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泡沫アグリゲート-Ideal desire dreams-  作者: 紀悠
Ⅰ頁目*神領リコノスク
7/7

神領:

「あ、アル~!」

 谷田葉(やたば)美涼(みすず)は、すっかり定着したそのあだ名を呼ぶ。プリントを後ろの席へ配るついでに振り向いた元島(もとしま)早苗(さなえ)は声のする方を見、教室の後ろから満面の笑みで手を振る美涼を確認し、そしてすぐ何事もなかったかのように顔を背ける。

「む、無視されたぁ……」

 落ち込む美涼とは反対にそっと顔を伏せた早苗はあの時の自分の行動を心底恨む。が、時すでに遅し。ふわりと体を空に浮かせこちらを見つめる美涼のことを考えてしまうと、もう他のことに手がつけられない。弱々しく背中へ刺さる子犬のような視線が、痛い。

(どうしてあたしは……あんな馬鹿なことを……)


『授業参観ごっこしよ~!今度抜き打ちでどこかの授業を覗きに行くから楽しみにしててね!』


 いつものように美涼のお喋り癖が火を噴き、そしてまたいつものように適当な相槌で生返事をしていた早苗はそれに実質イエスと返答してしまい、数分後にやっと意味を理解した。彼女が顔を上げた時にはもう美涼の気配はなく、早苗はただ美術室の隅で得体のしれない恐怖に震えるしかなかった。






「しんどい……」

 いつも通りの一日を終え、普段の倍以上の神経を酷使した早苗は足元をふらつかせる。隣を歩く美涼はひどく上機嫌に鼻歌まで歌い出す始末。

「いやあ、授業参観ごっこ楽しかったな~!あんな感じなんだね!今まではやってる感じを見るしかしなかったけど、実際にやってみると……」

「やってない!あれは違うから!っていうかあなたはあたしの親じゃないし!」

「んだからごっこなんだってば!でも結構面白かったでしょ?抜き打ち参観!いつ親が来るか分からないドキドキと、そして親が教室に入って来た時のソワソワ感!後ろからの視線に気恥ずかしさと嬉しさのむず痒さ……楽しいことこの上ない!」

「……はあ……美涼が楽しそうで何より……はあぁ」

「ちょっとアル、ため息吐きすぎー」

 ぷくりと頬を膨らませる美涼の頬を指先でつつきしぼめる早苗。こういうことに対しあまり強くやめろと叱れないのは、美涼の本心をうっすらと察していたからだった。

「……まともに授業も出たことないって言ってたもんね」

「ん?そんなこと言ったっけ?」

「……」

「あーそういう?まあ……今はもうそこまで気にしてないよ。なんとかここまでやってこれたしね。『いっつも先生に名前呼ばれないクラスの隅っこにいる影の薄いやつ:レベル100』くらいのノリだったし」

 軽く冗談を言ってみせた美涼の横顔が少し悲しげに見えた早苗は、返す言葉を見つけられず視線を落とす。以前の自分も、確かに色々な壁があった。それも美涼のおかげで少しずつ回復に向かっている、と思っている。しかし美涼には乗り越えなくてはならない壁がまだ残っている。

(大変なのはあたしだけじゃない)

 何か手伝いたい。これまでいっぱい助けられた分、自分も美涼を助けたい。

 そんな風に素直な気持ちを伝えると、その金髪の少女は照れたのか急に顔を赤くして「えへへ」とはにかんだ。特にそこまで大げさなことは言っていないが、と早苗が不思議に思っていると、美涼は早苗の手を引きめいっぱい微笑んだ。

「ありがとう。アルのその言葉で胸がいっぱいだ。本当に」

「……美涼」

「でもそうだなあ。アルになにか手伝ってもらうとしたら、そう……うーん、そうだねぇ」

 とりあえず、いったん家に帰ろう。そこでゆっくり話をしよう。そう言われ早苗はそのまま美涼宅へ直行した。






 もうだいぶ見慣れた美涼の部屋。意外と落ち着いている小綺麗な子供部屋。いつもの彼女を見ていると分かる、どこか物足りないような部屋。当の本人は意識していないそうだが。

「おやつ持ってくるね~」

 そう言って足早に部屋を去る美涼。これもいつも通り。あとで気付いたが、この家には常に来客用の何かしらが用意してある。そしてそれは大半が、美涼の連れてくる早苗専用のおもてなしセットになっているのだ。

