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酒場は今日も、喧噪に包まれている。
いや、祭の前のにぎわいを、日常の喧噪と同じに考えるのは間違いだろうか?
そんなどうでもいいことを考えながら、その鎧は席についた。
くすんだ緑銀の甲冑で全身をくまなく包み、腰には常に鳴り続ける剣。毎日顔を出すわ
けでもないが、少なくとも酒場の人間や常連達にはすっかり憶えられていた。
鎧は、自分の名をリックと名乗っている。
いつも通り、来た給仕に飲み物代にあたるコインを渡すと……目でも閉じたのだろうか、
リックはしばらく何もせずにじっとしている。
それにしても奇妙な鎧、もとい鎧戦士であった。
立ち上がると『そびえる』という表現がぴったりくるような巨体。鎧のサイズから言っ
て、中の人間はかなり大柄なのであろう。
くすんだ緑銀の鎧で、ブーツから鉄仮面にいたるまで完全武装しており、手にもガント
レットをはめ一欠片も人肌を見せてはいない。
この酒場で彼を知るものの中に、誰一人としてその素顔を見たものはいない。リックは
ただこの場所に情報と交流のみを求めているらしく、仮面を外したくないのか料理を注文
したこともない。ただ、マナーか所場代か、ドリンク代として少量―――その日の気分な
のだろう、エールかソフトドリンクの代金分のコインを先に払う。それだけだった。
誰かが何かを奢ろうとしても、マスターが好意で何かを出しても、全て小さく首を振る
だけ。この仮面は外れないから、と。
けして口数の多くない主人の代わりなのか、腰の剣だけが常に音を立て続けていた。
永久に詠晶石を消費し続け、晶力の供給が絶たれると壊れるという機工剣『セイレーン』
リックと共に狩りに出たことのあるものによれば、年中鳴き続けるだけのことはある名
剣、との話だった。
詠晶石を用いる機具、とりわけ武器などの場合『鳴く』という表現を使われることが多
い。
機工技術、それにより作られた機具とはすなわち、詠晶石から晶力を取り出し、望む形
に変えて扱うための技術ないしは道具のことである。この時、力を取り出す際に必ず詠晶
石から同時に音が漏れる。この音をして機具が『鳴く』と表現するのだ。
晶力を秘めた詠う石。詠晶石。世界に漂うとされる晶力の結晶である。
音と機具を持ち、使用者によらず定められた形に表すのが機工技術。
修練と素質を持って自分の扱いやすい形を生み出すのが魔術。
魔術の方が力の摩擦がない分、音も出ず高効率であるとされている。ただしあくまで一
流の魔術師が使った場合、ということだ。
ともあれ、賑わいにも飲まれず鳴き続ける剣を腰に下げたまま、リックはただその場所
でじっとしていた。
あるいは―――そう、誰かが情報を持って話しかけてくるのを待っていたのかもしれな
い。今目の前にあらわれた、この魔術師のような誰かが。
「あら、お久しぶりだわね。元気してたかしら?」
「あぁ。」
歩み寄って来たのは魔術師。推測されるリックの鎧の中身と同じくらいの長身の、怪しげ
な口調の魔術師。
慣れた風に杖を置いて椅子に腰掛けるこの男、名を―――
「あたしボーグ。憶えていて?」
「お前のことは忘れそうにないな―――と、毎回挨拶のように言っているはずだ。」
「おほほ。光栄でしてよ、リックちゃん。」
ボーグ。自称『銀紫の土竜』と呼ばれる魔術師の男だ。
圧倒的な素質を持つなどということはけしてないが、こざかしい小技を用い奇跡の生還
率を誇る……らしい。少なくとも、リックと組んだ時は毎回生還している。それは確かで
あった。
「すぅっかりお祭りムードねぇ、ゼルデアも。
あぁ、あたしはここんとこ、キャラバンの護衛でちょっぴり南のファルバまで旅してた
のよねー。ゼルデアとは違ってあったかくて、もーうオアシスだったわぁ。」
「そうか。」
饒舌な怪しい男と、寡黙な怪しい鎧。ある意味どちらもほどよく場に似合っている。
『頑張って染めた』らしい自慢の紫と銀の斑髪を掻き上げ、ボディスーツじみた旅装束か
ら延びた太い腕、手の平を上に向けてふるふると振ってみせる。
ちなみに特に野太い声ということはないが、身体は文句なく太い。
デカ、デブ、おかま言葉。くわえて銀と紫の長髪(しかもやや薄め)
物覚えの善し悪しに関わらず、一度同行すれば普通は二度と忘れないだろう。
「だ、け、ど、こっちほど治安が良くなくってねぇ……やんなっちゃったわ。
はぁ……思わず路地裏で二、三人転がしちゃったほどよ。やだわぁ、もう。」
ファルバが特に治安が悪いのではない。ゼルデアが治安がいいだけである。
あるいは女王国家の性質なのだろうか、国民は比較的穏やかで精神的なゆとりを持って
いた。
(まぁ……この十二年間は男王統治だったけど)
「で、今日は狩りかしら?
