を上げ、礼をとって見せた。

重ね合わせた両手が震えている。


「ーー陛下」


ようやく出した声は、震えを抑えることに成功しており、それに内心安堵しつつ、私は言葉を続けた。


「お初にお目にかかります。私は、孫維信が一の娘、清玲と申します」


私の型通りの挨拶に、男が笑った。乾いた笑声だった。


「知っている。俺の新たな正妃よ。顔を上げよ」


そう言われ、私は再び男を見た。

膝を床につけたままのため、寝台の上にいる男を見上げる形になる。


そんな私を見る男の口角は上がり、笑みを形作っていた。満足気な様子にも見えるが、その瞳は決して笑っておらず、不機嫌さを表していると思った。


「むしろ、俺はお前を待っていたのだ。今宵は俺とお前の初夜だ。そうだろう?」

「はい。左様にございます」

そう肯定の意を返すと、男は私を手招いた。

それに従い、立ち上がって男の側に寄る。

その際、女の首と胴体の脇を通り過ぎなければならず、込み上げてくるものを、必死で抑えた。


男の側に着けば、すぐさま右手首を取られ、引っ張られた。

体を寝台側へと押され、気付いた時には、寝台の上で仰向けの状態でいた。

正面には、男の顔がある。

男は、私の体を跨ぎ、覆いかぶさるようにして、私の顔を覗き込んでいた。

視線を少しでもずらせば、男にべっとり付いた血の赤色が見えて、唯一血飛沫のかかっていない瞳を一身に見つめる。



「つまらぬ女だな」


そう言って、男は私の襟を人差し指でなぞった。


「目の前に、胴体と離れた首があっても泣き叫ぶこともせず」


次いで、男は襟を広げた。やはり、雑な仕草で、柔らかな素材でできた布がピリと破けるような小さな音がした。

すぐに冷たい空気を、鎖骨から胸にかけて感じる。


「洗練された所作で、型通りの挨拶をやってのける」


男の視線は、最早私の顔にはなく、首と胸の間の一点を見つめていた。


「流石、名門孫家の娘とでも言うべきか。ーーだが、動じない女程、つまらないものはない」


くつり、と笑って男は私の首筋や鎖骨の肌に直接指でなぞっていく。

と、そこで手を止めた。

目線を私の顔へと向け直した男は、少し驚いたのか、その瞳を数度瞬かせた。


「なんだ、お前震えているじゃないか」


そう言って胸をなぞるのを止めた手を、私の頬へと移した。

頬を包むように添えられた掌は、私の想像より、温かかった。

少しだけ、男との顔の距離が縮まる。


「俺が、恐ろしいか」

「…陛下」


今度は、声が震えてしまった。


恐ろしくないはずがない。


男は、王だ。

恐ろしく残虐な、この国の支配者だ。


民に高い税や厳しい法を課し、守れない者には非道な罰を与える。

また、気に入らないものは、人であろうと物であろうと、消し去ってしまう。


男の両親も、兄弟も、賢臣と名高かった者たちも、私よりも前に居た正妃も。

男の手によって、殺されたと聞いている。


そして、何より男は、この部屋ーー正妃宮の中でも、正妃が王を迎えるためだけの部屋であるはずのここで、新たな正妃に見せつける為だけに、自身の妾を殺したのだ。

残虐である。非道である。その言葉だけでは足りないように思う。


この男は、殺すことに躊躇がない。なんとも思っていないのだ。



「そうか。恐ろしいか」


男は、独りで納得したように含み笑うと、私の頬を撫でた。

さらに顔を近付けてきて、男の額にかかっていた髪が、私の頭に降り注いでいる。


男の瞳は充血が収まっていた。白眼は、青白くさえある。

その瞳を閉じ、男は私に口付けた。


男は私の口内を充分に堪能した後、広げられていた首筋、鎖骨の順に、そして身体中に口付けを散らし。


そして、純潔を散らされ。


私は男の正妃となった。






男は、私を殺さなかった。

それだけでも驚くべきことだが、それ以上に私を驚かせたのは、三日に一回は、私の元へお渡りがあることだ。



と同時に、臣下たちから私への貢物が増えた。

男に怯える臣下たちは、自分たちの命を永らえるために新たな正妃に媚を売ることにしたらしい。

男が私に溺れて、さらに政に興味を失えば、私欲を肥やせれるとも思っているのだろう。

だが、皆分かっていないと思う。

男は臣下がそんなことを考えていようが、どうでも良いのだ。


奸臣だろうと、賢臣だろうと、そこに差はないとばかりに気分で生かすし、反対に殺しもする。



男の興味は、今は、私の長い髪にあるようだった。

私の髪は、光に当たると若干緑がかる。先日、初めて昼間に正妃宮へと訪れた際それを見つけた男は、それからというもの、私の元へ来るたびに、髪を弄んでいくから、自惚れでもなんでもなく、事実だと思っている。