 部屋をざっと見渡す。これといって大きな変化はない。今日は枕が反対側にあるなぁ、など。あとは谷田葉家の家族写真の隣に、新たに美涼と早苗の2ショット写真が一枚追加された。照れて半端に視線を逸らした早苗と、その肩を組み満開の笑みの美涼。他人からは見えないはずなのに写真には写っている。

(そうか。この写真の美涼自体が、あたしにしか見えないのか)

 知らない人間が見たらきっとそこには早苗しか写っていない。実質、空間を間違えた一人写真。何だか滑稽。

(……ん)

 以前までそこにあった、伏せられていた写真立てはそっと横に移動されている。見せたいわけではないだろうが、隠すつもりもないらしい。あれから特にその話には触れなかったが、それ以降部屋に来るたびに早苗はその写真立てを思わず見てしまう。

「……」

 後ろを警戒しつつ、そっとその写真立てに触れる。意を決しそれをひっくり返すと、日に当たり埃が煌めき舞った。

「…………?」

 特に何の変哲もない、少し古めの写真。美涼がいる。幼い子供の姿で、年相応といった感じの笑顔が眩しい。上機嫌にこちらにピースサインをしている美涼の隣には、これまた年相応……よりも少し大人びた黒髪の美少女が不機嫌そうに目を細めている。

 第一印象は、綺麗。

 そして彼女は誰だろう。

「はいよぉ~美涼ちゃんスペシャルブレンドで~す」

 キッチンから迫る美涼の声に驚き後ろ手に写真を隠す。部屋に入ってきた美涼はお菓子が沢山積まれた皿をテーブルに置き「どーぞ」とコップを手渡した。早苗はそれをおとなしく受け取り口を付ける。

「……ただの炭酸飲料じゃない」

「ただの、じゃない。ちゃんと混ぜてるよぉ」

 果汁100%オレンジジュースと甘みの無い炭酸を混ぜた普通のオレンジ炭酸ジュース。喉を通るちくちくとした刺激に口をすぼめた。その間に美涼のコップは空になる。相変わらず彼女は飲み物の消費が早い。

「ところでなんだけど、アルさんや」

「なぁに。美涼さんや」

「そこにあった写真、どこにやったか知ってる?」

「……もう怖いわ、本当」

「そりゃあ分かるでしょう。仮にも自分の部屋だもん。いつも見てればそのくらい気づくさ!」

 ごめんなさい、と写真を取り出した早苗は気まずそうに美涼へ差し出した。「ずっと、気になってて」

 悪気はもちろんない。申し訳ない、と正直に話せば、美涼はふっと目を細め口角を上げた。

「怒らないよ、だってアルだもん。そんなやたらに人の物壊したりするような人じゃないって知ってるよ」

 そう話す美涼の声音がやけに優しくて、聡明な早苗はこの時「これは只事ではないんだ」と直感で理解した。そして美涼は「出来ればでいいんだけど」と穏やかな口調であまりにも反応に困ることを話し出した。

「某がアルに手伝ってほしいこと。一つだけね。アルが本当に某のこと、信用してくれて。友達でいてくれて。某をこの世界に元通りにしてくれるっていう、強い気持ちがあるなら」

「……うん」

「……この写真、8年前に撮ったの。公園で遊んでた時、たまたまそこにいた男の子にね、撮って!って頼んで。そいで、隣にいるのはみかぜちゃん。美しい風って書いて、美風(みかぜ)。名字は谷田葉。某の()()()()()()()()()子」

「……え?」

「名字はたまたま、偶然同じ。今この世界にいる美風ちゃんには別の家族がいる。某と血は繋がってない。でも美風ちゃんは本当だったら、某のお母さんから某と一緒に生まれてくるはずだった。あれは某の双子の妹。某には分かる」

「な、んで……」

「……某が、わたしが、『殺した』から」

「…………な、」


 片方は、なんとも涼しげな顔で。片方は、目を見張り視線を逸らせず。


「前に言ったよね、某は死んでないけどこの世界に存在してないことになってるって。これは神様から受けた罰。美風ちゃんを、生まれる前に死なせてしまった某の罪。一緒に生まれてこれなかった、生まれる前に死んでしまった美風ちゃん。だから代わりに美風ちゃんはこの世界で別の『生』を与えられた。……つまり、美風ちゃんは美涼にとっての枷。美風ちゃんが同じ世界に生きている限り、某はずっとこのままなの」

「そ、んな、こと……」

「某を生き返らせて、この世界で普通の人間として生きられるようにするには……美風ちゃんを、()()()。要するに、清算するんだ。『美風』ちゃんが消えれば、『美涼』が元通りになる。なんか、そんな気がするんだよね。生まれた時から、ずーっとさ」











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