あたしも久しぶりに誰かと組みたい気分なんだけどぉ。」
「そうだな。
今日はオレも連れがいない。暇なヤツを二、三人探して森にでも出るつもりだった。」
森。ゼルデアでただ森と言えば、それは西に広がる広大な森を指す。
ゼルデア城と城下街の北から南西までを大きな森が覆い、北東と南に主街道、東と森を
突っ切る西に枝街道が走っている。
主街道を行く分には危険もほとんどないが、普段人の踏み込まない森にはいまだ魔物の
姿や巣窟が数多く見受けられた。
「あたしも魔物狩りは久しぶりだわぁ。
ここんとこ人間相手でセーブした戦いくらいしかなかったし、腕がなまりそうだったの
よねぇ。」
魔物。
一言で言うと、人にあらざる、人に牙向く存在の総称だ。
魔物は詠晶石を体内に抱えており、魔物を倒して詠晶石を手に入れ、それを売るのが通
称『冒険者』達の基本的な生活となる。他にも、ボーグが先日したような護衛や荷運び、
国から出される討伐令の際の同行など、色々な仕事があった。
ちなみに詠晶石は、魔物を倒す以外にも発見された採掘点を掘ることで手に入れること
が可能だ。このゼルデアの主産業などはまさしく詠晶石の採掘である。
魔物には詠晶石に引き寄せられる性質があるらしく、大規模な戦争中に魔物の大群に襲
来され双方壊滅、痛み分けなどという事態も過去にあったほどだ。魔物を倒して詠晶石を
狩り、運良く巣窟などを抑えて採掘点を発見すればものすごい大金が手に入る。無論、そ
れ相応以上の危険は常に伴うのだが。
ともあれ、危険があるからこそそこに夢と生き甲斐を見いだす。あるいは世界で最も愚
かな冒険者という職を夢見る少年少女が絶えない理由でもあった。
「よっ、お二人さん。怪しいのが頭抱えて悪巧み?」
「あら、ルーマじゃない。ひさしぶりー、元気してた?」
「ボーグ、おひさ。
あいっかぁらず女みてーなしゃべり方だよな。」
「そういうルーマこそ、あたしを見習ってもうちょっと可愛くしゃべればいいのにぃ。」
ルーマと呼ばれた小柄な少女―――そう、まだ成人して間もなさそうな少女だ―――は、
さも当然とばかりに二人の横に腰を下ろすと手を挙げ酒を頼んだ。
「リックは相変わらず無愛想だな。ちゃんとメシ食ってるか?」
「久しぶりだな。」
「おう、相変わらず会話がかみ合わないよな。あっははは!」
首の後ろを通し両手を軽くかけていた槍を地面に下ろし。
「で、どこ行くのさ?