髪を結い上げ、飾りで華やかに装っても、男はすぐに不機嫌そうにそれを取り除かせた。

髪を手櫛で梳き、撫で、唇を落とす。

私の体に触れる以上の執拗さで、男は髪に触れた。



「綺麗な髪だ」

「…ありがとうございます」


男が何度訪れても、言葉の触れ合いは、ずっとこの二言だけしかない。




正妃として過ごし始めて、三月経った。

相変わらず、男は私の元へ訪れ、髪に触れ体を重ね合わせた。


だが、懐妊の兆しは現れなかった。


だからだろう。後宮での私の扱いは微妙であった。

元いた妾たちは、私が正妃になってから、男の訪れが減ったと憤りつつ、子を身籠ることのない私を嘲っていた。


この頃から、臣下たちからの貢物に紛れて、嫌がらせの品が届くようになった。

正妃宮の扉前に捨てられた死んだ小動物に箱一杯の虫や汚物。

食事をする際に、銀器が変色することも数度あった。

そして、知りたくもない情報をわざわざ知らせる手紙が届くことも、私の心を苛んだ。


実家から連れてきたたった一人の侍女の顔色も、徐々に悪くなっていった。


「清玲様。流石に陛下に申し上げては?」

何度そう言われても、私は首を横に振る。

「いいえ。陛下は、こんなことに興味を持たれないでしょう」

何度もそう答えた。


男の興味の幅は狭い。もしも無理矢理、興味を持たせようしたならば、男の手にかかって死を迎えるだけだと、私はもう知っていた。



それから、二月が経過しても、国は相変わらず荒れており、後宮にいても時折誰それが殺されただの、重税を課せる法が新たに成立しただの聞こえてきた。

そして、相変わらず私の元へ男は訪れ、相変わらず私は懐妊せず、相変わらず嫌がらせは続いていた。



そんなある日の清々しい朝。

私は寝台から起き上がることが出来なかった。

目眩がして、吐きそうだった。


懐妊かと、慌てた様子で侍女が侍医を呼び、診察を受ける。


白髪に片眼鏡を付けた侍医は、男が幼い頃から、臣下として仕え続けている唯一の存在だった。

侍医は、表情の読めない顔で私を診察し、「過労でしょう」と端的に告げた。


少しだけその声音に、労うような音を感じ、私は小さく頷いた。




私が倒れたという報せは、しばらくしてから男の元へ届いたようだ。


侍医から安静を言いつけられ、寝台に横になっていると、現れた男は顔面蒼白だった。

上半身だけをなんとか寝台から上げ、男を迎える。

男は寝台の脇に立ち、無表情で私を見下ろした。


「正妃よ。倒れたと聞いた」

「はい、陛下。お見苦しいものをお見せし、申し訳ございません」

そう言って、緩められた首元の襟を整える。

男はふんと鼻で笑って、寝台の端に腰を下ろした。


「過労だと?俺がお前に無理を強いて抱いているとでも言うつもりか?ーーいや、いつもお前の体は俺が触れると悦ぶ」


男は質問を自身ですぐに打ち消した。

私の上半身を小さな力で押し、男は私に覆い被さってきた。


整えたはずの襟に手を差し込まれ、冷たい男の手に震えれば、男は満足そうに目を細めた。


「それとも、妾たちからの嫌がらせが体に堪えたか?」


やはり嫌がらせについて知っていたのだ。

知っていて、傍観を決め込んでいたのだろう。

寧ろ、私が男に自身の窮状を訴えてくるのを待っていたのかもしれない。


今、まさに男はそれを望んでいるのだと思った。

私の訴えを、男は無残に打ち捨てるのだ。笑いながら。

そして、私に男を刻み込むように、抱くのだろう。


私は、真っ直ぐ男を見上げた。

強張る頬を無理矢理動かし口角を上げる。

「陛下。嫁いで五月。慣れぬ場で過ごし、疲れが出ただけでございます。ご心配には及びません。直ぐに体調は元に戻しますわ」


私の返答に、男は「ほう」と呟き、片眉を上げた。


「そうか。それで、良いのだな」

「はい。陛下」

「ふん。やはり、お前はつまらぬ女だ」


そう言って、男は私の首に吸い付いた。


男の熱をじわじわと感じながら、会話らしい会話は、久し振りだと思った。




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