一杯飲むの待ってくれりゃ、どこでも付き合うよ?」
「久しぶりに狩りでもしたいわぁって話してたの。リックが森に行こうって。」
「お、いいねいいねー、そうこなくっちゃ!
あ、おねーちゃんさんきゅね。はいお代。」
給仕のトレイに代価を乗せ、ルーマは一気にジョッキを煽った。
ちなみにルーマ曰く、これは『零杯目』なのだ。待つのは次の一杯を飲む間である。
「はぁ……いい飲みっぷり。惚れ惚れしちゃうわぁ。」
「あっはは、さんきゅ。でもオカマは恋愛範疇外なんでよろしっくぅ。」
一気に空けたジョッキを、待っていた給仕のトレイに直接返す。この酒場ではわりと見慣
れた光景である。
「あらら、残念ねぇ。ルーマちゃん可愛いからあたし好きなのにぃ。
……遠くから眺める分には。」
ルーマの右手が立ててあった機工槍『焔』に伸ばされ、次の瞬間にはボーグの肩の上にそ
の刃があった。
「はっはっは。何か言った、か、し、ら?」
ぃぃぃぃん……と。リックのものとは違う鳴き声が、ルーマの持つ焔から微かに響く。
「いやん、熱いわルーマちゃん。自慢の髪が焦げちゃうじゃないの。
いいわいいわ、どうせルーマちゃんはあたしよりもリックちゃんの方がいいんでしょ?」
「そりゃ、ボーグと比べたらね。さすがにリックに失礼だろ?」
「そうだな。」
小さなリックの同意ににっと笑い、ルーマは槍を再び床に下ろした。
そして二杯目―――もとい一杯目を受け取ると、今度はそっと口をつけた。
ルーマ。通称『機焔の姫神』ルーマ。
機工槍『焔』を狩る、齢十九の少女だ。
過去魔物のせいで右腕を失っており、現在は義手を使っている。ただ戦闘などの激しい
作業に使えるほどのものではなく、もっぱら日常生活専用だ。
戦闘時には義手を外し、内部に組み込まれた外部晶力型機工火銃『イフリート』を駆る。
機工槍と機工火銃、その二丁を持って彼女は『機焔』と呼ばれていた。
ちなみにこの場における場違いさでは他の二人を圧倒していた。着ているものが紺の戦
闘用スーツだからだ。対刃繊維で織られ関節部などの動きを妨げぬ用に作られた特注品で、
彼女曰く『だってかっこいいし。それがポリシーでトレードマークだからね』とのことで
ある。
なお、口調やさっぱりした性格のわりに意外とマメで、瞳と同色の濃い紫の髪はいつで
も綺麗に肩より上で切りそろえられていた。
「んっ、くっ、ぷはぁっ! ごっそさん。」
ない胸を反らして残りを一気に煽ると、ルーマは早速立ち上がった。
「ちなみに日帰り、それとも宿泊?」
「たまには少し街から離れるつもりだ。どんなに早くても朝帰りになるだろう。」
「んまっ、朝帰りだって。リックちゃんやらしー!」
「あっそ。
んじゃリック、二人で朝帰りにしとこっか。邪魔なオカマはほっといて。」
「そうするか。」
「あぁん、つれないこと言わないでよぉ。」
ボーグもグラスの中身を空けると、げほげほ言いながら立ち上がった。
「どうせあたしには、リックちゃんとルーマちゃんくらいしか朝帰りする友達いないです
よーだ。ふんっ、失礼しちゃう。」
それでも笑顔の二人の顔を軽く見て『無双の緑巨人』リックも立ち上がる。緑銀の巨体が、
文字通りそびえ立つようであった。
「すまんな、二人とも。それじゃぁ行くか。」
「OK、まっかせときな!」
「いいわ、どこまででもお供しちゃうわよ。」
『雪姫様のご加護を!』
三人は口々に掛けられる祝福の文句を受けつつ、酒場を後にし雪降る世界へと踏み出した。